竹島の日式典 韓国政府「遺憾」

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抱腹絶倒 日本外務省10のポイント

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/02/25 09:32 投稿番号: [296 / 1266]
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/pdfs/pmp_10issues.pdf

現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤せきすい水の「改正日本輿よち地路ろてい程全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。

↑こんなことをしら〜っと書いてる日本の外務省を恥だと思わない日本国民はほんと無知ですね。

「古くから承知していた」って、17世紀初頭に暴風雨で漂流した大谷家の船が偶然   鬱陵島に漂着したことで初めて日本人が鬱陵島を確認したのです。

大和朝廷成立から1300年以上経過した17世紀初頭の、ほんの380年前の話です。それまで日本は、鬱陵島はもちろん独島の存在を知らなかったのが事実。日本人漂流者が鬱陵島に漂着する約90年前に朝鮮国で編纂された『新増東国輿地勝覧』には次のように書かれている。

一に武陵という。一に羽陵という。二島は県の真東の海中にある。三峰が高くけわしく空にそびえている。南の峯はすこし低い。天候が清明なら峯のてっぺんの樹木やふもとの砂浜や渚を歴々と見ることができる。風にのれば、二日で到着できる。一説によると于山、欝陵島は本来一島という。その地の大きさは百里である。

日本の外務省のパンフレットにも掲載されている「八道総図」はこの『新増東国輿地勝覧』の付属地図です。この地図には鬱陵島の西側に于山島が描かれており、現在独島博物館に石碑レリーフとして展示されています。

実際の位置関係とは違いますが、「八道総図」の目的、作製方法、当時の測量精度などを考慮すれば二島の位置の違いは問題にするようなことではありません。

ちなみに同時代の日本の代表的な地図として(八道総図が描かれた50年後)安土桃山時代に描かれた「日本地図屏風」があります。この地図では対馬より隠岐島が大きく描かれていて、紀伊半島は九州よりも大きく、房総半島の東には対馬よりはるかに巨大な島が二つ描かれています。さらに山口県から能登半島にかけては一直線で、その延長線に津軽が描かれており、隠岐島のすぐ近くにはユーラシア大陸が広がっています。

当時の地図に現代のような精度を求めること自体が間違いなのです。ところが日本外務省のHPには自国の地図の不正確さは棚に上げて「八道総図」が精度を欠くので朝鮮国の独島領有の根拠とはならないと記載されています。日本外務省の見解なんてこんな程度なんですよ。
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