■弥生人のルーツ
投稿者: okidokinoa777 投稿日時: 2011/10/16 01:45 投稿番号: [909 / 1430]
三国志魏書弁辰伝・辰韓伝〔三世紀〕
弁辰〔後の任那〕の人々の体格は大きく衣服は清潔で髪は長く伸ばしている。
馬韓〔後の百済〕皆長さ五尺余。その男子時々文身あり。
前漢書地理志
倭人の身長は三、四尺。
倭人〔弥生人〕は縄文人より身長が高いが古代の朝鮮半島人はそれより以上。
倭人〔弥生人〕と朝鮮半島人は別系統か。
>古代の日本には朝鮮半島から土木技術,養蚕,機織り,漢字,仏教,医学
などの新しい文化や技術を持って多くの人たちが渡来してきた。
↑
北ドイツやユートランド半島(デンマーク)からブリテン島に侵入した
5世紀のアングル・サクソン族のような民族の大移動ではない。
>渡来時期を4つに区分すると
Ⅰ 紀元前2世紀頃 弥生時代に日本に定住した。
Ⅱ 5世紀前後 倭の五王の時代,朝鮮半島からの渡来人が多い。
Ⅲ 5世紀後半〜6世紀 今来漢人(いまきのあやひと)が最新技術。
Ⅳ 7世紀 百済・高句麗などから亡命してきた
↑
ⅡⅢⅣは小規模の渡来で日本人の身体的特徴を変えるほどではない。
IⅡⅢⅣには
魏志倭人伝・後漢書東夷伝・三国誌魏書弁辰伝・新羅本紀・百済書記
などには民族の大移動や天皇家の移動の記述がまったくない。
天皇家はかなり古い本流が
権力を古墳時代に急速に拡大した新興勢力に奪われ
6世紀に越中の豪族出に交代されたのだろう=3王朝交代。
ヤマトやオワリの豪族などもかなり古いだろう。
縄文人の身体的特徴を大きく変える渡来は
寒冷化などで縄文人の人口が減少していた
紀元前10世紀頃(縄文晩期)〜紀元前5世紀頃(弥生前期)と
紀元前3世紀頃のミックスではないか。
このミックスが古墳時代に人口爆発したことによって
日本人の身体的特徴を変わった。
★紀元前10世紀頃‐紀元前5世紀頃→小型弥生人
吉野が里遺跡(佐賀県)が紀元前4世紀。
中国江南産の青銅の伝来が紀元前4世紀の説も。
九州北部の稲作水田跡は紀元前5世紀(最新測定法で紀元前10世紀)。
魏略に邪馬台国の民は呉の太祖の末裔であると名乗ったとある。
春秋時代の呉は
紀元前6世紀−紀元前5世紀 越は紀元前6世紀−紀元前4世紀。
日本の皇紀2600年の始まりは紀元前7世紀頃。
秦の中国統一は紀元前8世紀−紀元前3世紀。
★紀元前2世紀頃の青銅を日本に導入した北九州や出雲への渡来や
紀元前3世紀頃の秦人徐福の本州渡来など。
→大型弥生人
紀元前2世紀頃
*今川遺跡(福岡県)日本最初の青銅製品(源流は満州)
朝鮮半島の松菊里遺跡の同型
*早良王国(福岡市)朝鮮半島製と思われる銅剣
*大分県(豊国)の秦王国 ← 秦韓(辰韓) ← 秦
*出雲の神庭荒神谷・加茂岩倉遺跡
天皇家の伝統は収穫祭などの祭祀
神道の締め縄などは稲作文化だ。
皇居には水田もあり天皇陛下が毎年稲を刈られている。
天皇家の多くが自然科学系の学問に習熟されている。
これらは定住型稲作民の気質の表れで
狩猟・騎馬のツングース系とは異なるのでは。
低身長が多い天皇家は
半島を経由したかもしれないが半島系ではないだろう。
高身長の皇族が1人いるが
彼は古墳時代に入り込んだ半島系の遺伝がでているのではないか。
徳川幕府最後の将軍 慶喜も150cmだったそうだ。
(注)魏呉蜀三国時代の呉〔222−280年〕由来の説
3世紀の倭の交流は魏(北朝系)で呉(南朝系)に
倭に関する文献なし=由来がわからない。
◆考えられる稲作伝来ルート
(雲南)→揚子江→日本(北部九州)
(雲南)→揚子江→山東省→朝鮮半島→日本(北部九州)
福井県・石川県・富山県は日本の高身長ベスト10に入っているが
渡来人の末裔だろう。
彼らの先祖は紀元前3世紀〜6世紀の朝鮮半島の動乱で
半島に根付かず南下
対馬海流に乗り九州北部・山口・出雲・丹波・北陸と北上し
上陸定住しながら日本の内陸部へ浸透していったのだろう。
弁辰〔後の任那〕の人々の体格は大きく衣服は清潔で髪は長く伸ばしている。
馬韓〔後の百済〕皆長さ五尺余。その男子時々文身あり。
前漢書地理志
倭人の身長は三、四尺。
倭人〔弥生人〕は縄文人より身長が高いが古代の朝鮮半島人はそれより以上。
倭人〔弥生人〕と朝鮮半島人は別系統か。
>古代の日本には朝鮮半島から土木技術,養蚕,機織り,漢字,仏教,医学
などの新しい文化や技術を持って多くの人たちが渡来してきた。
↑
北ドイツやユートランド半島(デンマーク)からブリテン島に侵入した
5世紀のアングル・サクソン族のような民族の大移動ではない。
>渡来時期を4つに区分すると
Ⅰ 紀元前2世紀頃 弥生時代に日本に定住した。
Ⅱ 5世紀前後 倭の五王の時代,朝鮮半島からの渡来人が多い。
Ⅲ 5世紀後半〜6世紀 今来漢人(いまきのあやひと)が最新技術。
Ⅳ 7世紀 百済・高句麗などから亡命してきた
↑
ⅡⅢⅣは小規模の渡来で日本人の身体的特徴を変えるほどではない。
IⅡⅢⅣには
魏志倭人伝・後漢書東夷伝・三国誌魏書弁辰伝・新羅本紀・百済書記
などには民族の大移動や天皇家の移動の記述がまったくない。
天皇家はかなり古い本流が
権力を古墳時代に急速に拡大した新興勢力に奪われ
6世紀に越中の豪族出に交代されたのだろう=3王朝交代。
ヤマトやオワリの豪族などもかなり古いだろう。
縄文人の身体的特徴を大きく変える渡来は
寒冷化などで縄文人の人口が減少していた
紀元前10世紀頃(縄文晩期)〜紀元前5世紀頃(弥生前期)と
紀元前3世紀頃のミックスではないか。
このミックスが古墳時代に人口爆発したことによって
日本人の身体的特徴を変わった。
★紀元前10世紀頃‐紀元前5世紀頃→小型弥生人
吉野が里遺跡(佐賀県)が紀元前4世紀。
中国江南産の青銅の伝来が紀元前4世紀の説も。
九州北部の稲作水田跡は紀元前5世紀(最新測定法で紀元前10世紀)。
魏略に邪馬台国の民は呉の太祖の末裔であると名乗ったとある。
春秋時代の呉は
紀元前6世紀−紀元前5世紀 越は紀元前6世紀−紀元前4世紀。
日本の皇紀2600年の始まりは紀元前7世紀頃。
秦の中国統一は紀元前8世紀−紀元前3世紀。
★紀元前2世紀頃の青銅を日本に導入した北九州や出雲への渡来や
紀元前3世紀頃の秦人徐福の本州渡来など。
→大型弥生人
紀元前2世紀頃
*今川遺跡(福岡県)日本最初の青銅製品(源流は満州)
朝鮮半島の松菊里遺跡の同型
*早良王国(福岡市)朝鮮半島製と思われる銅剣
*大分県(豊国)の秦王国 ← 秦韓(辰韓) ← 秦
*出雲の神庭荒神谷・加茂岩倉遺跡
天皇家の伝統は収穫祭などの祭祀
神道の締め縄などは稲作文化だ。
皇居には水田もあり天皇陛下が毎年稲を刈られている。
天皇家の多くが自然科学系の学問に習熟されている。
これらは定住型稲作民の気質の表れで
狩猟・騎馬のツングース系とは異なるのでは。
低身長が多い天皇家は
半島を経由したかもしれないが半島系ではないだろう。
高身長の皇族が1人いるが
彼は古墳時代に入り込んだ半島系の遺伝がでているのではないか。
徳川幕府最後の将軍 慶喜も150cmだったそうだ。
(注)魏呉蜀三国時代の呉〔222−280年〕由来の説
3世紀の倭の交流は魏(北朝系)で呉(南朝系)に
倭に関する文献なし=由来がわからない。
◆考えられる稲作伝来ルート
(雲南)→揚子江→日本(北部九州)
(雲南)→揚子江→山東省→朝鮮半島→日本(北部九州)
福井県・石川県・富山県は日本の高身長ベスト10に入っているが
渡来人の末裔だろう。
彼らの先祖は紀元前3世紀〜6世紀の朝鮮半島の動乱で
半島に根付かず南下
対馬海流に乗り九州北部・山口・出雲・丹波・北陸と北上し
上陸定住しながら日本の内陸部へ浸透していったのだろう。
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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