実は朝鮮民族なんて民族は元々はいない。①
投稿者: ftg_algernon 投稿日時: 2011/07/29 14:40 投稿番号: [198 / 2236]
①古代中国にいた穢や夫余は何処へ消えた?
現代朝鮮人の祖先は「穢(ワイ)」か?
●三省堂 大辞林より
わいばく 【□貊/穢貊】
古代、中国東北部から朝鮮北東部にかけて居住していた種族。ツングース系といわれ、狩猟、牧畜を主とし農耕も行なっていた。その中から夫余(ふよ)、高句麗などが出た。〔□貊は「かいはく」とも読む〕
●ワイ人(穢)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AF%E3%82%A4%E4%BA%BA&oldid=37371915
口(わい、口音:Hu口)とは、古代の中国東北部及び朝鮮半島北東部に存在した民族。
(※□の字は「穢」の「禾(のぎへん)」が「さんずい」)
◇目次
1 二つの口
2 文字表記と読み方
3 前二世紀、中国東北部の口
4 口人の四分化
4.1 前漢代
4.2 後漢代
5 後三世紀の江原道の口 民族系統
6.1 ツングース説
6.2 朝鮮民族説
6.3 倭人同系説
6.4 古アジア語族説
6.5 中国民族説
7 その他
8 注釈
◇二つの口
後三世紀の口貊、沃沮、高句麗、夫余の四種族の前身[要出典]と、三世紀の韓国江原道にいた「口(口貊)」は前漢代の中国東北部に口の後裔と思われる。
◇文字表記と読み方
口は「穢」とも書き(草冠をつけることもある)「わい」とも「かい」とも読む(「かい」の方がより正しいとの説もある[要出典])。「穢(けが)れる、穢(きた)ない」などの意味をもつ文字で書かれたのは、異民族に対する中華王朝蔑称ともみえるが、音は何らかの自称名を写したものであろう。一説に、前二世紀の中国東北部の「口」は「かい」、後三世紀の韓国江原道の「口」は「わい」と読む。
◇前二世紀、中国東北部の口
口は、吉林省の西部から北朝鮮北東部、韓国江原道にかけて存在した古代の種族。「口貊」は二文字で一つの種族の名とする説、口と貊の二種族を連称したとの説などがあったが、「色々な口人の中の貊という特定の種族」の意と考えるのが有力。古代日本では「狛」を「こま」と呼んでいたが、これは「口貊(かいまく)」の訛りとする説があったが現在は否定されている。
戦国時代、現在の吉林省長春市の辺りに口(わい)の名が現れる。秦時代、口の名が消えて「夫余」(ふよ)が代わって登場するがこれは遡って呼んだものであろう。
○紀元前134年、前漢の武帝は口州を取らんとして城邑を築いた。
○紀元前128年冬、口君南閭ら(口長の「南閭」たち)が二十八万もの口人を率いて投降、その地に「蒼海郡」を設置
○紀元前126年春、蒼海郡を廃止。この時、現地の首長(南閭か?)に「口王之印」を授けて独立を認めたらしい。
○紀元前134年〜紀元前126年の9年間は漢帝国と口人の戦いが継続していたのではないとみる説もある。
○紀元前108年、衛氏朝鮮を滅ぼしその跡地に楽浪郡を、周辺に真番、臨屯の二郡を設置。このうち臨屯郡は現在の韓国江原道にあたり、口人の居住地の一部(最東端)だった。
◇口人の四分化
前漢代
○紀元前107年、玄菟郡を設置。この時「口王之印」を所持した口人の政権は北へ逃亡し「鹿山」の地に依って「夫余国」を建てた。夫余とは口人の言葉で鹿の意味だという。
○紀元前82年、真番郡、臨屯郡が廃止。臨屯郡の跡地は口人の首長たちを多くの「県侯」に任じて治めさせたと思われる。
○紀元前75年、玄菟郡が西へ縮小移転(第二玄菟郡という)され、日本海沿岸部(咸鏡道)は放棄され、「沃沮」として独立。
○紀元前59年、玄菟郡はさらに西方へ縮小移転を開始し、中国と朝鮮の国境山岳部も放棄され、「高句麗」として独立。
ここにおいて口人は、口貊(韓国、北朝鮮江原道)、沃沮(北朝鮮咸鏡道+中国吉林省延吉朝鮮族自治州琿春市+中国黒竜江省牡丹江市東寧県東部+ロシア沿海地方ラズドリナヤ川以南)、高句麗(北朝鮮慈江道+北朝鮮両江道+中国吉林省南部)、夫余(中国吉林省北部)の四つに分かれるとになった。この四種族を「口系種族」または「夫余系種族」とよぶ。
…続く
現代朝鮮人の祖先は「穢(ワイ)」か?
●三省堂 大辞林より
わいばく 【□貊/穢貊】
古代、中国東北部から朝鮮北東部にかけて居住していた種族。ツングース系といわれ、狩猟、牧畜を主とし農耕も行なっていた。その中から夫余(ふよ)、高句麗などが出た。〔□貊は「かいはく」とも読む〕
●ワイ人(穢)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AF%E3%82%A4%E4%BA%BA&oldid=37371915
口(わい、口音:Hu口)とは、古代の中国東北部及び朝鮮半島北東部に存在した民族。
(※□の字は「穢」の「禾(のぎへん)」が「さんずい」)
◇目次
1 二つの口
2 文字表記と読み方
3 前二世紀、中国東北部の口
4 口人の四分化
4.1 前漢代
4.2 後漢代
5 後三世紀の江原道の口 民族系統
6.1 ツングース説
6.2 朝鮮民族説
6.3 倭人同系説
6.4 古アジア語族説
6.5 中国民族説
7 その他
8 注釈
◇二つの口
後三世紀の口貊、沃沮、高句麗、夫余の四種族の前身[要出典]と、三世紀の韓国江原道にいた「口(口貊)」は前漢代の中国東北部に口の後裔と思われる。
◇文字表記と読み方
口は「穢」とも書き(草冠をつけることもある)「わい」とも「かい」とも読む(「かい」の方がより正しいとの説もある[要出典])。「穢(けが)れる、穢(きた)ない」などの意味をもつ文字で書かれたのは、異民族に対する中華王朝蔑称ともみえるが、音は何らかの自称名を写したものであろう。一説に、前二世紀の中国東北部の「口」は「かい」、後三世紀の韓国江原道の「口」は「わい」と読む。
◇前二世紀、中国東北部の口
口は、吉林省の西部から北朝鮮北東部、韓国江原道にかけて存在した古代の種族。「口貊」は二文字で一つの種族の名とする説、口と貊の二種族を連称したとの説などがあったが、「色々な口人の中の貊という特定の種族」の意と考えるのが有力。古代日本では「狛」を「こま」と呼んでいたが、これは「口貊(かいまく)」の訛りとする説があったが現在は否定されている。
戦国時代、現在の吉林省長春市の辺りに口(わい)の名が現れる。秦時代、口の名が消えて「夫余」(ふよ)が代わって登場するがこれは遡って呼んだものであろう。
○紀元前134年、前漢の武帝は口州を取らんとして城邑を築いた。
○紀元前128年冬、口君南閭ら(口長の「南閭」たち)が二十八万もの口人を率いて投降、その地に「蒼海郡」を設置
○紀元前126年春、蒼海郡を廃止。この時、現地の首長(南閭か?)に「口王之印」を授けて独立を認めたらしい。
○紀元前134年〜紀元前126年の9年間は漢帝国と口人の戦いが継続していたのではないとみる説もある。
○紀元前108年、衛氏朝鮮を滅ぼしその跡地に楽浪郡を、周辺に真番、臨屯の二郡を設置。このうち臨屯郡は現在の韓国江原道にあたり、口人の居住地の一部(最東端)だった。
◇口人の四分化
前漢代
○紀元前107年、玄菟郡を設置。この時「口王之印」を所持した口人の政権は北へ逃亡し「鹿山」の地に依って「夫余国」を建てた。夫余とは口人の言葉で鹿の意味だという。
○紀元前82年、真番郡、臨屯郡が廃止。臨屯郡の跡地は口人の首長たちを多くの「県侯」に任じて治めさせたと思われる。
○紀元前75年、玄菟郡が西へ縮小移転(第二玄菟郡という)され、日本海沿岸部(咸鏡道)は放棄され、「沃沮」として独立。
○紀元前59年、玄菟郡はさらに西方へ縮小移転を開始し、中国と朝鮮の国境山岳部も放棄され、「高句麗」として独立。
ここにおいて口人は、口貊(韓国、北朝鮮江原道)、沃沮(北朝鮮咸鏡道+中国吉林省延吉朝鮮族自治州琿春市+中国黒竜江省牡丹江市東寧県東部+ロシア沿海地方ラズドリナヤ川以南)、高句麗(北朝鮮慈江道+北朝鮮両江道+中国吉林省南部)、夫余(中国吉林省北部)の四つに分かれるとになった。この四種族を「口系種族」または「夫余系種族」とよぶ。
…続く
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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