ポルポト
投稿者: bigwoodworld 投稿日時: 2010/11/21 22:23 投稿番号: [1617 / 1620]
カンボジア大虐殺に見る毛沢東、金一族、スターリン、中狂狂産党、マルクス・レーニン主義の恐ろしさ
ポルポト率いるクメール・ルージュは紆余曲折後、毛沢東、金日成一派に擦り寄った。
ポルポトは1964年〜1966年中狂に滞在して、大躍進政策と毛沢東の大国支配、政権支配、毛沢東思想を学んだ。
中狂から資金、武力の莫大な援助を受け武装蜂起に入る。
1970年アメリカはベトコン退治に、カンボジアを爆撃、被害人民がポルポトに加担、勢力拡大となった。
1973年ベトナム戦争終結後の戦闘で、1975年遂にプノンペンを制圧支配した。都市住民を下放し、知識層を虐殺した。
1976年から、毛沢東主義に基ずく、原始共産主義(ポルポト反対勢力の萌芽を完全封止する目的)を敢行し大粛清に走った。
のぼせ上がった、ベトナム嫌いのポルポトはベトナム侵攻した。
激怒したベトナムは、1977年カンボジアに侵攻、1979年プノンペン陥落開放した。
1975年4月17日〜1979年1月7日の3年8月20日間に5人に1人、200万人が虐殺された。
つまり、支配者になったポルポトは、毛沢東に倣い、スターリン、金一族と同様に徹底した虐殺をした。ただ毛沢東が失脚の恐れを抱えていることを知っていたために、根絶やしに近い徹底振りであった。
ここに逆説的に、毛沢東の1億人以上の大虐殺が窺がわれる。事実あったことですが。
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