エベンキ族の「アリラン」の歌を盗む朝鮮人
投稿者: ftg_algernon 投稿日時: 2012/08/10 02:17 投稿番号: [303 / 914]
●韓国「アリラン」世界遺産化,南北共同で推進
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1325238911/
↑↑韓国人の出自はエベンキ族?
http://d.hatena.ne.jp/jmwjow38/20110901/1314889847
朝鮮族とツングース系の代表民族であるエベンキ族…,
エベンキ族と共通の風習,神話,歌,言葉などから「朝鮮族」は同じ流れと分かる。馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は,遠くの人々を懐かしむ「アリラン(迎える),スーリ(感じとる)」。
朝鮮のアリランには「アーリアリラン,スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。アリランという言葉,スーリも意味不明と言ってるが,エベンキの言葉では意味はハッキリしている。
朝鮮とエベンキ,ワイ族には,棒を立てたソッテ,トーテムポールのチャンスンが共通。中国や日本にはない。エベンキ族と朝鮮でだけ見られる。
チャンソン
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2049m.jpg
韓国のソッテという鳥のトーテム
http://www.lifeinkorea.com/Images/Changseung/bAnd610.jpg
http://www.lifeinkorea.com/Images/Changseung/bjangseung1.jpg
エベンキ族の鳥のトーテム
http://www.sfu.ca/archaeology/museum/russia/new030.jpg
http://www.sfu.ca/archaeology/museum/russia/new035.jpg
《衝撃!2千年前には半島に朝鮮族はいなかった?》
韓国(朝鮮)人以外の普通の考古学者の分析では…,
中国の「三国志(魏,呉,蜀)」時代(紀元後3世紀頃)に,朝鮮半島には国家は無く「楽浪郡」「帯方郡」といった,中国の一地方であったというのが定説である。又,朝鮮半島には中国地方官僚の墓や古代人の支石墓は多数あれど王墓(古墳)と呼べるしっかりしたものは4,5世紀になる迄無い…。
※Wikipediaで,箕子,衛満,公孫度,楽浪郡,帯方郡,又,広開土王碑,任那日本府,白村江の戦い,扶余豊璋,等を参照して下さい。
銅鐸,銅鏡などの発掘物は日韓で必ずしも一致しておらず,むしろ後漢時代は日中間(例えば呉の獣神鏡)で共通だったり,また朝鮮半島からは見つからない発掘物も多い。
■高句麗や夫余は,古代中国の都を襲ったりしていたが,本拠地は中国の遼寧や吉林省である。(高句麗は,4世紀に楽浪郡の平壌(北朝鮮)を襲い都とした)
コリア→高麗→高句麗で,朝鮮族の祖先を仮に高句麗とするなら,朝鮮族の祖先は高句麗の更に祖先の「夫余(フヨ)」という事になる。
■朝鮮族の祖先は,万里の長城の外側から中国の都(北京)を襲って回っていた東胡,鮮卑,烏桓,夫余,高句麗,女真などの盗賊的騎馬民族ではないだろうか?
(古代朝鮮王朝の伝説の始祖の檀君の生まれは白頭山。また金(キム)姓は黒龍江の女真族(穢,ワイ)出身。高句麗の始祖も中国内地の夫余族の生まれと言われる。又,父系Y遺伝子的にも周辺民族の中国河北人や満州人やモンゴル人と大差ない血統。
本来,朝鮮族のルーツは遼寧半島や白頭山周辺,或はその以北の蛮族にあり,実は半島の外来種である可能性が高いのではないだろうか。
彼らは竹島(独島)を不法占拠するよりも,中国の遼寧や吉林,黒龍江を襲って朝鮮族の故郷とすべき。その方が余程正当性がある。
■又,三国志時代の朝鮮半島の南部には,『大韓民国(韓国)』の名前の由来になった,馬韓,辰韓,弁韓(弁辰)の「三韓」が存在した。(後に倭と共に魏の地方行政機関「帯方郡」に編入)
●『三国志魏書』馬韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
が,三国志魏書,後漢書等によると,馬韓の王(村長?)が 秦(中国)の逃亡者に土地を分け与えたり,倭人や倭人系譜土着土人(刺青風習)が自由に出入りし暮らしている様子等から,当時の半島南部地域は,王様の支配力が弱い空き地だらけの僻地であった様である。
(アイヌやインディアンの様に)元々は倭や系譜土人が住んでいた土地を,後からやって来た中国人の箕子,衛満,更に次々と流入してきた中国人難民が勝手に占拠(入植)した…という事ではないだろうか。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1325238911/
↑↑韓国人の出自はエベンキ族?
http://d.hatena.ne.jp/jmwjow38/20110901/1314889847
朝鮮族とツングース系の代表民族であるエベンキ族…,
エベンキ族と共通の風習,神話,歌,言葉などから「朝鮮族」は同じ流れと分かる。馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は,遠くの人々を懐かしむ「アリラン(迎える),スーリ(感じとる)」。
朝鮮のアリランには「アーリアリラン,スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。アリランという言葉,スーリも意味不明と言ってるが,エベンキの言葉では意味はハッキリしている。
朝鮮とエベンキ,ワイ族には,棒を立てたソッテ,トーテムポールのチャンスンが共通。中国や日本にはない。エベンキ族と朝鮮でだけ見られる。
チャンソン
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2049m.jpg
韓国のソッテという鳥のトーテム
http://www.lifeinkorea.com/Images/Changseung/bAnd610.jpg
http://www.lifeinkorea.com/Images/Changseung/bjangseung1.jpg
エベンキ族の鳥のトーテム
http://www.sfu.ca/archaeology/museum/russia/new030.jpg
http://www.sfu.ca/archaeology/museum/russia/new035.jpg
《衝撃!2千年前には半島に朝鮮族はいなかった?》
韓国(朝鮮)人以外の普通の考古学者の分析では…,
中国の「三国志(魏,呉,蜀)」時代(紀元後3世紀頃)に,朝鮮半島には国家は無く「楽浪郡」「帯方郡」といった,中国の一地方であったというのが定説である。又,朝鮮半島には中国地方官僚の墓や古代人の支石墓は多数あれど王墓(古墳)と呼べるしっかりしたものは4,5世紀になる迄無い…。
※Wikipediaで,箕子,衛満,公孫度,楽浪郡,帯方郡,又,広開土王碑,任那日本府,白村江の戦い,扶余豊璋,等を参照して下さい。
銅鐸,銅鏡などの発掘物は日韓で必ずしも一致しておらず,むしろ後漢時代は日中間(例えば呉の獣神鏡)で共通だったり,また朝鮮半島からは見つからない発掘物も多い。
■高句麗や夫余は,古代中国の都を襲ったりしていたが,本拠地は中国の遼寧や吉林省である。(高句麗は,4世紀に楽浪郡の平壌(北朝鮮)を襲い都とした)
コリア→高麗→高句麗で,朝鮮族の祖先を仮に高句麗とするなら,朝鮮族の祖先は高句麗の更に祖先の「夫余(フヨ)」という事になる。
■朝鮮族の祖先は,万里の長城の外側から中国の都(北京)を襲って回っていた東胡,鮮卑,烏桓,夫余,高句麗,女真などの盗賊的騎馬民族ではないだろうか?
(古代朝鮮王朝の伝説の始祖の檀君の生まれは白頭山。また金(キム)姓は黒龍江の女真族(穢,ワイ)出身。高句麗の始祖も中国内地の夫余族の生まれと言われる。又,父系Y遺伝子的にも周辺民族の中国河北人や満州人やモンゴル人と大差ない血統。
本来,朝鮮族のルーツは遼寧半島や白頭山周辺,或はその以北の蛮族にあり,実は半島の外来種である可能性が高いのではないだろうか。
彼らは竹島(独島)を不法占拠するよりも,中国の遼寧や吉林,黒龍江を襲って朝鮮族の故郷とすべき。その方が余程正当性がある。
■又,三国志時代の朝鮮半島の南部には,『大韓民国(韓国)』の名前の由来になった,馬韓,辰韓,弁韓(弁辰)の「三韓」が存在した。(後に倭と共に魏の地方行政機関「帯方郡」に編入)
●『三国志魏書』馬韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
が,三国志魏書,後漢書等によると,馬韓の王(村長?)が 秦(中国)の逃亡者に土地を分け与えたり,倭人や倭人系譜土着土人(刺青風習)が自由に出入りし暮らしている様子等から,当時の半島南部地域は,王様の支配力が弱い空き地だらけの僻地であった様である。
(アイヌやインディアンの様に)元々は倭や系譜土人が住んでいた土地を,後からやって来た中国人の箕子,衛満,更に次々と流入してきた中国人難民が勝手に占拠(入植)した…という事ではないだろうか。
これは メッセージ 288 (algernon さん)への返信です.
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