中国軍高官 沖縄は属国だった

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Re: 満州は日本の領土だった 004-1

投稿者: hksinternational 投稿日時: 2012/07/18 10:08 投稿番号: [748 / 1501]
満州を領土の一部としていた日本は中国人、朝鮮人と対等の関係で中国大陸を支配しようとしたのだが、生活習慣の違いもあり困難な道のりであったようだ。

<wikiより転載>
1 満洲国
1.1 新京
1.1.1 建国大学

建国大学の学生前期(旧制大学の予科に相当、修業年限3年)後期(学部に相当、同3年、政治学科・経済学科・文教学科)と研究院が置かれ、官費により学費は無料であった。また、全寮制で日本系・満州(中国)系・朝鮮系・蒙古(モンゴル)系・ロシア系の学生が寝食を共にし寮を「塾」と称した。

形式上は国務総理大臣が建大総長(学長)を兼任したが、建大の実質的な責任者は副総長であった。民族協和の実践を目指したが満州国と同様の矛盾を抱えていた。

例として校門には満洲国旗を掲揚していたが、制定された法律により日本国国旗を同時に掲揚せねばならなかった。他にも配給された食料である高粱と米は、中国人に高粱、朝鮮人に高粱と米、日本人に米が配給されるなど、枚挙に暇が無い(これらは学生らによって批判が噴出し、互いに混合し高粱米として食すこととなった)。

とはいえ学問については比較的自由であり内地では禁書扱いであった資本論など、共産主義に関する書物も回し読みされていた。戦争が激化すると治安維持法が改正され、反満抗日活動を行った中国人学生は検挙され、また日本人学生は学徒出陣で兵員徴収された。

同期が減っていく中、荒涼とした建大の敷地に日本人学生が植林をはじめ、終戦直後、残っていた学生らによって大学の蔵書が整理され目録が作製され、中国の図書館に寄附されている。日本人だけでなく、これら運動には満州人、中国人が参加した。
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