全人代日本代表―脅威というから脅威となる
投稿者: sagam_2001 投稿日時: 2012/03/05 07:37 投稿番号: [28006 / 28311]
中国国防予算―大国に求めたい透明さ
http://www.asahi.com/paper/editorial20120305.html#Edit2
>中国の軍事力の増強が止まらない。内実が不透明なままの力の拡大が世界に「脅威論」を広げていることを、中国の指導者は理解すべきである。
▲前原代表(当時)の中国脅威論を火病になって批判した「私たち」新聞↓があった。たしか”脅威!脅威!というから脅威となる”との社説もあった。
▲世界の「脅威論」に丸投げは止めて、朝日新聞自身はどう思っているのか。丁寧な説明wが要る。
>しかし中国は世界に開かれた超大国になりつつある。そんな大国に、予算作りで軍部ばかり重視する「内向き」はもう似合わない。
▲しかしw、宗主さまを批判ではなく、お諌め申し上げる朝日新聞。
▲核・ミサイル・空母の矛先は「内向き」であったアルカ。”似合わない”だけなら国際的には無問題アル。
2006年01月23日http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50337172.html
・「中国脅威論を唱えない日本人はヘン」毎日新聞時評より 〜当たり前が言えない国へ〜
たとえば『朝日新聞』の社説(十二月十一日付)は、前原発言を批判して、〈外交センスを疑う〉と題をつけ、〈小泉政権でさえ、無用の摩擦を避けようと、首相が「中国脅威論はとらない」と言い、麻生外相が「中国の台頭を歓迎したい」と語るのとは大違いだ。中国に対して弱腰と取られたくないのだろう。だが、肝心なのは威勢の良さではない。首相の靖国神社参拝でずたずたになってしまったアジア外交を、民主党ならこうしてみせるという、外交政策の対立軸を示すことである〉としている。しかし、この観念論には到底ついていけない。『朝日』は現実的脅威があるとみているのかどうかが、まずわからない。現実的脅威があるとして、前原のように「ある」と率直に主張するのと、小泉純一郎首相のように「脅威論はとらない」とかわすのと、どちらの外交センス(というより姿勢)が、国益を守るうえで正当なのか。『朝日』は小泉側に立っているような筆法だが、私は違うと思う。
靖国参拝と軍拡脅威論を同次元に置くべきではない。靖国問題は当然、政治的工夫が必要で、首相の決断の問題だ。現実的脅威を批判するのは威勢のよさでも何でもなく、現実直視である。外交には押したり引いたりの駆け引きも大切だが、まず本音をぶつけ合う気迫がないと、相手になめられる。
東シナ海のガス田開発も、中国側の国際ルールを無視した高圧的なやり方のうらには、軍事力がちらつく。現実的脅威の裏づけにほかならない。軍拡のレベルについて、民主党首脳の一人は、「現実的でなく、潜在的脅威と言えばよかったんだ」と漏らし、専門家の間には、「いまの段階では〈脅威〉ではなく、〈懸念〉と言うべきだろう」といった指摘もある。しかし、いずれも超大国・中国への気後れがうかがえて、釈然としない。麻生太郎外相もその後、中国の軍拡について軌道修正し、「隣国で十億の民、原爆を持ち、軍事費が連続十七年二ケタ伸び、その内容も極めて不透明ということに関しては、かなり脅威になりつつある」(十二月二十二日の記者会見)と現実的脅威を認めた。これに中国側が扇動だと反発し、自民党の山崎拓前副総裁は、前原発言も含めて、「言葉づかいを間違っている。〈脅威〉と言うと、わが国への侵略の意図があると言っていることになり、一層の緊張が生まれる。ナショナリズムの方向に国民を誘導するのは許されない」と異を唱えた。だが、脅威と侵略意図の間には大きな隔たりがあるのではなかろうか。軍拡の狙いがはっきりしないときに、言葉の過剰反応をすると、日中間の不信が逆に深まるのを恐れる。脅威でないのなら、それを説明するのは中国側であって、日本がへつらうことはないのだ。
http://www.asahi.com/paper/editorial20120305.html#Edit2
>中国の軍事力の増強が止まらない。内実が不透明なままの力の拡大が世界に「脅威論」を広げていることを、中国の指導者は理解すべきである。
▲前原代表(当時)の中国脅威論を火病になって批判した「私たち」新聞↓があった。たしか”脅威!脅威!というから脅威となる”との社説もあった。
▲世界の「脅威論」に丸投げは止めて、朝日新聞自身はどう思っているのか。丁寧な説明wが要る。
>しかし中国は世界に開かれた超大国になりつつある。そんな大国に、予算作りで軍部ばかり重視する「内向き」はもう似合わない。
▲しかしw、宗主さまを批判ではなく、お諌め申し上げる朝日新聞。
▲核・ミサイル・空母の矛先は「内向き」であったアルカ。”似合わない”だけなら国際的には無問題アル。
2006年01月23日http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50337172.html
・「中国脅威論を唱えない日本人はヘン」毎日新聞時評より 〜当たり前が言えない国へ〜
たとえば『朝日新聞』の社説(十二月十一日付)は、前原発言を批判して、〈外交センスを疑う〉と題をつけ、〈小泉政権でさえ、無用の摩擦を避けようと、首相が「中国脅威論はとらない」と言い、麻生外相が「中国の台頭を歓迎したい」と語るのとは大違いだ。中国に対して弱腰と取られたくないのだろう。だが、肝心なのは威勢の良さではない。首相の靖国神社参拝でずたずたになってしまったアジア外交を、民主党ならこうしてみせるという、外交政策の対立軸を示すことである〉としている。しかし、この観念論には到底ついていけない。『朝日』は現実的脅威があるとみているのかどうかが、まずわからない。現実的脅威があるとして、前原のように「ある」と率直に主張するのと、小泉純一郎首相のように「脅威論はとらない」とかわすのと、どちらの外交センス(というより姿勢)が、国益を守るうえで正当なのか。『朝日』は小泉側に立っているような筆法だが、私は違うと思う。
靖国参拝と軍拡脅威論を同次元に置くべきではない。靖国問題は当然、政治的工夫が必要で、首相の決断の問題だ。現実的脅威を批判するのは威勢のよさでも何でもなく、現実直視である。外交には押したり引いたりの駆け引きも大切だが、まず本音をぶつけ合う気迫がないと、相手になめられる。
東シナ海のガス田開発も、中国側の国際ルールを無視した高圧的なやり方のうらには、軍事力がちらつく。現実的脅威の裏づけにほかならない。軍拡のレベルについて、民主党首脳の一人は、「現実的でなく、潜在的脅威と言えばよかったんだ」と漏らし、専門家の間には、「いまの段階では〈脅威〉ではなく、〈懸念〉と言うべきだろう」といった指摘もある。しかし、いずれも超大国・中国への気後れがうかがえて、釈然としない。麻生太郎外相もその後、中国の軍拡について軌道修正し、「隣国で十億の民、原爆を持ち、軍事費が連続十七年二ケタ伸び、その内容も極めて不透明ということに関しては、かなり脅威になりつつある」(十二月二十二日の記者会見)と現実的脅威を認めた。これに中国側が扇動だと反発し、自民党の山崎拓前副総裁は、前原発言も含めて、「言葉づかいを間違っている。〈脅威〉と言うと、わが国への侵略の意図があると言っていることになり、一層の緊張が生まれる。ナショナリズムの方向に国民を誘導するのは許されない」と異を唱えた。だが、脅威と侵略意図の間には大きな隔たりがあるのではなかろうか。軍拡の狙いがはっきりしないときに、言葉の過剰反応をすると、日中間の不信が逆に深まるのを恐れる。脅威でないのなら、それを説明するのは中国側であって、日本がへつらうことはないのだ。
これは メッセージ 1 (ges**eso103* さん)への返信です.