媚中朝日の原点
投稿者: hanniti_asahi 投稿日時: 2005/07/09 20:53 投稿番号: [18875 / 28311]
当時朝日新聞社は、社内の権力闘争が激化していた。その中で、1967年7月に広岡知男専務が美土路昌一社長の後任として社長に就任し、1967年9月には秋岡家栄記者が野上正記者の後任として北京に赴任したのであった。この二つの人事は、それまで必ずしも「親中」とは言えなかった朝日の中国報道に大きな影響を与えたのであった。
前記のように、朝日新聞はいわゆる「歴史の目撃者」論を展開し、北京に記者を常駐させることが一番大事であるとの考え方をとった。広岡社長は「歴史の証人として北京に一社だけでも踏みとどまる」と社内で語り、「中国の良い点を書き、悪い点を書くな」と支持したといわれる[viii]。秋岡記者はこの広岡社長の方針に反することなく特派員としての仕事を行なった。時には中国当局のスポークスマンを代行しているかのような記事まで書くこともあったほどである。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~takaki/hpdata/project.htm
これは メッセージ 18874 (hanniti_asahi さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835563/5bdbva4hfha1a4c0a4ia41a4ndabffcbf7j9a4r8a1beza47a4ha4a6a1aa_1/18875.html