yakurutotafumanの母校は今 !?
投稿者: inkyojiisan 投稿日時: 2011/07/28 12:17 投稿番号: [1442 / 1783]
◇関心低く存続に不安
東日本大震災の被災地にある朝鮮学校の様子は、
4カ月を過ぎても日本のメディアでほとんど伝えられていない。
今月9日、詩と音楽による「復興支援コンサート」を開くため
大阪や京都などから東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)を
訪れる人々に同行し、学校と生徒の様子を取材した。
■「一杯のクッパッ」
JR仙台駅から西南に車で約30分。
緑に囲まれた約10万平方メートルの敷地には
古い校舎や寄宿舎などが点在する。
現在は初級部12人と中級部13人が日々学んでいる。
9日昼、激励コンサートの14人とともに学校に着いた。
メンバーは日本人や在日コリアンの混成。
私が日本人だとわかると、朝鮮語でわいわいと雑談していた女子生徒たちは
「こんにちは」と大きな声の日本語で迎えてくれた。
コンサート会場は損傷をまぬがれた食堂。
全国の朝鮮学校や韓国の子どもたちから贈られた
寄せ書きがあちこちに張られている。
尹鐘哲(ユンジョンチョル)校長(50)は
「震災から3カ月間、ここが物資供給や炊き出しの拠点でした」
と振り返った。
初級部1年生になったばかりの2人による
朝鮮語の歌「1年生になったよ」で幕が開き、
会場は一挙に明るい雰囲気に包まれた。
保護者や卒業生たちが目元をハンカチで押さえる場面もあった。
大阪市在住の詩人で在日本朝鮮文学芸術家同盟顧問の
許玉汝(ホオンニョ)さん(62)が自作の詩
「一杯のクッパッ」を朗読した時だ。
愛しい 卒業生達よ
とびきりの御馳走では
ないけれど
一杯のクッパッに
込められた想いを
忘れることなく
胸に刻んでおくれ
(冒頭のみ抜粋)
震災が起きた時は授業中だった。
校舎3階の教室でコンピューターの授業を受けていた
中級部3年の金怜華(キムリョンファ)さん(14)は
「歩けないほど揺れて怖かった。校舎が古くて危ないので先生と一緒に逃げた」。
寒がる小さな子どもたちに、中級部の生徒たちが自分の上着を脱いでかけた。
学校再開は3月27日。
卒業式の日だった。
まだガスは復旧せず、外で火をたきクッパ(スープをかけたごはん)を
作って卒業生の門出を祝った。
震災直後に下級生をいたわった生徒たちのエピソードに感銘を受けた許さんは、
この時の光景に重ねて詩に詠んだ。
「これからも思いやりと感謝の気持ちを忘れないで」
との思いを込め、卒業祝いのメッセージとした。
■財政見通し立たず
幸い、児童生徒に負傷者はなかった。
だが、4階建ての鉄筋コンクリート校舎は16センチほど傾いた。
入口の階段は崩れ、コンクリートがぼろぼろだ。
校舎奥は肉眼でも垂直に建っていないことがわかる。
授業は寄宿舎として使われていた建物で行われているが、
8畳ほどにベッド2台が置かれた部屋は決して広くない。
宮城県は震災後、学校を大規模半壊と認定するとともに、
北朝鮮による延坪島(韓国)砲撃を受けて凍結していた
昨年度分の補助金152万1840円を「人道的な見地」から支給した。
一方で、今年度予算化していた補助金
162万4000円については不交付を決めた。
学校側は建て替えのための申請額の算定作業を急いでいるが、
尹校長は「財務的な見通しはまったく立たない」とため息をつく。
文部科学省は今回、阪神大震災などと同様に激甚災害法などを適用した。
朝鮮学校を含む学校教育法上の「各種学校」の災害復旧事業には
事業費の2分の1を補助するという。
しかし、制度上、実際にかかる費用の半分が確実に支給されるとはいえない。
ニュースUP:東日本大震災 毎日新聞 2011年7月27日
東日本大震災の被災地にある朝鮮学校の様子は、
4カ月を過ぎても日本のメディアでほとんど伝えられていない。
今月9日、詩と音楽による「復興支援コンサート」を開くため
大阪や京都などから東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)を
訪れる人々に同行し、学校と生徒の様子を取材した。
■「一杯のクッパッ」
JR仙台駅から西南に車で約30分。
緑に囲まれた約10万平方メートルの敷地には
古い校舎や寄宿舎などが点在する。
現在は初級部12人と中級部13人が日々学んでいる。
9日昼、激励コンサートの14人とともに学校に着いた。
メンバーは日本人や在日コリアンの混成。
私が日本人だとわかると、朝鮮語でわいわいと雑談していた女子生徒たちは
「こんにちは」と大きな声の日本語で迎えてくれた。
コンサート会場は損傷をまぬがれた食堂。
全国の朝鮮学校や韓国の子どもたちから贈られた
寄せ書きがあちこちに張られている。
尹鐘哲(ユンジョンチョル)校長(50)は
「震災から3カ月間、ここが物資供給や炊き出しの拠点でした」
と振り返った。
初級部1年生になったばかりの2人による
朝鮮語の歌「1年生になったよ」で幕が開き、
会場は一挙に明るい雰囲気に包まれた。
保護者や卒業生たちが目元をハンカチで押さえる場面もあった。
大阪市在住の詩人で在日本朝鮮文学芸術家同盟顧問の
許玉汝(ホオンニョ)さん(62)が自作の詩
「一杯のクッパッ」を朗読した時だ。
愛しい 卒業生達よ
とびきりの御馳走では
ないけれど
一杯のクッパッに
込められた想いを
忘れることなく
胸に刻んでおくれ
(冒頭のみ抜粋)
震災が起きた時は授業中だった。
校舎3階の教室でコンピューターの授業を受けていた
中級部3年の金怜華(キムリョンファ)さん(14)は
「歩けないほど揺れて怖かった。校舎が古くて危ないので先生と一緒に逃げた」。
寒がる小さな子どもたちに、中級部の生徒たちが自分の上着を脱いでかけた。
学校再開は3月27日。
卒業式の日だった。
まだガスは復旧せず、外で火をたきクッパ(スープをかけたごはん)を
作って卒業生の門出を祝った。
震災直後に下級生をいたわった生徒たちのエピソードに感銘を受けた許さんは、
この時の光景に重ねて詩に詠んだ。
「これからも思いやりと感謝の気持ちを忘れないで」
との思いを込め、卒業祝いのメッセージとした。
■財政見通し立たず
幸い、児童生徒に負傷者はなかった。
だが、4階建ての鉄筋コンクリート校舎は16センチほど傾いた。
入口の階段は崩れ、コンクリートがぼろぼろだ。
校舎奥は肉眼でも垂直に建っていないことがわかる。
授業は寄宿舎として使われていた建物で行われているが、
8畳ほどにベッド2台が置かれた部屋は決して広くない。
宮城県は震災後、学校を大規模半壊と認定するとともに、
北朝鮮による延坪島(韓国)砲撃を受けて凍結していた
昨年度分の補助金152万1840円を「人道的な見地」から支給した。
一方で、今年度予算化していた補助金
162万4000円については不交付を決めた。
学校側は建て替えのための申請額の算定作業を急いでいるが、
尹校長は「財務的な見通しはまったく立たない」とため息をつく。
文部科学省は今回、阪神大震災などと同様に激甚災害法などを適用した。
朝鮮学校を含む学校教育法上の「各種学校」の災害復旧事業には
事業費の2分の1を補助するという。
しかし、制度上、実際にかかる費用の半分が確実に支給されるとはいえない。
ニュースUP:東日本大震災 毎日新聞 2011年7月27日
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