ことの本質:反日信仰 を捨てなさい
投稿者: sagam_2001 投稿日時: 2005/08/02 08:01 投稿番号: [19303 / 28311]
【中央フォーラム】「靖国信仰」を捨てなさい
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66176&servcode=100§code=100> われわれが靖国参拝を批判する最大の理由はそこに合祀されているA級戦犯のためだ。戦犯を参拝することは、イコール侵略戦争を肯定する行為であり、受け入れることができないという論理だ。しかし冷静に計算すれば、これは靖国の本質を斜に見る危険がある。枝葉末節に興奮したあげく本質に触れることができないというものだ。 まず確認しておくことがある。靖国は戦没者追悼のための所ではないという事実だ。「追悼」というのは、死んだ人を思いながら悲しむという意味だ。ところで靖国は戦死を悲しまない。悲痛に思わない。逆に戦死を賛美する。戦死すれば神になって靖国に仕えられる光栄を享受するという。 これは追悼とは根本的に違う。難しい言葉を使うと「顕彰」だ。功績を高くたたえ、賛美するという意味だ。
▲優良分子朝○新聞とよく似た論旨。だからといって(笑、
▲国のために亡くなられた死者を韓国では「顕彰」することもしないのか。韓国では「顕彰」と「追悼」は矛盾する概念であるのか。西海海戦犠牲者はその「追悼」すらないようだが。
>それならわれわれも日本の政治的意図を意識しながら靖国問題を見ていかなければならない。A級戦犯の分祀を要求すればいいだけの問題ではない。A級戦犯は靖国のアイデンティティを示す象徴であるだけで、本質ではない。
▲「ことの本質」ではないA級戦犯でふぁびょんになっていた韓国って。分祀を要求していた優良分子紙って。で、〆…
>このような状況では外国人がいくら言ってみたところで無駄だ。日本人たちの健全な市民意識が「靖国信仰」を考査させるほかない。日本人が自ら方法を見つけ、実践し、国際的評価を受けなければならない。これができなければ日本は過去の桎梏(しっこく)から脱することはできないだろう。
▲「いくら言ってみたところで無駄だ」なら普通は黙って見守るものだが。東アジア三国限定の国際的評価って。
▲日本人たちの健全な市民意識とは仏教・神道それに儒教でも(最近はキリスト教でも)排他することなく包含してしまう光の世界のことである。日本特異論ではなく最近のローマ法王(ヨハネ・パウロ2世)も他宗教との和解に努めていたのだが。
▲「反日信仰」を捨てても立派な韓国人たちでありうることは「いくら言ってみたところで無駄」なことであろうか。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.
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