「李承晩ライン」が引かれた経緯
投稿者: eljadida1000 投稿日時: 2011/08/06 10:59 投稿番号: [896 / 2471]
>条約の効力発生前に朝鮮がライン引いたんだ。へー
「サンフランシスコ講和条約」の調印(1951年9月8日)と「サンフランシスコ講和条約」の発効(1952年4月28日)の間隙を縫い、李承晩は1952年1月18日に、突如「李承晩ライン」を引き、「竹島」を取り込んだのである。
つまり李承晩は、日本が「主権」を回復してしまったら手遅れと考え、その直前に「李承晩ライン」を強引に設定したということ。
もちろん「日本政府」は即日、これに厳重に抗議し、「李承晩ラインは、認められない」との声明を出した。
>日本国は,朝鮮の独立を承認して,済州島,巨文島及ぴ鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。
李承晩は、はじめ「済州島、巨文島、鬱陵島、対馬、波浪島、竹島を含む・・・」と6島の名前を韓国領土として列挙するよう求めたが、アメリカからまず対馬を拒否され、次に波浪島は単なる暗礁であり島ではないという理由で拒否され、さらに竹島についても調査の結果韓国領土ではないということで拒否された。
李承晩は、「サンフランシスコ講和条約」に戦勝国の一員として参加したいとの意向も示していたが、「連合国」が韓国を戦勝国と認めず、ついに李承晩は火病を起こし、発作的に何の根拠にも基かない「李承晩ライン」の設定を宣言したともいわれている。
これは メッセージ 887 (pururunnrunnrunn さん)への返信です.
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