③今に続く日本の姿●地帝操る政権その大筋
投稿者: arubekisugata_soumoukukki 投稿日時: 2010/11/07 22:06 投稿番号: [7730 / 17704]
>尖閣ビデオよりドイツ国営放送を先ずは観るが重要か
米帝→(官僚)→ナベツネ中曽根氏家方々(伝達ライン)
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投稿者 : sannkou_xyz氏
ある日の午後池袋サンシャインの水族館は親子連れでごったがえしていた。
今ではこのビルが「巣鴨刑務所」の跡地であったことを知る人もめっきり
すくなくなった。
ある日突然(東条英機処刑の翌日)、
A級戦犯で拘束されていた「岸信介」「笹川良一」「児玉誉士夫」の
三人が米国特務機関によって自由の身になった。
岸は戦時中の内務大臣、
児玉は中国大陸で制服の威力で阿片の取引によって財をなし
松本清張「けものみち」のモデルとして知られる「右翼」のドン。
笹川は公認の博打(競艇)のドンとなり、
現在は日本財団として引き継がれている。
裏話として児玉が金塊や現生でGHQと裏取引をしたとされる。
日本で反政府運動が起きつつあり、社会主義運動ともかさなり、
危機感を抱いた米国特務機関はCIAと調整し3人を釈放することで、
利害が一致した。
児玉の資金はCIAの資金とともに児玉機関をつくった。
そしてありあまる資金で自由民主党は発足した。
岸信介は日米安全保障条約の締結。
笹川良一は多様な役割。
児玉誉士夫は天皇制護持の役割を与えられた。
戦後の日本のドラマは、
米国の東アジア太平洋地域の極東戦略図の中に刻印を押されることになる。
それを間違いなくうらずける資料として面白い記述がある。
ヘンリーキッシンジャー(ベトナム戦争当時の国務長官)が引退後書いた
MY WHITE HOUSE YEARSがあるが、
原書版333ぺージにこう書いている....
Sato arrived at the White House on November 19,1969.He represented a country that had rested its entire security and foreign policy upon the United States.
(佐藤は1969年11月19日、ホワイトハウスに到着した。
彼はその安全保障と外交政策を全て米国に依存している国を代表して
来た。)
三人の釈放は
東条英機などが絞首刑になった1948年12月24日の翌日である。
岸はその後保守合同実現し、
自由民主党が生まれ、55年体制と呼ばれる政治の暗黒時代が続く。
いわゆる保守合同に名を借りた「米国傀儡政権」の誕生である。
それは政治だけではなく、教育、文化、すべての分野において介入された。
戦前の駐日大使館付(ジョセフ・グルー大使)であった。
米国特務機関工作員ユージー・ドーマンを中心とする米国対日評議会
(ACJ)は、GHQの民生局(GS)にたいし圧力をかけ、
占領政策の主導権は治安情報局(G2)に移った。
このG2が通称ドーマン機関人脈と呼ばれている。
(小泉内閣誕生によって
この人脈は断ち切られたが民主党には数人残っている)
1957年岸内閣成立。
G2のD機関は同時に動き出した。その後長い年月が経過した。
集団的自衛権を認めさせ、北朝鮮攻撃をもくろんでいたD機関は、
しびれをきらし新進党をつくらせ、集団的自衛権の成立をせまった。
しかし一度は行使を認めるといった男は、急に自説を翻した。
米国の北朝鮮爆撃は一歩も二歩も後退した。翻した男を米国は見限った。
米国にとって真の意味での味方はいなくなった。
あとは日本の政治家 大蔵省 日銀の弱体化を図るしかない。
CIA工作員の多数入り込んでいる読売新聞は、
川崎市の助役をリクルート事件でスクープした。
芋ずる式に実力政治家は失脚した。
米国の許可を得ない外交をした政治家は、次々罠にはまっていった。
ある政治家は謎の死を中国と勝手に国交回復した罪で、
ロっキードでは手先のコーチャンの罠にかかり、
北朝鮮にわたり金日成にあった金丸も脱税という罠をしかけられた。
これで一応大物は始末できたが、
あとは、
だんだん知恵をつけてきた国民と共産主義勢力をどうするか。
捉え方・評価などは、人それぞれ③
感謝
これは メッセージ 7633 (arubekisugata_soumoukukki さん)への返信です.
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