中国船船長 処分保留で釈放へ

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Re: 領土問題の棚上げ合意?【嘘】

投稿者: biggarrrn 投稿日時: 2010/10/01 11:12 投稿番号: [13602 / 14465]
それは、【嘘】です。
はっきり否定します。

情報のソースは、以下の通り。
北京週報2004年8月2日号(日本語版)にこの記事がネットでも見ることができます。
符浩元(元駐日本中国大使、89歳)氏の回顧録(思い出)を元にしている捏造であり、公式文書にはでてきません。
「訒小平氏がこう言った」と思い出話を記事にして、それを根拠にしているに過ぎないのです。
ですので、棚上げというものはありません。

記事の内容は以下の通りです。
符浩元中国外交部副部長(元駐日本中国大使、89歳)は訒小平氏の訪日の全行程を収めたアルバムを収蔵している。符浩氏はこのほど記者の取材に応じ、これらの歴史的写真をもとに、訒小平氏との貴重な思い出を語った。
当時国務院副総理だった訒小平氏は、1978年10月22日から29日までの間、「中日平和友好条約」締結文書交換式に参加するため訪日するとともに、日本に対し初の公式訪問を行った。
符氏は、訒小平氏がホバークラフトと新幹線に乗った時の写真を指し、「この訪日では、政治的な活動のほか、最も多く訪問したのは、鋼鉄工場、自動車工場、電気器具工場など日本の大手企業だった。訒小平氏はさまざまな新技術をすべて試そうと、ホバークラフトや新幹線に乗った。帰国後すぐに中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議が開催され、改革・開放となった」と語った。
訒小平氏は京都に向かう新幹線ひかり81号に乗った時、記者に感想を尋ねられて、「『速い』の一言に尽きる。まるで誰かがわれわれを押しながら走っているようだ。われわれは今、走らなくてはならない」と意味深長に語った。
日産自動車を見学した後、訒小平氏は「ここに来て現代化や近代化とは何であるかがわかった。工業先進国、特に日本産業界のわれわれに対する協力に感謝したい」と語った。
訒小平氏はさらに、1979年1月に米国を訪問した後、わざわざ日本に立ち寄り、短期間滞在した。奈良を訪れた時、宿泊したホテルでちょうど結婚式があるのを知った訒小平氏は、自ら結婚披露宴の会場に行き、新郎新婦に祝賀の言葉を贈った。
符氏は日本での記者会見で撮影した大型の写真を取り出し、訒小平氏の知恵とユーモアにあふれた言葉が日本人に深い印象を残したことを話した。日本の記者が当時、釣魚島とその周辺の島々(日本名は尖閣諸島)の帰属問題に触れた時、訒小平氏は条約の中にあるこの敏感な話題について、「この問題はわれわれと日本の間で論争があり、釣魚島を日本は『尖閣諸島』と呼び、名前からして異なる。この問題はしばらく置いてよいと思う。次の世代はわれわれより賢明で、実際的な解決法を見つけてくれるかもしれない」と述べた。
符大使はこのほか、こぼれ話も披露してくれた。訒小平氏が初訪日で日本の国会議員と会見した時、「徐福東渡」(秦の始皇帝時代の人物、徐福が不老不死の薬を求めて中国から日本に渡った伝説)に借りて、「日本には不老不死の薬があると聞く。今回の訪問の目的は、第一は批准書の交換のため、第二は日本の旧友の努力に感謝を表明するため、第三は不老不死の薬を探すため」と語った。このユーモアあふれるコメントは、すぐに日本の各大手メディアに報道された。会見の翌日、和歌山県から一鉢の植物が届いた。聞いてみると、徐福は到着した和歌山県で不老不死の薬を見つけており、それは「マンネンタケ」という植物で、送られてきたのはそのマンネンタケだったという。符氏がすぐこれを訒小平氏に報告すると、訒小平氏はほほ笑んでうなずきながら、「ならば大使館で取っておきなさい」と語ったという。

日本の記者が聞いたことにより、訒小平氏が答えたという回顧録記事がソースなわけです。
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