Re: ここまでくると
投稿者: cab_fish 投稿日時: 2010/11/08 00:39 投稿番号: [8038 / 17704]
当時の民主主義は、ギリシャ・アテネが腐敗していくことに対し、いかにして国民に自由を保証しつつも「正義」に向かわせ、ひいては国家を「正義」の名の下に再建・強化するか、ということのための民主主義だったのではないでしょうか。
というのは、「正義」こそは、一貫して「法」の淵源とされ、「法」こそは強い国家の柱とされてきたからです。
これに対し、わが国の民主主義は、その最終目的をどこかに忘れ去ってしまったものになっているように思います。
わが国の民主主義は、誰もかれもが、自分の好き勝手なことをいって、肝心の「国家・社会」は、影も形もありません。
プラトンにせよ、アリストテレスにせよ、その「民主主義」「自由」「正義」はすべて、強い「国家」が先にあるか、「国家」を強くするため、という至上目的に対して、論じられています。
もし、この2人が、日本の現状をみたら、「民主主義」どころか
まるで
おバカな国と
捉えるでしょうね。
国に900兆円もの借金があるのに、なお「くれ」「くれ」と言ってるのですから。
また、官僚や政治家・議会にもビツクリすると思います。
当時は、彼らは、「名誉」を「金」とみなし、無報酬で働いていたわけですから。
もっとも、当時のギリシャも、専制国家マケドニアに敗れ、植民地化され、奴隷にされたので、哲学者たちの警告もあまり効果がなかったことになりますが。
けっこう、今の日本 vs 中国・ロシアの関係と似ていますね。
民主主義も、国家との関係における「正義」と、そのための「勇気」を、現実の力(法と武力)として持ってないと、ただのお飾りにすぎない、
勢いのある専制独裁国家に隷従することになる、ということだと思います。
これは メッセージ 7930 (zangun888 さん)への返信です.
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