日中韓歴史論争…紀元前の朝鮮は誰の領土?
投稿者: ftg_algernon 投稿日時: 2011/10/31 01:05 投稿番号: [875 / 1078]
『大韓民国(韓国)』の名前の由来は,4世紀頃まで朝鮮半島にあったとされる,馬韓,辰韓,弁韓(弁辰)の「三韓」。
中国の史書(三国志魏書,後漢書など)によると,馬韓の王が 秦(中国)の逃亡者に土地を分け与えたり,また国の境があるとはいえ,倭人や倭人系譜の土着土人が自由に暮らしている様子から,どうやら当時の朝鮮半島南部地域は,王様の支配力が弱い(王権が寛容な)空き地だらけの僻地(未開の土地)であった様である。
中国の史書では,太古の昔から朝鮮半島には倭が住んでおり(実際に日本産の黒曜石の矢じりや縄文土器が見つかっている),むしろ朝鮮半島の領有をあえて主張しなかった倭や土着土人達の土地を,後からやって来た中国人の箕子,衛満,更には流入した秦の難民達が勝手に次々と占拠していった…という事ではないだろうか?
日韓の歴史論争にもなり,韓国の側が強烈に否定している『任那日本府』も,勝手にやって来た中国人の入植者達に全ての半島の土地を奪われは困ると,倭が敢えて半島に倭(日本)の出先機関(港や役所)を設け,外交の利便性や中国交易の利権(中継港)を守ったという事ではないだろうか?元々,倭人達の住んでいた土地だったのだから,韓王に主張して必要な土地を確保するのは簡単だった筈だ。
●『三国志魏書』馬韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
「韓は帯方郡(※注:中国の地方行政機関)の南に在り,東西は海で尽きる。南に倭と接し,地積は4千里ばかり。韓には三種あり,一に馬韓,二に辰韓,三に弁韓。辰韓とは昔の辰国なり。馬韓は西に在る。その民は土着し,種を植え,養蚕を知っており,綿布を作る。各邑落には長帥(邑落の長)がおり,大首領は自らを臣智と称し,その次が邑借で,山海の間に散在しており城郭はない。」
「既に侯準は王を僭称していたが,燕の亡名者の衛滿(※注:周(燕)出身の中国人)が全てを奪い取る。
注記① 魏略に曰く。昔,箕子(※注:殷(商)出身の中国人)の後裔の朝鮮侯は,周朝の衰退を知った燕が自ら王と尊称して,東の地(朝鮮の領地)を略奪し様としたので,朝鮮侯もまた王を自称して,周の宗室を尊んで兵をあげ,燕を迎撃し様としたが,大夫の禮が諌言した事で止めた。
禮を西に遣わして燕を説くと,燕は進撃を止め,攻撃をしなかった。その後,朝鮮侯の子孫がやや驕慢で暴虐だったので,燕は秦開将軍を派遣して,その西方を攻め,2千余里の地を奪い取って,満潘汗を以て国境とした。朝鮮は衰弱した。」
●辰韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-sinkan.htm
「辰韓は馬韓の東,そこの古老の伝承では,秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で,馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。
そこでは国を邦,弓を弧,賊を寇,行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し,互いを徒と呼び,秦語に相似している故に,これを秦韓とも呼んでいる。」
●弁辰伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-benkan.htm
「(前略)辰王は常に馬韓人を用いて擁立する事が代々継承されている。辰王は自ら王に立つ事は出来ない。
土地は肥沃で,五穀や稻の栽培に適しており,多くの蚕や桑があり,口布を作り,牛馬の車に乗る。妻を娶る婚礼あり,男女の別がある。大鳥の羽を死者に送る,その意は死者が天空に飛揚する事を望む。国は鉄を産出し,韓,口,倭など皆,これを採りに来る。諸貨の売買には皆,鉄を用いる。中国で金銭を用いるが如くである。また2郡で供給する。
風俗は歌舞,飲酒を好む。瑟があり,形は筑に似ており,これを弾く音曲がある。子が生まれると,石に頭を押し付け,扁平にする事を欲する。今,辰韓人は誰もが扁平な頭をしている。男女は倭に近く,全身に刺青もする。歩兵戦に慣れており,兵器は馬韓と同じ。その習俗は,路上で行き交えば,皆,道を譲りあう。」
↑↑朝鮮半島北部には,同時期に『高句麗』もありましたが,そちらが燕(北京)の都を襲ったり,楽浪郡(※注:中国の地方行政機関)の平壌(現在の北朝鮮の首都)を襲って本拠地としたりしていたのに比べて,朝鮮半島南部の帯方郡の国々は,比較的穏やかだった様です。
渡来人以外にも倭人と同じ様に刺青をした部族もおり,朝鮮半島の話というよりも,むしろ,倭人(縄文)と渡来人(弥生)が混雑していた古代の日本列島を表したかの様な記述です。おそらく当時の日本列島も,これら「三韓」と同じ様な社会だったかも知れません。
中国の史書(三国志魏書,後漢書など)によると,馬韓の王が 秦(中国)の逃亡者に土地を分け与えたり,また国の境があるとはいえ,倭人や倭人系譜の土着土人が自由に暮らしている様子から,どうやら当時の朝鮮半島南部地域は,王様の支配力が弱い(王権が寛容な)空き地だらけの僻地(未開の土地)であった様である。
中国の史書では,太古の昔から朝鮮半島には倭が住んでおり(実際に日本産の黒曜石の矢じりや縄文土器が見つかっている),むしろ朝鮮半島の領有をあえて主張しなかった倭や土着土人達の土地を,後からやって来た中国人の箕子,衛満,更には流入した秦の難民達が勝手に次々と占拠していった…という事ではないだろうか?
日韓の歴史論争にもなり,韓国の側が強烈に否定している『任那日本府』も,勝手にやって来た中国人の入植者達に全ての半島の土地を奪われは困ると,倭が敢えて半島に倭(日本)の出先機関(港や役所)を設け,外交の利便性や中国交易の利権(中継港)を守ったという事ではないだろうか?元々,倭人達の住んでいた土地だったのだから,韓王に主張して必要な土地を確保するのは簡単だった筈だ。
●『三国志魏書』馬韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
「韓は帯方郡(※注:中国の地方行政機関)の南に在り,東西は海で尽きる。南に倭と接し,地積は4千里ばかり。韓には三種あり,一に馬韓,二に辰韓,三に弁韓。辰韓とは昔の辰国なり。馬韓は西に在る。その民は土着し,種を植え,養蚕を知っており,綿布を作る。各邑落には長帥(邑落の長)がおり,大首領は自らを臣智と称し,その次が邑借で,山海の間に散在しており城郭はない。」
「既に侯準は王を僭称していたが,燕の亡名者の衛滿(※注:周(燕)出身の中国人)が全てを奪い取る。
注記① 魏略に曰く。昔,箕子(※注:殷(商)出身の中国人)の後裔の朝鮮侯は,周朝の衰退を知った燕が自ら王と尊称して,東の地(朝鮮の領地)を略奪し様としたので,朝鮮侯もまた王を自称して,周の宗室を尊んで兵をあげ,燕を迎撃し様としたが,大夫の禮が諌言した事で止めた。
禮を西に遣わして燕を説くと,燕は進撃を止め,攻撃をしなかった。その後,朝鮮侯の子孫がやや驕慢で暴虐だったので,燕は秦開将軍を派遣して,その西方を攻め,2千余里の地を奪い取って,満潘汗を以て国境とした。朝鮮は衰弱した。」
●辰韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-sinkan.htm
「辰韓は馬韓の東,そこの古老の伝承では,秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で,馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。
そこでは国を邦,弓を弧,賊を寇,行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し,互いを徒と呼び,秦語に相似している故に,これを秦韓とも呼んでいる。」
●弁辰伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-benkan.htm
「(前略)辰王は常に馬韓人を用いて擁立する事が代々継承されている。辰王は自ら王に立つ事は出来ない。
土地は肥沃で,五穀や稻の栽培に適しており,多くの蚕や桑があり,口布を作り,牛馬の車に乗る。妻を娶る婚礼あり,男女の別がある。大鳥の羽を死者に送る,その意は死者が天空に飛揚する事を望む。国は鉄を産出し,韓,口,倭など皆,これを採りに来る。諸貨の売買には皆,鉄を用いる。中国で金銭を用いるが如くである。また2郡で供給する。
風俗は歌舞,飲酒を好む。瑟があり,形は筑に似ており,これを弾く音曲がある。子が生まれると,石に頭を押し付け,扁平にする事を欲する。今,辰韓人は誰もが扁平な頭をしている。男女は倭に近く,全身に刺青もする。歩兵戦に慣れており,兵器は馬韓と同じ。その習俗は,路上で行き交えば,皆,道を譲りあう。」
↑↑朝鮮半島北部には,同時期に『高句麗』もありましたが,そちらが燕(北京)の都を襲ったり,楽浪郡(※注:中国の地方行政機関)の平壌(現在の北朝鮮の首都)を襲って本拠地としたりしていたのに比べて,朝鮮半島南部の帯方郡の国々は,比較的穏やかだった様です。
渡来人以外にも倭人と同じ様に刺青をした部族もおり,朝鮮半島の話というよりも,むしろ,倭人(縄文)と渡来人(弥生)が混雑していた古代の日本列島を表したかの様な記述です。おそらく当時の日本列島も,これら「三韓」と同じ様な社会だったかも知れません。
これは メッセージ 852 (ftg_algernon さん)への返信です.
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