Re: 売春婦銅像反対の抗議が
投稿者: africarando 投稿日時: 2011/12/14 20:38 投稿番号: [367 / 1156]
赤線を知っているかい?
昭和32年まで存在した売春街だ。当時、売春はセミ公認で週一度の検診を義務として営業をしていた。どこの田舎町にもあり、立派な商売だとは思われてはいなかったが、それはそれで需要と供給は成りたっていた。
これが戦後までの売春の実態だ。日本中、どこにでもあった売春街が外地にできただけのことだ。従業員を騙して連れて行ったことがあるかどうか不明であるが、
当時、まじめに働いていたら得られないような収入を提示されたら仕事の内容は自明だったろう。つまり彼女たちは業務内容を承知の上で外地に赴いたのだ。生活苦とか事情はあったろう。でも、鮮人の婦女だけが戦地で売春していたわけではない。日本人も相当数いた。当時、親のために身を売ることは美談だった。当時の日本は今と違う。貧窮に苦しんでいた。生保は無かった。おおむね小学6年の課程を終了してから男子は地元、大都会で過酷な肉体労働に従事した。重機なんか無い。このことは、兵役で甲種合格になると大喜びをしたことで知れる。
3度の食事を摂れ、労働もシャバに比べれば軽度だったからだ。
女子も似たようなものだ。小学卒業後すぐに奉公に出され、給金はスズメの涙、あれば良いほうで食わしてもらうだけで有難い。凶作の時は赤線への身売りが続出して社会問題にもなった。再び言う、生活保護制度は無かったし、健康保険制度も無かったのだよ。このようなバックの中で戦地売春だ。強制連行などしなくても応募者には不自由しなかった。戦地公娼は鮮人、内地人まぜこぜだった。
敗戦が1945年、当時17歳の女性は2011年現在83歳だ。あなたの近所に在住しているかもしれない。でも、外地であれ内地であれ、そのような仕事をしていたことは黙している。鮮人みたいに声高に騒動し、カネをよこせとは言わない。これは民度の差とも言える。
その気の毒な女性の像を大使館の前に建てて当の女性を世界にさらす。これが大国である韓国がやっていいことか。胸に手をあてて再考し恥を知れ。
これは メッセージ 319 (africarando さん)への返信です.
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