元極左 ヤメ弁の屁理屈、日本を窮地に
投稿者: letgonip2009 投稿日時: 2010/11/11 09:49 投稿番号: [416 / 1280]
仙石さん、昔いじめられた憎っくき国家権力を崩壊させる気か?
教育問題はほったらかし、
年金問題もほったらかし、
どうもこの辺りが支持勢力だからか。
大変な官房長官を選んでしまっているか、有権者殿。
Wikipediaより;
>学生時代
徳島県立城南高等学校卒業後、1964年東大文Ⅰ[2]に合格し上京する。
東大時代は全共闘の新左翼系学生極左運動家であり、日本共産党を脱党した安東仁兵衛らが指導した構造改革派のフロント(社会主義同盟)というセクトのシンパだった[要出典]。
東大安田講堂の攻防では講堂の中にはおらず、救援対策や弁当の差し入れなどを行い、学生活動家仲間からは仙谷は「弁当運び」[3]と呼ばれていた。
5年次在学中の1968年に司法試験に合格し、中退[4]して司法研修所に入所した。
弁護士時代
司法修習23期(同期に漆原良夫)を経て弁護士登録。
1971年から弁護士活動を開始。
弁護士時代は労組事件や日本教職員組合関連の案件を扱った。
麹町中学校内申書事件の弁護人も務めている。
また、所属していた弁護士事務所の部下に福島瑞穂らがいる。
政界入り
1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧徳島県全県区から立候補し当選した。
当選後は、社会党を現実的に政権を担える党に脱皮すべく、ニューウェーブの会のメンバーとして活躍し、山花貞夫委員長を首班とする社会党シャドーキャビネットで官房副長官を務めたが、1993年の宮澤改造内閣不信任可決の後実施された第40回衆議院議員総選挙では次点で落選し、社会党も現有議席を割り込んだ。
社会党が名称変更した社民党を離党し、四国市民ネットワーク代表を経て旧民主党に参加。
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地方の現場に居る国家公務員あたりを狙って守秘義務厳罰化などと
昔と違うことを言い出して、大丈夫か元極左ヤメ弁殿。
国民の財産である国会内で国民の代表者である国会議員(一部だが)にビデオを公開(一部だが)しておいて、それを国民に秘密とは!
昔は頭が良かったらしいが、今は耄碌し過ぎではないか、仙石爺さんよ。
これは メッセージ 409 (magokoro33377 さん)への返信です.
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