竹島の日 政府式典見送り方針

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

東京満蒙開拓団

投稿者: satanpazuzu 投稿日時: 2012/12/26 00:31 投稿番号: [4474 / 6303]
●東京満蒙開拓団・・・見捨てられた困窮者

私が暮らす東京・品川区に武蔵小山という商店街がある。

かつてここから多くの人が満洲へ渡ったため、古い住民はあまり残っていないと昔母から聞かされ、衝撃を受けた。

本書は大田、品川区を中心に地域運動をする市民グループが、東京満蒙開拓団の実態を調査した記録だ。

東京から満洲へ最初に送られたのは1932年、深川の埋立地にある無料宿泊所「天照園」の「ルンペン・プロレタリアート」たち。

満洲に「ルンペン村」を建設しようというのだ。

1929年の世界恐慌で東京は失業者で,あふれていた。

「最後的生活」から彼らを救出しようという社会事業団体の情熱は、
困窮者を満洲移民に利用しようとする国策にからめとられ、
彼らは手始めとして「耐久力試験のモルモット」にされた。

その後も労働者を開拓移民として満洲に送るため、
各地に農業訓練所が作られていく。

1941年以降は転業者が標的になった。

戦時経済態勢強化のため、軍需産業以外の「平和産業」を担う中小商工業者は廃業を余儀なくされ、生活が立ちゆかなくなった。

最大だったのが千人以上を送り出した、武蔵小山商店街ぐるみの「荏原郷開拓団」である。

募集要項にはこう書かれていた。

「大勢の商業者は不要です。(中略)転廃業者は工場で武器を造る或は食糧を作るか道は唯二つあるのみです」

戦争末期は、米軍による空襲の被災者が「満洲疎開」と称して送り出される。

最後の開拓団が満洲の牡丹江駅に到着したのは、ソ連軍が目前に迫った8月8日真夜中だった。

  連綿と繰り返されたのは、よりよい暮らしを願う人々の思いにつけこんで国策として満洲へ送り、最後は見捨てる構図だ。

リーマンショックに端を発した不況による派遣切り。

貧困層の増加。

豊かな生活を求めて原発を受け入れ、事故で避難を余儀なくされた人々……。

現在と合わせ鏡ではないかと思い至り、戦慄した。

いまこの歴史を知ることには大きな意義がある。




★   戦後のドミニカ移民政策でも多くの日本人が犠牲に成った。

日本政府や官僚は   綺麗事を並べ立てては国民を騙して酷い目に遭わすんだな。

要するになぁ〜   日本では日本人なんか要らないんだよ!

それなのに   やれ少子化だとか言ってれば   バカが繁殖しまくるんだな。

で、繁殖の先に有るのは地獄なんだな。

人口が多けりゃ仕事に、あぶれる。

で、移民政策とかで国から放り出されるのさ。

現在でも形は違えど、余りまくった日本国民への日本政府の対応は
酷いと思うね。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)