■五世紀 倭の五王
投稿者: okidokinoa777 投稿日時: 2011/10/16 01:14 投稿番号: [897 / 1430]
*讃(北九州)=讃岐(香川県)=誉(大阪府羽曳野市誉町)
誉(ほまれ)は漢読みで讃。
応神天皇=誉田別尊〔ほむたわけのみこと〕。
武運の神 八幡とともに祭られる。
福岡県糟屋郡宇美町生まれ 3世紀の奴国の末裔。
畿内へ武力を持って移動か=河内王朝[③]
讃と珍は親子 讃は珍〔末羅国〕の航海技術と連携か?
*珍=MEZURA=MATSUURA〔松浦〕・MUTSURA〔六浦島〕
・MOZI〔門司〕=
MUDURA〔韓国南岸の珍島〕・MUTIRA〔韓国南岸の三千浦〕
九州北部と朝鮮半島南岸〔後の任那日本府〕に勢力。
3世紀の末羅国〔MAZURA=佐賀県唐津市付近〕の末裔
*済=サイ=斎=斎殿原=西都〔宮崎県西都市〕
西日本最大の古墳群〔3世紀前半−7世紀〕
済は百済(4世紀―七世紀)に関係するのではないか。
桓武天皇の生母である高野新笠 は百済武寧王を遠祖とする
渡来人和氏の出身というのは済王(倭の五王)の流れか?
済が日本書紀の神武の東征
〔日向−豊国−筑紫−安芸−吉備−畿内〕の題材
済と興は親子。
3世紀の邪馬台国・狗奴国など
中南部九州の民が戦乱を避け日向〔宮崎県南部〕に移動したのでは。
*興=オコ=オクシロ屋代〔広島県〕・オオタケ大竹〔広島県〕・
オカヤマ〔岡山県〕
(大竹←オコタケ←興武、興が兄 武は弟)
*武=タケ=竹原〔広島県〕・大竹〔広島県〕・
安芸の国の多 理(タケリ)の宮〔広島県安芸郡府中町〕
武はヤマトタケルノミコトの武勇伝の題材だろう。
宋書には東は毛人を征すること五十五国、
西は衆夷を服すること六十六国とある。
広島を中心に東=畿内・西=九州 と考えるとしっくりする。
出雲は武に滅ぼされたのか?
出雲同様に半島の情勢を知っていた九州勢力は
4世紀後半・5世紀に
畿内に新しい国を建設しようと行動に出た。
→ 讃の東進・済一族の本州上陸〔神武の東征の題材〕。
先住の出雲系に国(本州)を譲らせ権力の交代を起こす。
九州勢力は4世紀に卑弥呼一族・5世紀に三輪王朝を失脚させ
権力の座に着いた可能性が高い。
ヤマトの名は
初の統一国と認識された邪馬台国から採用されたが
天皇家に血族関係がない邪馬台国は歴史上抹殺された。
九州勢力=天皇家=天孫系
北部九州〔奴国+末羅国〕と
南部九州〔邪馬台国の残存+狗奴国=日向〕が
ヤマトで連合政権を樹立=5世紀の倭の五王。
余剰兵力を百済や加羅に住み着いていた倭人のため
朝鮮半島へ出兵させ
百済の要請を受け新羅・高句麗と戦ったのだろう。
6世紀に血筋が遠い継体が天皇になり=近江王朝[③]
7世紀に大和朝廷統一に向かい21世紀まで継続。
継体天皇の父母は越前出身で長江域の越人の末裔ではないのか。
①②③で三王朝説 天皇家は万世一系ではないのではないか。
誉(ほまれ)は漢読みで讃。
応神天皇=誉田別尊〔ほむたわけのみこと〕。
武運の神 八幡とともに祭られる。
福岡県糟屋郡宇美町生まれ 3世紀の奴国の末裔。
畿内へ武力を持って移動か=河内王朝[③]
讃と珍は親子 讃は珍〔末羅国〕の航海技術と連携か?
*珍=MEZURA=MATSUURA〔松浦〕・MUTSURA〔六浦島〕
・MOZI〔門司〕=
MUDURA〔韓国南岸の珍島〕・MUTIRA〔韓国南岸の三千浦〕
九州北部と朝鮮半島南岸〔後の任那日本府〕に勢力。
3世紀の末羅国〔MAZURA=佐賀県唐津市付近〕の末裔
*済=サイ=斎=斎殿原=西都〔宮崎県西都市〕
西日本最大の古墳群〔3世紀前半−7世紀〕
済は百済(4世紀―七世紀)に関係するのではないか。
桓武天皇の生母である高野新笠 は百済武寧王を遠祖とする
渡来人和氏の出身というのは済王(倭の五王)の流れか?
済が日本書紀の神武の東征
〔日向−豊国−筑紫−安芸−吉備−畿内〕の題材
済と興は親子。
3世紀の邪馬台国・狗奴国など
中南部九州の民が戦乱を避け日向〔宮崎県南部〕に移動したのでは。
*興=オコ=オクシロ屋代〔広島県〕・オオタケ大竹〔広島県〕・
オカヤマ〔岡山県〕
(大竹←オコタケ←興武、興が兄 武は弟)
*武=タケ=竹原〔広島県〕・大竹〔広島県〕・
安芸の国の多 理(タケリ)の宮〔広島県安芸郡府中町〕
武はヤマトタケルノミコトの武勇伝の題材だろう。
宋書には東は毛人を征すること五十五国、
西は衆夷を服すること六十六国とある。
広島を中心に東=畿内・西=九州 と考えるとしっくりする。
出雲は武に滅ぼされたのか?
出雲同様に半島の情勢を知っていた九州勢力は
4世紀後半・5世紀に
畿内に新しい国を建設しようと行動に出た。
→ 讃の東進・済一族の本州上陸〔神武の東征の題材〕。
先住の出雲系に国(本州)を譲らせ権力の交代を起こす。
九州勢力は4世紀に卑弥呼一族・5世紀に三輪王朝を失脚させ
権力の座に着いた可能性が高い。
ヤマトの名は
初の統一国と認識された邪馬台国から採用されたが
天皇家に血族関係がない邪馬台国は歴史上抹殺された。
九州勢力=天皇家=天孫系
北部九州〔奴国+末羅国〕と
南部九州〔邪馬台国の残存+狗奴国=日向〕が
ヤマトで連合政権を樹立=5世紀の倭の五王。
余剰兵力を百済や加羅に住み着いていた倭人のため
朝鮮半島へ出兵させ
百済の要請を受け新羅・高句麗と戦ったのだろう。
6世紀に血筋が遠い継体が天皇になり=近江王朝[③]
7世紀に大和朝廷統一に向かい21世紀まで継続。
継体天皇の父母は越前出身で長江域の越人の末裔ではないのか。
①②③で三王朝説 天皇家は万世一系ではないのではないか。
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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