日常がこういう場でどうしても出てくる
投稿者: komoyo_mikomochi 投稿日時: 2010/05/01 21:22 投稿番号: [8 / 9]
中国館の予約券の奪い合いは想定されたことだ。
しかし日本も偉そうなことを言ってはおれないと思う。
70年大阪万博の時に5時間待ち、6時間待ちで人気パビリオンを一つ見だけで一日が終わってしまったことがあった。
何が目的で押し合い、へし合いをしたのか今をもってその理由はわからない。
私は万博会場に近いところに住んでいたが、会期中に万博に行ったことなどなかった。
万博が終わってから、パビリオンが取り壊されて何年も経ってから弁当持参で芝生に座って、今でも存在する蔦の絡まるパビリオン跡を目にしているが、どこの国のパリビリオンであったか知る由も無い。
子供や孫に「あの建物はなに?」とよく質問を受けたが「昔から廃墟で、何があったか爺ちゃんにも判らない」というと、子や孫は「何でも知っている爺ちゃんが何で知らないのか?」と怪訝な顔をしていた。
私にも判らないことがある。
近所で起こった、知りたくも無い、騒ぎではあった。
万博とは何のためにあるのか、今でも不思議に思う。
90年の花博も地元であったが会期中には一度も行かず、会期終了後何年も足ってから平日に、ほとんど来場者が居ない時期に6、7回行ったぐらいである。
その後、地元のお祭り以外の大規模なお祭りには行かない、というのが親類一族郎党の暗黙の取り決めとなっている。
大きなお祭りを見ていると「明石花火会場事件」の様な悲惨な事件がフラッシュバックする。
人が多く集まるところは安全性の確保が難しくなる。
不測の事態を未然に防ぐためには事故のシュミレーションと顧客に対する最大限の配慮を怠ってはならないということである。
この原点は他人への尊敬の念と愛情以外の何者でもない。
そんじょそこらの人間に真似できるものでは決して無いが、人間というものは生まれてから地に戻るまでそれを目指す。
人として生まれた意義がそこにあるのだから。
押し合いへしあいするだけでは人間として余りにもさびしい。
人間はお互いに配慮しあってこそ人間の意味があるのだから。
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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