仏教を廃絶した李氏朝鮮時代のアホ子孫
投稿者: beatlejuce44 投稿日時: 2011/04/03 02:49 投稿番号: [157 / 2717]
その生き残り賎民である白丁(ペクチョン)が今の韓国人、日本が中国(当時は清王朝)から朝鮮を独立させて朝鮮併合して工業化、インフラ整備、教育に力を入れた時代に北へ民族大移動をしたのが当時の両班(ヤンバン、リョウハンー日本の武士階級、貴族階級)とカネ持ちだったのである
だから北朝鮮は今でも韓国に対して「お前らは白丁(ペクチョン)やないか」と民族同士で罵りあいを繰り返しているのである、現代の韓国人は皆が「うちは両班(ヤンバン)の出身だ」とホラを言うがそんなことは有り得るワケが無い、李氏朝鮮初期に12%しか存在しなかった両班という特権階級が李氏朝鮮後期には52%にまで記録されている
日本が併合し、日本の敗戦後は「韓国人は皆が両班の子孫や」というアホなことを言い出してるのが今の韓国人やで
もともと朝鮮人が平気でウソをつく、他国籍を名乗る、成りすます、というのはコイツら朝鮮の民族性であって歴史を勉強すれば誰でも分かる
やっと地域支配が落ち着いたのが「三国時代」と言われる高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)の三国時代や、今、高句麗を建国したチュモンを英雄とする朱豪(しゅごう)などがドラマで流れているが、これは当時の三国時代の英雄のドラマである、朱豪(しゅごう)というのは、朝鮮では弓の名手、天才のことで、日本の酒飲みのバカの酒豪とは意味が全くちがう
(・・・しゅご〜い、人なんだ)
真面目に聞きなさい、その三国時代もやがて平穏の時を待たず、朱豪チュモンが建国した高句麗は新羅と唐(中国)の連合軍に敗れて、その後、高麗と名を変えて生き残ろうとし、最後は離島で孤立政権を維持したが崩壊した
百済は日本(倭国)に救いを求めてきた、当時の日本(倭国)は、唐(中国)と高句麗(コウクリョ)の連合軍の勢いに心を悩ましていたが中大兄皇子の提言、「百済と連合を組み高句麗を撃つべし」は却下され、やきもきする日々が続いたが、結局は「百済を救うために戦うべし」に日本(倭国)も時代が移った
そして白村江の戦い(はくそんこう・はくすきのたたかい)となった・・・
(・・・で、どうなったんや、どっちが勝ったんや?)
なんか、しんどなってきた、後は自分で調べろ、歴史を勉強するって疲れるな、ホンマによ
(何の話やねん、そこまで話して急にやめるなや、何やねんオッサン)
焼酎を楽しみながら歴史も楽しむ、俺のライフスタイルや、悪いけど、今日はここまでや
(・・・何やねん、それ、・・・ホンマにワケの分からんオッサンやの・・・)
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