福沢諭吉の脱亜論にみる中国観
投稿者: cs_champ007 投稿日時: 2012/10/05 14:51 投稿番号: [116 / 936]
然(しか)るにここに不幸なるは近隣の基地外国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。
我日本国の一大不幸と云(い)うべし。
福沢諭吉 脱亜論 抜粋
「我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既(すで)に亜細亜の固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移りたり。然(しか)るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。」
「日支韓三国相対(あいたい)し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於(お)けるよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見(ぶんけん)せざるに非(あら)ざれども、耳目(じもく)の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義(共産主義)と云い、学校の教旨は仁義礼智(反日教育)と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如(ごと)し。」
「例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い」
支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠(ぎきょう)もこれがためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さんこく)なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如(ごと)き、これらの事例を計(かぞう)れば枚挙にいとまあらず。これを喩(たと)えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然(し)かも残忍無情なるときは、稀(まれ)にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異(こと)ならず。その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云(い)うべし。
「されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。 」
本文
http://www.chukai.ne.jp/~masago/datuaron.html
我日本国の一大不幸と云(い)うべし。
福沢諭吉 脱亜論 抜粋
「我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既(すで)に亜細亜の固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移りたり。然(しか)るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。」
「日支韓三国相対(あいたい)し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於(お)けるよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見(ぶんけん)せざるに非(あら)ざれども、耳目(じもく)の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義(共産主義)と云い、学校の教旨は仁義礼智(反日教育)と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如(ごと)し。」
「例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い」
支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠(ぎきょう)もこれがためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さんこく)なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如(ごと)き、これらの事例を計(かぞう)れば枚挙にいとまあらず。これを喩(たと)えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然(し)かも残忍無情なるときは、稀(まれ)にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異(こと)ならず。その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云(い)うべし。
「されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。 」
本文
http://www.chukai.ne.jp/~masago/datuaron.html
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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