「常」に真理有り
投稿者: warabe_no_yume 投稿日時: 2010/10/01 14:31 投稿番号: [13947 / 14465]
「常」に真理有り
「常(じょう)を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶(きょう)なり」老子十六章
「昔から変らないものを見つけなさい」と教えています。(普遍の価値)
「常(じょう)」とはなにか?
いつでも変らない。だれでも変らない。昔も、今も、同じように、不変の力で働いてる力を、「常(じょう)」と言う。
常を知らず、又、度外視し、違った考え方を批判しあうから凶(不吉な状態、不幸な状態、混乱の状態)を招くのである。
人間は頭で生きていると思ったら、思い上がりである。手や足や肺や腸の働きで生きている。(宇宙の不変の力の下に生きている)
赤いものは、赤いのである。昔の人の呼吸も現在人の呼吸も私の呼吸もあなたの呼吸も同じ。こういう不変不動の自然の生命のあり方を「常」の力と言う。
「常」を認識しないで、足元を見るとすれば、誤った判断と結果しか待っていない。
当たり前や普通の中に、真理がある。
自然の生命を知ることで、思考は、もっと自由であれる。
「常」が定まらなければ、「非常」も「異常」も定まらない
「非常」慣れ「異常」慣れしていると、「常」を見失う。
常を知らずして、策に走るのは、誤りを招くのみである。
世の中の「異常」に惑わされてはいけない。(三面記事)
われわれの生活の大半がうまく行っているとすれば、可とする。
だから誰も付いては来ないのです。
誰もが共に、常と違う事に気付いたときが発起する時です。
極端な例を持って、策をなしても、光は当たりません。
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/200000210/cf9qaa5aa5d9bdhjacjddn1a4gbcajfca4x_1/13947.html