Re: 韓国、百済の木製品の材料が日本産…な
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2010/02/26 12:03 投稿番号: [506 / 1266]
>百済の最後の首都、扶余で発掘された木製品に日本列島だけに自生する杉が多数使われたことが確認された。
捏造ばかりの日本古代史の中で、日本軍が百済に行ったという完璧な証明になるな。(猛爆)
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白村江の戦い
660年(斉明天皇6年)に、唐・新羅連合軍の攻撃によって百済は攻め滅ぼされた。こののち、百済の遺臣は鬼室福信・黒歯常之らを中心として百済復興の兵をあげ、倭国に滞在していた百済王の太子豊璋王を擁立しようと、倭国に救援を要請した。これは倭国が百済への影響力を増大させることを意味していたが、百済再興の為には古くからの同盟国である倭国の助けが不可欠だった。
中大兄皇子はこれを承諾し、661年に斉明天皇は九州へ出兵するも邦の津にて急死した(暗殺説あり)。斉明天皇崩御にあたっても皇子は即位せずに称制し、朴市秦造田來津(造船の責任者)を司令官に任命して全面的に支援した。この後、倭国軍は三派に分かれて朝鮮半島南部に上陸した。
第一派:1万余人。船舶170余隻。指揮官は安曇比羅夫。豊璋王を護送する先遣隊。661年5月出発。
第二派:2万7千人。軍主力。指揮官は上毛野君稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)。662年3月出発。
第三派:1万余人。指揮官は廬原君。
これは メッセージ 503 (ftg_algernon さん)への返信です.
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