南北分断後の韓国の騒擾事件。
投稿者: s822konohana 投稿日時: 2012/02/13 14:58 投稿番号: [501 / 621]
1948年4月3日、金達三・李昊済など、韓国・南労党(共産党)幹部連は、北の北労党(金日成の共産党)と連絡を取り合い、済州島の漢拏山に拠って暴動を起こし、官公署襲撃・殺人・放火・強奪等あらゆる騒乱を展開した。
この四・三暴動は九連隊・十一連隊と軍隊の中からも加担する者が多く、長引くうちに、麗順反乱事件に拡大した。
同年十月、ソ連の十月革命を記念して反乱は一気に拡大し、四・三暴動の鎮圧に向かった麗水・順天地区の十四連隊の一大隊が、反乱軍に加担するという事態までになった。
韓国政府は光州に戦闘司令部を設置し、宋虎声准将を司令官として艦艇・航空機を動員した掃蕩作戦を展開し、同月二十五日、麗水・順天を奪還して、作戦を終了させた。この騒乱では、済州島四・三暴動で三万名、麗順反乱事件で十五万名の死者を出した。
事件後、南労党出身者の残党は北朝鮮に亡命したが、金日成は、米国のスパイという罪名で彼らを粛清(皆殺し)した。その数は二十万名とも言われている。
極寒にも負けず、吹雪のまう山中での生活を厭わず、ただただ共産主義とその代表である金日成に忠誠を尽くした者どもを、容赦なく虐殺処分した金日成には、哲学・歯槽などは全くない。彼が目指していた物は、李氏朝鮮のような世襲王国を再建することのみであった。彼は、なるべく多数を虐殺する事が「愛国」行為であると公然と宣言した。
人民を蝿の命と同じに軽く扱い、人殺しを人民のためだとうそぶいた。したがって多くの人々は、日韓併合時代を振り返り懐かしがった。
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