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Re: 朝鮮王朝5000年の輝かしい歴史 

投稿者: japanesekongousan 投稿日時: 2012/05/30 09:32 投稿番号: [207 / 1596]
「朝鮮王朝5000年の輝かしい歴史」改め「朝鮮王朝5000年輝かしい隷属の歴史」

●紀元前2500年、熊から生まれた檀君が朝鮮を建国する。

●紀元前250年頃、周(中国)の武王が殷の滅亡後、殷の王族であった箕子を朝鮮侯に封じ箕子朝鮮が誕生。箕子は礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、また「犯禁八条」を実施して民を教化した。後に秦が天下を統一すると、その勢力は遼東にまで及び、これを恐れた朝鮮王否は秦に服属する。

●紀元前195年、燕王盧綰の部将であった衛満が朝鮮に亡命し、翌年王権を簒奪。実在されたとされる朝鮮半島最初の国家衛氏朝鮮が誕生。
敗れた箕準は残兵を率いて南方の馬韓の地を攻略し、そこで韓王となる。

●紀元前37年、ツングース系の朱蒙が高句麗を建国。建国2年後、後漢の光武帝の下へ使者を送って朝貢し、それまでの高句麗候から王へ冊封される。漢が滅び魏が台頭すると魏に朝貢を行って臣属。
300年代、遼西に前燕を建国した鮮卑慕容部に首都を落され臣従。前燕が前秦に滅ぼされると引き続いて前秦に臣従。
391年、倭(日本)が海を渡り百済、新羅を破り臣民とした。百済はいったん高句麗に従属したが、397年、阿シン王の王子腆支を人質として倭国に送って国交を結び、399年に高句麗の頚木を離れ倭に服属した。402年、新羅もまた倭国に奈忽王の子未斯欣を人質に送って属国となり、倭軍は404年に高句麗領帯方界まで攻め込んだが高句麗軍に敗れた。405年、倭国に人質となっていた百済王子の腆支が、倭国の護衛により帰国し百済王に即位する。
668年、唐(新羅)連合軍は高句麗の都の平壌を攻め、高句麗は滅亡した。北部の高句麗遺民は唐によって営州(現在の遼寧省朝陽市)へ強制移住させられた。高句麗の末裔による数度にわたる再興は全て失敗したが、一部の遺民は、粟末靺鞨の建国した渤海国に参加している。旧領に残った者は、後に勃興した女真の金に取り込まれていき、歴史から姿を消した。
一部の遺民は宝蔵王の庶子(あるいは淵蓋蘇文の甥ともいう)の安勝を担いで新羅に入り、新羅から高句麗王(後に報徳王)として冊封され、新羅内で684年まで命脈を保った。また、遺民の一部には日本へ逃れた者もいる。

●676年、統一新羅誕生。735年、唐から冊封を受けて鴨緑江以南の地の領有を唐から正式に認められる。
持統天皇の時代、唐をけん制する為日本への朝貢を始める。その後一旦不仲になるが752年新羅王子金泰廉ら700余名の新羅使が来日し、日本へ朝貢再開。
翌753年、長安の大明宮で開催された唐の朝賀で遣唐使大伴古麻呂が新羅の使者と席次を争い意を通すという事件が起こる。この際唐は新羅が倭の従属国であった事実を受け入れ新羅を下位においた。
8世紀の終わりに新羅の国内が混乱すると、再び日本に慇懃な態度をとるようになり、779年、新羅は日本への服属を象徴する御調(みつき)を携え使者を派遣した。また、新羅の混乱により多数の難民が日本列島へ亡命し、大量に帰化を申請する事態が発生するが、日本側は「蛮国」の人民が天皇の徳を慕って帰化を願うことは、日本における中華思想にかなっていたため、帰化を許可した。
780〜935年にかけては飢饉や反乱が相次ぎ、度々日本へ賊徒(強盗)が侵攻するようになる

上記のように国名が変わっても中国人や旧満州辺りの遊牧民(半農)が建国した国である。以降中国や日本に隷属し続け、自力で独立国家となったことは今日まで一度もない。
統一新羅以前の朝鮮南部には多くの日本人が住んでおりそこから様々な技術が生まれていた。
確かに高句麗時代は旧満州の一部まで領土としていたが、ツングース系の民族が良い馬を持っていたことで格段に機動力が高まったことが大きな要因である。

次回は後三国時代をスルーして高麗時代から書かさせて頂く。
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