竹島領有をめぐる歴史的経緯を見ると
投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/08/07 22:50 投稿番号: [244 / 444]
両国とも歴史的にそれなりの関わりを持ってきたことがそれぞれの主張の根拠になっているわけですが、両者を比較して、下記のような歴史的経緯から客観的かつ公正に判断すると、竹島が日本固有の領土だと考える根拠は薄く、むしろ韓国領と考えるほうが妥当であると思えます。
【江戸幕府の認識】
鳥取藩自身が「竹島、松島其外両国(因州・伯州)之付属の島 無御座候」(「鳥取藩回答書」)と明言し、竹島、松島は自藩領でないと認めた。幕府も、そこに日本人が住んでいないこと、地理的に因州(因幡国)より朝鮮に近いことなどから、同島は「朝鮮領であり無用の小島」と断じ、96年渡航禁止を決定、対馬藩を通して朝鮮側に伝えられた。
【1905年以前の明治政府の認識】
明治政府は成立早々の1869年、朝鮮の内情調査のため左田白芽ら三人の外務省高官を朝鮮へ派遣した。翌年、左田は報告書『朝鮮国交際始末 内探書』を作成。そこには明確に「松島は竹島の属島であり、朝鮮に附属することにあい成り候」と記された。つまり当時の外務省が松島・竹島が朝鮮領であることを明確にし、江戸幕府の「竹島一件」のてん末を継承し、竹島を朝鮮領と認識していた。
現在の日本政府の主張では、例えば「1905年の島根県への編入」がもっとも主要な根拠として挙げられたりしています。しかし、この事実は逆に、それまで日本領土として認識していなかったということを表していると言えます。
また、すでに実質的な外交権を奪うなど韓国侵略政策が進められていたこの時代のこの措置が正当性を持たないことも明らかです。これを領土権を主張するための主要な根拠として持ち出している時点で説得力を失っています。
1905年以前の明治政府の認識は上に書いたとおりですが、ほかに1877(明治10)年にも明治政府の最高機関である太政官が「日本海内竹島外一島を版図外とする」との指令をだして、やはり松島・竹島は日本領でないとの結論を下しています。
こういった事実は日本でも歴史研究者などから指摘されているのですが、外務省のホームページなどでは意図的に触れられないようになっているみたいで、このような姿勢も日本側の主張に説得力を欠く要因であると感じます。
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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