Re: 日本は負ける
投稿者: sasayakahurasi 投稿日時: 2011/08/03 00:33 投稿番号: [1754 / 2236]
朝鮮の近代史
朝鮮の近代史は知りませんでしたが、レンタル店で目に止まったタイトル。
「ソウル1945」
1945年は日本の終戦。
当時の朝鮮に興味も少し有り借りてみました。
日本敗戦までの統治時代の朝鮮。それ以後の朝鮮。
ドラマは1/3しか見ていませんが、朝鮮民族の解放と独立を武力闘争で乗り切ろうとする朝鮮共産党。
日本に協力した親日派は、弾圧を恐れ右翼団体「青年団」を組織します。
ドラマとは関係なく当時の朝鮮の歴史を検索したものです。
日本統治時代の朝鮮、1910年8月22日 -1945年8月15日では、日本(大日本帝国)による韓国併合から第二次世界大戦終戦までの間、日本の主権下にあった朝鮮。
1910年、大韓帝国は「韓国併合ニ関スル条約」(日韓併合条約)によって日本に併合され併合時における朝鮮の国民経済は破綻しており、住民からの徴税も困難な状態にあったため、日本は併合後10年間、所得税を免除した。朝鮮総督府は鉄道から医療まで朝鮮半島へ最先端の各種インフラを導入して整備するとともに、教育にも力を入れ、学校を多数建設した。朝鮮人の寿命は伸び、人口は1910年には1313万人であったものが32年1936年には65%まで上昇r.]。
1919年には三・一独立運動が起こったが、日本の憲兵警察により鎮圧された。
三・一独立運動以後、日中戦争に至るまでの期間は三・一運動や大正デモクラシーの影響などにより朝鮮総督府は従来の統治政策を限定的ながら修正し、言論や結社の自由が与えられたため、比較的自由な雰囲気の中で、朝鮮人による様々な合法的・文化的な民族運動が繰り広げられた。
戦争激化に伴い物資・情報統制も強まり、1940年には朝鮮語媒体の『朝鮮日報』『東亜日報』が総督府の命令により廃刊させられたが、『毎日新報』と官報は存続した。
日本政府は李氏朝鮮時代から朝鮮人にも日本軍の幹部を養成する陸軍幼年学校や陸軍士官学校への入学を許可した。その後、日本軍の将官に栄達した者も多かった(李王垠、洪思翊など)。
1937年に日中戦争が勃発すると、朝鮮人から志願兵の申し出が行われるようになり、朝鮮人の朴春琴衆議院議員から「朝鮮人志願兵制度」の請願が出され、1938年からは朝鮮人にも兵卒の志願を許可する陸軍特別志願兵令が公布され、軍人・軍属として戦地に赴いた者も存在した
8月15日、第二次世界大戦の終結により日本の朝鮮半島統治は終焉を迎える。
終戦当日、朝鮮総督阿部信行と朝鮮軍司令官上月良夫は、満州を占領したソ連共産軍に危機感を覚え、朝鮮人から人望のあった政治活動家呂運亨に会談を要請する。
呂は直ちに8月15日に朝鮮建国準備委員会(建準)を設置し、朝鮮総督府から行政権の事実上の移譲を受けることになり、翌月の9月6日には建国宣言を行った。
自治権容認は朝鮮に在留する20万以上の日本人を無事に日本へ引き揚げる条件もあったようだ。
事実、朝鮮で支持を集めていた、呂運亨は日本人への暴力をしてはならないとの呼びかけで日本人に対する暴力事件は少なかった。
アメリカは、9月8日に進駐。
無条件降伏した日本と呂との会談を容認するはずもなく呂を危険人物と見ている。
9月9日、降伏文書調印に伴い朝鮮総督府は解体され、京城の朝鮮総督府庁舎には日章旗に代わり星条旗が掲揚された。まもなく、アメリカ軍は降伏条件には定められていなかったが日本政府および日本人の朝鮮半島の資産を没収した。
なお日本人引揚者たちは検問でソ連兵や朝鮮人への女性や金品の供出を強要され、日本上陸時の引揚者たちの表情は一応に厳しいものであったようです。
韓国ドラマ『ソウル1945』作品予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nd6myA_QxsE&feature=related
戦後、ソ連で抗日運動していた金日成の帰国は朝鮮で圧倒的支持で迎えられる実像映像など一見の価値あり?
朝鮮の近代史は知りませんでしたが、レンタル店で目に止まったタイトル。
「ソウル1945」
1945年は日本の終戦。
当時の朝鮮に興味も少し有り借りてみました。
日本敗戦までの統治時代の朝鮮。それ以後の朝鮮。
ドラマは1/3しか見ていませんが、朝鮮民族の解放と独立を武力闘争で乗り切ろうとする朝鮮共産党。
日本に協力した親日派は、弾圧を恐れ右翼団体「青年団」を組織します。
ドラマとは関係なく当時の朝鮮の歴史を検索したものです。
日本統治時代の朝鮮、1910年8月22日 -1945年8月15日では、日本(大日本帝国)による韓国併合から第二次世界大戦終戦までの間、日本の主権下にあった朝鮮。
1910年、大韓帝国は「韓国併合ニ関スル条約」(日韓併合条約)によって日本に併合され併合時における朝鮮の国民経済は破綻しており、住民からの徴税も困難な状態にあったため、日本は併合後10年間、所得税を免除した。朝鮮総督府は鉄道から医療まで朝鮮半島へ最先端の各種インフラを導入して整備するとともに、教育にも力を入れ、学校を多数建設した。朝鮮人の寿命は伸び、人口は1910年には1313万人であったものが32年1936年には65%まで上昇r.]。
1919年には三・一独立運動が起こったが、日本の憲兵警察により鎮圧された。
三・一独立運動以後、日中戦争に至るまでの期間は三・一運動や大正デモクラシーの影響などにより朝鮮総督府は従来の統治政策を限定的ながら修正し、言論や結社の自由が与えられたため、比較的自由な雰囲気の中で、朝鮮人による様々な合法的・文化的な民族運動が繰り広げられた。
戦争激化に伴い物資・情報統制も強まり、1940年には朝鮮語媒体の『朝鮮日報』『東亜日報』が総督府の命令により廃刊させられたが、『毎日新報』と官報は存続した。
日本政府は李氏朝鮮時代から朝鮮人にも日本軍の幹部を養成する陸軍幼年学校や陸軍士官学校への入学を許可した。その後、日本軍の将官に栄達した者も多かった(李王垠、洪思翊など)。
1937年に日中戦争が勃発すると、朝鮮人から志願兵の申し出が行われるようになり、朝鮮人の朴春琴衆議院議員から「朝鮮人志願兵制度」の請願が出され、1938年からは朝鮮人にも兵卒の志願を許可する陸軍特別志願兵令が公布され、軍人・軍属として戦地に赴いた者も存在した
8月15日、第二次世界大戦の終結により日本の朝鮮半島統治は終焉を迎える。
終戦当日、朝鮮総督阿部信行と朝鮮軍司令官上月良夫は、満州を占領したソ連共産軍に危機感を覚え、朝鮮人から人望のあった政治活動家呂運亨に会談を要請する。
呂は直ちに8月15日に朝鮮建国準備委員会(建準)を設置し、朝鮮総督府から行政権の事実上の移譲を受けることになり、翌月の9月6日には建国宣言を行った。
自治権容認は朝鮮に在留する20万以上の日本人を無事に日本へ引き揚げる条件もあったようだ。
事実、朝鮮で支持を集めていた、呂運亨は日本人への暴力をしてはならないとの呼びかけで日本人に対する暴力事件は少なかった。
アメリカは、9月8日に進駐。
無条件降伏した日本と呂との会談を容認するはずもなく呂を危険人物と見ている。
9月9日、降伏文書調印に伴い朝鮮総督府は解体され、京城の朝鮮総督府庁舎には日章旗に代わり星条旗が掲揚された。まもなく、アメリカ軍は降伏条件には定められていなかったが日本政府および日本人の朝鮮半島の資産を没収した。
なお日本人引揚者たちは検問でソ連兵や朝鮮人への女性や金品の供出を強要され、日本上陸時の引揚者たちの表情は一応に厳しいものであったようです。
韓国ドラマ『ソウル1945』作品予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nd6myA_QxsE&feature=related
戦後、ソ連で抗日運動していた金日成の帰国は朝鮮で圧倒的支持で迎えられる実像映像など一見の価値あり?
これは メッセージ 1746 (patariro96 さん)への返信です.
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