南朝鮮がパラオにしたことと言えば、例の、
投稿者: nomosuke4647 投稿日時: 2012/12/27 10:35 投稿番号: [5471 / 6303]
>パラオ本島とコロール島の間に約200メートルの橋が架かっています。
これがKBブリッジです。
実はこの橋は1996年に一度崩落しているのです。
KBブリッジは、「Koror-Babeldaob Bridge」 の名前のとおり首都コロール島と空港のあるバベルドアブ島を繋ぐ橋で、島国パラオの交通の要衝として1977年に開通しました。
建設するにあたり日本の鹿島建設も見積りを出したのですが、南朝鮮の会社が日本の半額で落札し、工事を行いました。
ところがこれがひどい手抜き工事だったようです。
コンクリートの固め方でさえでたらめだった。と言いますから恐ろしい限りです。
その様子をつぶさに見ていた現地住民は当初からこの橋に不安を抱いていたようで、車で橋を渡るときは、もし海に落ちてもすぐ逃げられるように、
と必ず窓を開けていたそうです。
また、竣工直後から橋の中央部がたわみはじめ、15tだった通過制限重量がすぐに
10tにまで減らされました。
このたわみはやがて、通過する時おかしな揺れを体感できるほどに大きくなり、崩落事故の起きる頃には、徐行運転で渡るほかないという状態に陥っていたのです。
そして1996年9月28日、悪夢は現実となります。
橋が完成してから19年目…KBブリッジは突如真っ二つに折れ海に突き刺さりました。
たまたま通行車両の少ない時間帯だったのですが、1名死者も出てしまいました。
橋の内部には電線、水道、電話線が通されていたため、パラオのライフラインは分断され首都機能は麻痺。
一時は国家非常事態宣言も出されました。この時、パラオと姉妹都市の三重県からはコンテナ空輸で飲料水が運ばれています。
パラオ政府は、すぐに橋を造った韓国の業者に賠償請求しようとしたのですが、この時すでにこの会社は解散していて、手がかりすらなかったそうです。
これは一体どういうことなのでしょう?
実は、この建設会社は1994年にソウルで崩落した橋を施工した業者でもあったというのです。
ともかく途方に暮れるばかりのパラオ政府だったのですが、
その橋を日本が仮設橋の建設を援助し、日本のODA政府開発援助により約30億円の新たな橋を無償で架ける事になりました。
施工にあたったのは因縁の鹿島建設です。工事中、現地の人達は「カシマ」という言葉を覚え、日本人を見掛けると「ありがとうカシマ」と声をかける子供もいたそうです。
太陽の国 日本(東南アジアではそう言われている)はその後つり橋を無償で造りました。
もともと南朝鮮にはつり橋を作る技術もないので自国の仁川国際空港のあのつり橋も日本で設計してやり造ってあげました。
でも恐らく朝鮮人には知らされて無いでしょう。
実に5年の年月をかけ、橋は完成しました。2002年1月11日、開通式典が開かれ、
橋の新しい正式名称が発表されました。
その名も「Japan−Palau friendship bridge」
太平洋上を走るこの橋は、3000kmの距離を越えてパラオと日本に新たな時代の
友情を結ぶ、「友好の橋」なのです。
これがKBブリッジです。
実はこの橋は1996年に一度崩落しているのです。
KBブリッジは、「Koror-Babeldaob Bridge」 の名前のとおり首都コロール島と空港のあるバベルドアブ島を繋ぐ橋で、島国パラオの交通の要衝として1977年に開通しました。
建設するにあたり日本の鹿島建設も見積りを出したのですが、南朝鮮の会社が日本の半額で落札し、工事を行いました。
ところがこれがひどい手抜き工事だったようです。
コンクリートの固め方でさえでたらめだった。と言いますから恐ろしい限りです。
その様子をつぶさに見ていた現地住民は当初からこの橋に不安を抱いていたようで、車で橋を渡るときは、もし海に落ちてもすぐ逃げられるように、
と必ず窓を開けていたそうです。
また、竣工直後から橋の中央部がたわみはじめ、15tだった通過制限重量がすぐに
10tにまで減らされました。
このたわみはやがて、通過する時おかしな揺れを体感できるほどに大きくなり、崩落事故の起きる頃には、徐行運転で渡るほかないという状態に陥っていたのです。
そして1996年9月28日、悪夢は現実となります。
橋が完成してから19年目…KBブリッジは突如真っ二つに折れ海に突き刺さりました。
たまたま通行車両の少ない時間帯だったのですが、1名死者も出てしまいました。
橋の内部には電線、水道、電話線が通されていたため、パラオのライフラインは分断され首都機能は麻痺。
一時は国家非常事態宣言も出されました。この時、パラオと姉妹都市の三重県からはコンテナ空輸で飲料水が運ばれています。
パラオ政府は、すぐに橋を造った韓国の業者に賠償請求しようとしたのですが、この時すでにこの会社は解散していて、手がかりすらなかったそうです。
これは一体どういうことなのでしょう?
実は、この建設会社は1994年にソウルで崩落した橋を施工した業者でもあったというのです。
ともかく途方に暮れるばかりのパラオ政府だったのですが、
その橋を日本が仮設橋の建設を援助し、日本のODA政府開発援助により約30億円の新たな橋を無償で架ける事になりました。
施工にあたったのは因縁の鹿島建設です。工事中、現地の人達は「カシマ」という言葉を覚え、日本人を見掛けると「ありがとうカシマ」と声をかける子供もいたそうです。
太陽の国 日本(東南アジアではそう言われている)はその後つり橋を無償で造りました。
もともと南朝鮮にはつり橋を作る技術もないので自国の仁川国際空港のあのつり橋も日本で設計してやり造ってあげました。
でも恐らく朝鮮人には知らされて無いでしょう。
実に5年の年月をかけ、橋は完成しました。2002年1月11日、開通式典が開かれ、
橋の新しい正式名称が発表されました。
その名も「Japan−Palau friendship bridge」
太平洋上を走るこの橋は、3000kmの距離を越えてパラオと日本に新たな時代の
友情を結ぶ、「友好の橋」なのです。
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