チョンナン築地凶惨教会と人権擁護法案
投稿者: popopoakapoppo 投稿日時: 2005/03/04 18:34 投稿番号: [16743 / 28311]
■2005/03/04 (金) 女の子の節句に思ったこと
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=401628&log=20050304
左巻きの人々は、人権、反戦平和、反差別、男女共同参画社会、と「反日」、世界の中でもっとも自由(敗戦タナボタかもしれないが)を謳歌しているこの日本で、何が不満なのでしょうか?
そんなにいまの「現実」がいやなら、あとは自死を選択すればいいだろうに。岐阜の一家心中を図ろうとした事務長も、ある意味それを実行したのではないでしょうか。余計な他人をまきこまないでくれればいいのに。
世の中が、なんでも自分(ら)の思うようになると思ったら間違いです。ジェンダーなんたら言っている人々は、自らの生を肯定的にとらえて、自らを愛し、周りの人を愛し、人間そのものを愛し、生き物を愛し、地球を愛し、生命そのものを愛し、その生を謳歌していないのではないでしょうか。
ちょんなん新聞の社会面はときとして、事故、殺人、自殺、強盗、犯罪のオンパレードです。ちょっとは、バランスを考えればいいだろうに。
「ニッポン」トユウ国ハ、コンナヒドイ国ニダ、と必要以上に煽っているようなものです。事故事件犯罪汚職大国だということを過剰に刷り込みしたがっているようです。
チョンナン新聞の話はちょっと脱線ですが、フェミババの大親分(飢之痴頭子)の弟子を自称している女性タレントが、先日NHKの昼過ぎの番組に出ていましたが、その人のしゃべりを聞いていてふとそう思いました。
生きていることを肯定的に捉えることができない者が、政治や社会を語るのは間違っています。自分が生き物(動物)であることの自覚なしに社会を語ることは、結果的に、理念や主義主張や教義や数字(貨幣経済)を優先させることにもつながると思うのです。それは喜怒哀楽の感情がなく、本来冷徹なものでしょう。知情理のほんのごく一部の事象です。それでこの世の全体を説明してくれるな。個人で勝手にやっててくれ。そう思ってしまったのですた。
その意味で、オウムの饒幽やこのたびの堀衛門には、同じぞっとする空気を感じるのですた。
経済や市場社会の成熟とともに、政治や思想哲学も、それにふさわしい階梯にならないといけないのですが、どうもまだ非常にアンバランスのようです。
敗戦直後の日本の政治家のレベルにすら遠く及ばないように見えてなりません。その方々がかかわった日本国憲法は深い理念によって成立したようですが、それが時代とともに修正が必要であることは認めます。
が、それをつくることにかかわった人間が持っていた政治哲学のレベルにいまだ達していないまま、今それに手をかけることはかえって危険であるように思います。
そして、憲法改正は国民投票です。
まだまだ、「国民」として成熟しているかどうか、的確な判断ができるかどうか、自分をふくめ周りを見渡しても、首を傾げざるをえません。となりの、ピンク色国家をみてもわかるでしょう。
まともそうにしている国民がえらぶ大統領が、あんなですから。ひとのふりみてわがふりなおせ、ということです。
まずはブログ(ネット)社会がもう少し成熟して、ウソでっち上げするような売国新聞社やテロビ局がつぶれるようになるか、経営陣が総入れ替えになることが、ひとつの目安でしょう。
そのためには、ネットの言論規制に用いられる法は、障害になるのではないでしょうか。ネットの言論がなんら規制なしで向かう先は、おそらく現在の枡塵升目出唖の地位低下でしょうから、旧パラの組織の方々は、なんとしても規制・制御したいとおもっているでしょう。さて、どうなりますやら。
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=401628&log=20050304
左巻きの人々は、人権、反戦平和、反差別、男女共同参画社会、と「反日」、世界の中でもっとも自由(敗戦タナボタかもしれないが)を謳歌しているこの日本で、何が不満なのでしょうか?
そんなにいまの「現実」がいやなら、あとは自死を選択すればいいだろうに。岐阜の一家心中を図ろうとした事務長も、ある意味それを実行したのではないでしょうか。余計な他人をまきこまないでくれればいいのに。
世の中が、なんでも自分(ら)の思うようになると思ったら間違いです。ジェンダーなんたら言っている人々は、自らの生を肯定的にとらえて、自らを愛し、周りの人を愛し、人間そのものを愛し、生き物を愛し、地球を愛し、生命そのものを愛し、その生を謳歌していないのではないでしょうか。
ちょんなん新聞の社会面はときとして、事故、殺人、自殺、強盗、犯罪のオンパレードです。ちょっとは、バランスを考えればいいだろうに。
「ニッポン」トユウ国ハ、コンナヒドイ国ニダ、と必要以上に煽っているようなものです。事故事件犯罪汚職大国だということを過剰に刷り込みしたがっているようです。
チョンナン新聞の話はちょっと脱線ですが、フェミババの大親分(飢之痴頭子)の弟子を自称している女性タレントが、先日NHKの昼過ぎの番組に出ていましたが、その人のしゃべりを聞いていてふとそう思いました。
生きていることを肯定的に捉えることができない者が、政治や社会を語るのは間違っています。自分が生き物(動物)であることの自覚なしに社会を語ることは、結果的に、理念や主義主張や教義や数字(貨幣経済)を優先させることにもつながると思うのです。それは喜怒哀楽の感情がなく、本来冷徹なものでしょう。知情理のほんのごく一部の事象です。それでこの世の全体を説明してくれるな。個人で勝手にやっててくれ。そう思ってしまったのですた。
その意味で、オウムの饒幽やこのたびの堀衛門には、同じぞっとする空気を感じるのですた。
経済や市場社会の成熟とともに、政治や思想哲学も、それにふさわしい階梯にならないといけないのですが、どうもまだ非常にアンバランスのようです。
敗戦直後の日本の政治家のレベルにすら遠く及ばないように見えてなりません。その方々がかかわった日本国憲法は深い理念によって成立したようですが、それが時代とともに修正が必要であることは認めます。
が、それをつくることにかかわった人間が持っていた政治哲学のレベルにいまだ達していないまま、今それに手をかけることはかえって危険であるように思います。
そして、憲法改正は国民投票です。
まだまだ、「国民」として成熟しているかどうか、的確な判断ができるかどうか、自分をふくめ周りを見渡しても、首を傾げざるをえません。となりの、ピンク色国家をみてもわかるでしょう。
まともそうにしている国民がえらぶ大統領が、あんなですから。ひとのふりみてわがふりなおせ、ということです。
まずはブログ(ネット)社会がもう少し成熟して、ウソでっち上げするような売国新聞社やテロビ局がつぶれるようになるか、経営陣が総入れ替えになることが、ひとつの目安でしょう。
そのためには、ネットの言論規制に用いられる法は、障害になるのではないでしょうか。ネットの言論がなんら規制なしで向かう先は、おそらく現在の枡塵升目出唖の地位低下でしょうから、旧パラの組織の方々は、なんとしても規制・制御したいとおもっているでしょう。さて、どうなりますやら。
これは メッセージ 16742 (popopoakapoppo さん)への返信です.