■倭人の活動 新羅本紀
投稿者: okidokinoa777 投稿日時: 2011/10/16 02:20 投稿番号: [921 / 1430]
新羅本紀
*紀元前50年・・・倭人が攻めてこようとしたが、
新羅王の始祖に徳があると聞いて引き返していった。
*紀元前20年春2月・・・斯盧国(しろこく)(辰韓)は瓢公(ここう)を
馬韓に派遣する。
馬韓王(朝鮮人)は上から目線で
「辰韓と弁韓は俺たちの属国だろ?貢物もないじゃないか。これが礼儀か?」
瓢公(ここう)は答える
「わが国は建国以来人心が安定しており豊作が続き倉庫は米で満ち溢れ、
民が互いに敬い譲るので辰韓の遺民から弁韓、楽浪、倭人に至るまで
恐れ従わないものはいない。でも我が王は謙虚に振舞っている。
私のような下臣を遣わし貴国とよしみを交わそうとするのは
過ぎたる礼ではあるまいか?」
それにもかかわらず大王は
「怒り私を脅すのは何の意味があるのでしょうか?(苦笑い)」
威勢をはってどうしちゃったの?と言わんばかり。
馬韓王(馬鹿王かも)は瓢公(ここう)を殺そうとしたが家臣に
止められて斯盧国へ帰す。
*14年・・・倭人の船団100余艘で海辺に侵入
*59年夏5月・・・倭国と友好を結んで使者を派遣しあった。
*73年・・・倭人が木出島を侵略したので羽烏(うう)を派遣して
防衛させたが戦死してしまった。
*121年夏4月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*123年春3月・・・倭国と和解。
*153年・・・倭人が訪問。
*173年・・・卑弥呼の使者が訪問。
*232年夏4月・・・倭人が金城(新羅の都)を包囲する。
*233年5月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*249年夏4月・・・倭人が干老(新羅の一等官)を殺害。
*287年夏4月・・・倭人が一礼部(場所不明)を襲う。
*289年夏5月・・・倭人が攻めてくるというので戦船と鎧を修理した。
*292年夏6月・・・倭人が沙道城を攻め滅ぼす。
*294年春・・・新羅王いわく
「倭人がしばしば攻めてくるので百姓が安して
暮らせない。百済(朝鮮人)と共に海を渡って
倭国を攻めようと思うが?」
家臣の弘権いわく
「私たちは海戦に慣れていません。
遠征は危険です。まして百済な偽りが多く、
私たちを呑み込もうと野心があるので難しいです。」
王は納得した。
*294年夏・・・倭人が長峯城を攻める。
*300年春正月・・・倭国へ使者を派遣する。
*312年春3月・・・倭国王から使者がきて、
息子がいい年だから嫁を出せと言ってき
たので急里(きゅうり)の娘を倭国に送った。
*344年・・・倭国の使者がやってきてまた婚姻を申し込んできたが
勇気を振り絞って断った。
*346年・・・婚姻拒否に怒ったのか倭人が風島に進軍。金城を包囲して攻撃。
*393年・・・倭人が金城を5日間包囲。
*402年・・・3月に倭国と友好を結び、
17代新羅王 奈コツ王の子、末斯欣(みつしき)を人質に出す。
*紀元前50年・・・倭人が攻めてこようとしたが、
新羅王の始祖に徳があると聞いて引き返していった。
*紀元前20年春2月・・・斯盧国(しろこく)(辰韓)は瓢公(ここう)を
馬韓に派遣する。
馬韓王(朝鮮人)は上から目線で
「辰韓と弁韓は俺たちの属国だろ?貢物もないじゃないか。これが礼儀か?」
瓢公(ここう)は答える
「わが国は建国以来人心が安定しており豊作が続き倉庫は米で満ち溢れ、
民が互いに敬い譲るので辰韓の遺民から弁韓、楽浪、倭人に至るまで
恐れ従わないものはいない。でも我が王は謙虚に振舞っている。
私のような下臣を遣わし貴国とよしみを交わそうとするのは
過ぎたる礼ではあるまいか?」
それにもかかわらず大王は
「怒り私を脅すのは何の意味があるのでしょうか?(苦笑い)」
威勢をはってどうしちゃったの?と言わんばかり。
馬韓王(馬鹿王かも)は瓢公(ここう)を殺そうとしたが家臣に
止められて斯盧国へ帰す。
*14年・・・倭人の船団100余艘で海辺に侵入
*59年夏5月・・・倭国と友好を結んで使者を派遣しあった。
*73年・・・倭人が木出島を侵略したので羽烏(うう)を派遣して
防衛させたが戦死してしまった。
*121年夏4月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*123年春3月・・・倭国と和解。
*153年・・・倭人が訪問。
*173年・・・卑弥呼の使者が訪問。
*232年夏4月・・・倭人が金城(新羅の都)を包囲する。
*233年5月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*249年夏4月・・・倭人が干老(新羅の一等官)を殺害。
*287年夏4月・・・倭人が一礼部(場所不明)を襲う。
*289年夏5月・・・倭人が攻めてくるというので戦船と鎧を修理した。
*292年夏6月・・・倭人が沙道城を攻め滅ぼす。
*294年春・・・新羅王いわく
「倭人がしばしば攻めてくるので百姓が安して
暮らせない。百済(朝鮮人)と共に海を渡って
倭国を攻めようと思うが?」
家臣の弘権いわく
「私たちは海戦に慣れていません。
遠征は危険です。まして百済な偽りが多く、
私たちを呑み込もうと野心があるので難しいです。」
王は納得した。
*294年夏・・・倭人が長峯城を攻める。
*300年春正月・・・倭国へ使者を派遣する。
*312年春3月・・・倭国王から使者がきて、
息子がいい年だから嫁を出せと言ってき
たので急里(きゅうり)の娘を倭国に送った。
*344年・・・倭国の使者がやってきてまた婚姻を申し込んできたが
勇気を振り絞って断った。
*346年・・・婚姻拒否に怒ったのか倭人が風島に進軍。金城を包囲して攻撃。
*393年・・・倭人が金城を5日間包囲。
*402年・・・3月に倭国と友好を結び、
17代新羅王 奈コツ王の子、末斯欣(みつしき)を人質に出す。
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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