竹島泥棒は日本だった 恥知らずが・・
投稿者: tobikomi23gogo 投稿日時: 2011/07/19 08:42 投稿番号: [54 / 60]
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/abasiziwoutu.htm
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・1905年以前の明治政府の認識/
明治政府は成立早々の1869年、内情調査のため左田白芽ら三人の外務官僚を朝鮮へ派遣した。
翌年、左田は報告書『朝鮮国交際始末
内探書』を作成。
そこには明確に「松島(竹島のこと)は竹島(鬱陵島のこと)の属島であり、朝鮮に附属することにあい成り候」
と記された。
・1877年、
日本政府内務省は、領土問題の重要性に鑑みて、当時の最高国家機関である太政官に
決裁を求めた。結果、岩倉具視以下三名の参議の同意のもと「竹島ほか一島本邦関係なしの儀」と
決定、両島は日本領ではないと公式に宣言した。
さらに、
1894年に明治政府が国家事業として製作した『大日本管轄分地図』には、両島は記載され
ず、同年日本海軍が製作した『朝鮮水路誌』(94年版・99年版)には両島が記載された。
明らかに明治政府は、両島(鬱陵島と竹島)を朝鮮領としていたことを示していた。
これは メッセージ 41 (natupuchan さん)への返信です.
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