チャンコロは
投稿者: kwan_guansu 投稿日時: 2011/09/19 23:45 投稿番号: [27 / 142]
自分たちを征服した者たちの土地まで、自分たちの領土とすり替えて言う。
清国は満州で建国された。
そして、長城を越え明を滅ぼし、中国を支配した。
1912年1月1日 (陰暦ではまだ辛亥の年) に、18省のうち14省が
独立を宣言し中華民国が建国された。
この新政府には、チベット・ウイグル・蒙古・満州は参加せず、
チベット・ウイグル・蒙古は別に独立した。
支那人はチベット・ウイグル・蒙古の独立を認めず、侵略しだした。
しかし、満州には、先に日本軍がいる。
一方、満州人は独立戦争を起こし、支那と戦った。
しかし、日本政府の非協力で潰された。
張作霖が爆殺され、その犯人が日本軍とみなされた。
最近、ロシアから、自分たちがやったという資料が出てきたので、
日本が犯人かどうか判らなくなった。
それはともかく、張学良は日本を犯人と思っているから、嫌がらせをする。
それが度が過ぎて、日本人が生きられないまでに圧迫されたので、
石原莞爾は、攻撃されたときの対策を立てた。
柳条湖で線路が爆破されたのをきっかけに、石原のプランは発動し、満州事変となった。
当時、石原莞爾は本庄司令官の巡視についていっていた。
彼は、線路爆破など命じていない。
飛行場占拠の演習を命じていただけ。
柳条湖事件
(9月18日)
の一週間後に、吉林省が独立を宣言。
九月下旬には、遼寧(奉天)省、黒龍江省、コロンバイルなどが独立宣言した。
これは、満州人の意思であって、関東軍の工作ではない。早すぎる。
たった一万の人数で二十万の兵や馬賊を相手に戦争をしている最中で、
工作をやっている余裕は無い。
10月、満州各地の代表が、揃って天津に溥儀氏を訪ね、出馬を懇請
11月10日
清朝廃帝・溥儀
天津を脱出
11月21日
馬占山、黒竜江省政府を樹立
つまり、日本は、侵略者の中国から、土地を取り返し、満州人に返してあげたのだ。
支那人は、自分たちが泥棒という事を理解できず、
正義の味方の日本を泥棒と逆恨みしている。
しかし、支那人の理屈が無茶苦茶な事は、尖閣で、既に、我々は知っている。
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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