Re: カルト教団自民党議員
投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2011/08/08 22:44 投稿番号: [2360 / 2471]
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5月19日に衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決され、続いて5月20日に衆議院本会議を通過した。
委員会採決では、自民党は座り込みをする社会党議員を排除するため、右翼などから屈強な青年達を公設秘書として動員し、警官隊と共に社会党議員を追い出しての採決であった。
これは、6月19日に予定されていたアイゼンハワー大統領訪日までに自然成立させようと採決を急いだものであった。
本会議では社会党・民社党議員は欠席し、自民党からも強行採決への抗議として石橋湛山、河野一郎、松村謙三、三木武夫らが欠席、あるいは棄権した。
その結果、「民主主義の破壊である」として一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、闘争も次第に激化の一途をたどる。
反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。
これに対して岸信介は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暗黒街の親分衆の会合に派遣。
松葉会会長・藤田卯一郎、錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光、「新宿マーケット」のリーダーで関東尾津組組長・尾津喜之助ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。
さらに、三つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。一つは岸自身が1958年に組織した木村篤太郎率いる新日本協議会、右翼とヤクザで構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会である。
当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。
岸は創価学会にも協力を依頼したが、これは断られたという[3]。
彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。
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あんたたちは、こうまでして国を守った岸一族が憎くて仕方ないんでしょう??
これは メッセージ 2356 (dd0pp00 さん)への返信です.
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