韓国の主張
投稿者: kaizokukeizoku 投稿日時: 2012/08/16 11:23 投稿番号: [12451 / 14154]
韓国は、15世紀の官撰文献である『世宗実録』地理志に、于山(独島)・武陵(鬱陵)…二つの島が互いに眺めることができると書いてある、
鬱陵島の住民は独島が鬱陵島に属すると認識していた、16世紀から20世紀初頭にいたる官撰文献にも独島の古地名である于山島が記されているので、
持続的に韓国の領土であった等の主張を行っている。
まず、事実関係として、朝鮮の古文献に「独島」という島名があるわけではない。「独島」が韓国の文献・記録に現れるのは1906年以降のことである。古文献や古地図にみえるのは「于山」又は「于山島」であり、これを韓国側では独島(竹島)のことだと主張している。
しかし、韓国側が官撰文献として挙げる『世宗実録地理志』(15世紀)、『新増東国輿地勝覧』(16世紀)等の文献では、
鬱陵島(武陵)と于山島の名前が登場しても記述はもっぱら鬱陵島に関するものである。韓国政府は『世宗実録地理志』に
于山と武陵が互いに眺めることができると書いてあるというが、これは本土から鬱陵島が見えるという意味である
(風日清明則可望見という同じ表現が『新増東国輿地勝覧』では風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見とされていて鬱陵島が見えるという意味であることがいっそう明確な記述になっている)。
別の朝鮮古文献(『太宗大王実録』15世紀)には、于山島に大竹が生え15戸86人の人口があるという記述もある。
『新増東国輿地勝覧』に掲載された地図では于山島が朝鮮半島と鬱陵島の間に描かれている。于山という地名の起こりは『三国史記』(12世紀)にある于山国が新羅に帰服したという記事であり、同記事では于山国が鬱陵島のことであるとされている(于山国在溟州東海島或名欝陵島地方一百里)。
これらのことから、日本側では、上記韓国の主張に対し、韓国の古文献中にある于山島の記述は鬱陵島を想起させるとしているのである。
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