Re: 井上元京大教授「尖閣は中国領」
投稿者: kawashima0215 投稿日時: 2013/01/22 10:20 投稿番号: [3269 / 4475]
井上清って真赤な変人じゃ〜〜ん?!
ウイキに書いている中で間違っているとこあるか?
1967年に羽田事件でなくなった京大生の中核派活動家であった山崎博昭の追悼集会にて追悼文を読み上げた。1968年に大塚有章が創立した毛沢東思想学院の講師としても、精力的に活動した。
1972年10月に『「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明』(現代評論社)を発表し、中国は歴史的に尖閣諸島を領有していたと主張し、日本の尖閣諸島領有は国際法的に無効と主張した
1997年中国社会科学院から名誉博士号を授与される。
晩年はしんぶん赤旗に掲載される共産党支持者リストに名を連ねていた。
2001年11月23日死去。87歳没。中核派や灘本昌久などが弔意を表した。
井上は、論文「釣魚諸島(尖閣列島等)の歴史と帰属問題」を歴史学研究会機関誌『歴史学研究』1972年2月号に、また論文「釣魚諸島(尖閣列島など)は中国領である」を、日本中国文化交流協会機関誌『日中文化交流』1972年2月号に発表した。さらに同1972年10月に『「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明』(現代評論社)を発表した。
これらの論考のなかで、井上は、中国は歴史的に尖閣諸島を領有していたと主張し、日本の尖閣諸島領有は国際法的に無効と主張したが、のちに原田禹雄らによって、井上の「冊封琉球使録」などの史料解釈が杜撰であると批判された[2]。
井上は同書で尖閣諸島は「どの一つの島も、一度も琉球領であったことはない」と主張し、また日本が日清戦争に勝利した際に奪い取ったものであるとした[3]。さらに、「第二次大戦で、日本が中国をふくむ連合国の対日ポツダム宣言を無条件に受諾して降伏した瞬間から、同宣言の領土条項にもとづいて、自動的に中国に返還されていなければならない。それをいままた日本領にしようというのは、それこそ日本帝国主義の再起そのものではないか」と当時の日本政府の動向を批判し、「古来、反動的支配者は、領土問題をでっちあげることによって、人民をにせ愛国主義の熱狂にかりたててきた。再起した日本帝国主義も、「尖閣列島」の「領有」を強引におし通すことによって、日本人民を軍国主義の大渦の中に巻きこもうとしている」と警告した[3]。
なお、井上は自身が中国史には疎いということを同書で弁明している[3][4]。
また、同書では日本共産党や朝日新聞社説などについても「佐藤軍国主義政府とまったく同じく、現代帝国主義の「無主地」の概念を、封建中国の領土に非科学的にこじつけて、しぶんたちにつごうの悪い歴史を抹殺しようとしている」と批判している[3]。
琉球の史書における釣魚諸島の表記に関しては、琉球の学者程順則が1708年に執筆した『指南広義』は「皇帝の臣が中山王(琉球王)で、程はその家来であるから、清皇帝のまた家来=陪臣となる」がゆえに、清朝皇帝のために書かれたもので、「この本は、琉球人が書いたとはいえ、社会的・政治的には中国書といえる」と指摘している[3]。さらに、「この島々は、琉球人には、中国の福州から那覇へ来る航路に当るということ以外には、何の関係もなかった」「琉球人のこの列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった」と主張した[3]。このような解釈について沖縄の歴史学者原田禹雄は批判している(後述)。
ウイキに書いている中で間違っているとこあるか?
1967年に羽田事件でなくなった京大生の中核派活動家であった山崎博昭の追悼集会にて追悼文を読み上げた。1968年に大塚有章が創立した毛沢東思想学院の講師としても、精力的に活動した。
1972年10月に『「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明』(現代評論社)を発表し、中国は歴史的に尖閣諸島を領有していたと主張し、日本の尖閣諸島領有は国際法的に無効と主張した
1997年中国社会科学院から名誉博士号を授与される。
晩年はしんぶん赤旗に掲載される共産党支持者リストに名を連ねていた。
2001年11月23日死去。87歳没。中核派や灘本昌久などが弔意を表した。
井上は、論文「釣魚諸島(尖閣列島等)の歴史と帰属問題」を歴史学研究会機関誌『歴史学研究』1972年2月号に、また論文「釣魚諸島(尖閣列島など)は中国領である」を、日本中国文化交流協会機関誌『日中文化交流』1972年2月号に発表した。さらに同1972年10月に『「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明』(現代評論社)を発表した。
これらの論考のなかで、井上は、中国は歴史的に尖閣諸島を領有していたと主張し、日本の尖閣諸島領有は国際法的に無効と主張したが、のちに原田禹雄らによって、井上の「冊封琉球使録」などの史料解釈が杜撰であると批判された[2]。
井上は同書で尖閣諸島は「どの一つの島も、一度も琉球領であったことはない」と主張し、また日本が日清戦争に勝利した際に奪い取ったものであるとした[3]。さらに、「第二次大戦で、日本が中国をふくむ連合国の対日ポツダム宣言を無条件に受諾して降伏した瞬間から、同宣言の領土条項にもとづいて、自動的に中国に返還されていなければならない。それをいままた日本領にしようというのは、それこそ日本帝国主義の再起そのものではないか」と当時の日本政府の動向を批判し、「古来、反動的支配者は、領土問題をでっちあげることによって、人民をにせ愛国主義の熱狂にかりたててきた。再起した日本帝国主義も、「尖閣列島」の「領有」を強引におし通すことによって、日本人民を軍国主義の大渦の中に巻きこもうとしている」と警告した[3]。
なお、井上は自身が中国史には疎いということを同書で弁明している[3][4]。
また、同書では日本共産党や朝日新聞社説などについても「佐藤軍国主義政府とまったく同じく、現代帝国主義の「無主地」の概念を、封建中国の領土に非科学的にこじつけて、しぶんたちにつごうの悪い歴史を抹殺しようとしている」と批判している[3]。
琉球の史書における釣魚諸島の表記に関しては、琉球の学者程順則が1708年に執筆した『指南広義』は「皇帝の臣が中山王(琉球王)で、程はその家来であるから、清皇帝のまた家来=陪臣となる」がゆえに、清朝皇帝のために書かれたもので、「この本は、琉球人が書いたとはいえ、社会的・政治的には中国書といえる」と指摘している[3]。さらに、「この島々は、琉球人には、中国の福州から那覇へ来る航路に当るということ以外には、何の関係もなかった」「琉球人のこの列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった」と主張した[3]。このような解釈について沖縄の歴史学者原田禹雄は批判している(後述)。
これは メッセージ 3251 (公務員 さん)への返信です.
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