Re: <天皇家は日本人>?
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/08/01 00:21 投稿番号: [516 / 2236]
★小沢氏の迷妄を憂える★
渡部昇一書下ろしニュースレター 平成22年4月16日
昨年12月、民主党の小沢一郎幹事長は韓国を非公式に訪問、
ソウルにある私立の国民大学で日本学研究所の学生約300人を前に講演した。
どんな話をしたのかと思い資料を取り寄せてみると、
これが唖然呆然、デタラメもいいところなのである。
講演では、日本の朝鮮半島植民地支配を謝罪し、
しかし、長い目で歴史を見れば日韓は一体であるとして、いくつかの例を挙げる。
一方的に謝罪したことは厳しく糾弾されなければならないが、それはいずれ、
ということにして、ここでは小沢氏が述べた日韓の歴史を見ることにする。
朝鮮半島からやってきた騎馬民族が日本を征服して王朝を建てたのが
大和朝廷であるというのは歴史的事実だろう、と小沢氏は言う。
これは言うまでもなく、東大教授にして文化勲章受章者の江上波夫氏が唱えた
騎馬民族征服王朝説をなぞったものである。
それにしてもすでに誤りであることが確立され、
埃をかぶっていた学説をもちだしたものである。
江上氏の騎馬民族説が世に出たのは、昭和49年である。
これは本にもなり、その発想が面白がられたのだろう、一時期ブームになった。
私にも記憶がある。
当時、文藝春秋新社9階で毎月、日本文化会議の懇話会が行われていた。
江上氏も講演し、騎馬民族説を述べた。
私はそれを聴いていて、大和朝廷は騎馬民族の王朝だというが、
古事記日本書紀に馬に乗った天皇が出てこないのはなぜか、と質問した。
「そう、出てこない ? それは困ったな」というのが江上氏の返事だった。
江上氏は「困ったな」を連発し、はっきりした答えがないまま終わってしまった。
その会は必ず談話録を出すことになっていた。
だが、江上氏はこれを拒否、談話録は出されずじまいになった。
江上氏自身が自説のいい加減さを自覚していたのだろう。
後に考古学者の佐原真氏がこの学会の大御所に真っ向から反論、
『騎馬民族は来なかった』という本まで出したが、
江上氏からはかばかしい反論はなかった。
それだけではない。
小沢氏は、古代朝鮮の新羅や百済と同じ言葉を大和朝廷は使っていた、とさえ言う。
新羅や百済からやってきた使節が朝廷と会談しているが、
文献に通訳の記載がないのがその証拠、というわけである。
これまた、デタラメである。
日本書紀には通訳の名前まで記されていて、通訳がいたことははっきりしているのだ。
それにそもそも、いまでも外国の使節が皇居を表敬訪問するが、
いちいち通訳の存在を表に出したりしない。これは当たり前のことではないか。
つづく
渡部昇一書下ろしニュースレター 平成22年4月16日
昨年12月、民主党の小沢一郎幹事長は韓国を非公式に訪問、
ソウルにある私立の国民大学で日本学研究所の学生約300人を前に講演した。
どんな話をしたのかと思い資料を取り寄せてみると、
これが唖然呆然、デタラメもいいところなのである。
講演では、日本の朝鮮半島植民地支配を謝罪し、
しかし、長い目で歴史を見れば日韓は一体であるとして、いくつかの例を挙げる。
一方的に謝罪したことは厳しく糾弾されなければならないが、それはいずれ、
ということにして、ここでは小沢氏が述べた日韓の歴史を見ることにする。
朝鮮半島からやってきた騎馬民族が日本を征服して王朝を建てたのが
大和朝廷であるというのは歴史的事実だろう、と小沢氏は言う。
これは言うまでもなく、東大教授にして文化勲章受章者の江上波夫氏が唱えた
騎馬民族征服王朝説をなぞったものである。
それにしてもすでに誤りであることが確立され、
埃をかぶっていた学説をもちだしたものである。
江上氏の騎馬民族説が世に出たのは、昭和49年である。
これは本にもなり、その発想が面白がられたのだろう、一時期ブームになった。
私にも記憶がある。
当時、文藝春秋新社9階で毎月、日本文化会議の懇話会が行われていた。
江上氏も講演し、騎馬民族説を述べた。
私はそれを聴いていて、大和朝廷は騎馬民族の王朝だというが、
古事記日本書紀に馬に乗った天皇が出てこないのはなぜか、と質問した。
「そう、出てこない ? それは困ったな」というのが江上氏の返事だった。
江上氏は「困ったな」を連発し、はっきりした答えがないまま終わってしまった。
その会は必ず談話録を出すことになっていた。
だが、江上氏はこれを拒否、談話録は出されずじまいになった。
江上氏自身が自説のいい加減さを自覚していたのだろう。
後に考古学者の佐原真氏がこの学会の大御所に真っ向から反論、
『騎馬民族は来なかった』という本まで出したが、
江上氏からはかばかしい反論はなかった。
それだけではない。
小沢氏は、古代朝鮮の新羅や百済と同じ言葉を大和朝廷は使っていた、とさえ言う。
新羅や百済からやってきた使節が朝廷と会談しているが、
文献に通訳の記載がないのがその証拠、というわけである。
これまた、デタラメである。
日本書紀には通訳の名前まで記されていて、通訳がいたことははっきりしているのだ。
それにそもそも、いまでも外国の使節が皇居を表敬訪問するが、
いちいち通訳の存在を表に出したりしない。これは当たり前のことではないか。
つづく
これは メッセージ 513 (datsukanryo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/200000230/4z9qbcabl15d0wa4nffe9qga7a4aa4ba_1/516.html