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つづき

投稿者: zombie_pp 投稿日時: 2004/11/28 16:08 投稿番号: [14706 / 28311]
(中略)
「死の行進」に関し和知参謀長は、要旨次のように述べている。
  元来バタアン半島はマラリヤのはびこる地帯である。それだけに敵味方ともマラリヤにかかり、その他にデング熱や赤痢に倒れる者もあって全く疲れていた。
  バタアンの比島軍の捕虜は五万であったが、その他一般市民で軍とともにバタアンへ逃げ込んだのが約二〜三万は数えられ、合計八万に近い捕虜があった。一月から四月まで、かれこれ三ヶ月半も、バタアンの山中にひそんでいたためほとんどがマラリアその他の患者になっていた。その彼らを後方にさげねばならなかった。なぜなら軍にはまだコレヒドール攻略が残っていたからである。
  捕虜は第一線から徒歩でサンフェルナンドへ送られた。護送する日本兵も一緒に歩いた。水筒一つの捕虜に比し背嚢を背負い銃をかついで歩いた。全行程約六十数キロあまり、それを四〜五日がかりで歩いたのだから牛の歩くに似た行軍であった。疲れきっていたからである。南国とはいえ夜になると肌寒くなるので、日本兵が焚火をし、炊き出しをして彼らに食事を与え、それから自分らも食べた。通りかかった報道班員が見かねて食料を与えたこともある。できればトラックで輸送すべきであったろう。しかし貧弱な装備の日本軍にそれだけのトラックのあるはずもなかった。次期作戦、すなわちコレヒドール島攻略準備にもトラックは事欠く状態だったのである。
(中略)
  むろん道中でバタバタと彼らは倒れた。それはしかしマラリア患者が大部分だった。さらにもう一つ付け加えれば、彼らはトラックで移動することを常とし、徒歩行軍に馴れていなかったことである。」

日本軍がコレヒドールを攻めたのは完全な戦略的地理的ミスで
マニラへ歩を進めるのであれば
その手前のコレヒドールで消耗するのは
まったくの失策としかいえない
本来であればルソン北部から侵攻すべきだった

ちなみにフィリピン人の多くは
この件について
ほとんど恨みをもってはいない
しかしそれが彼らが生来もっている民族性と
長い植民地で染み付いた「耐えるのが生き残るコツ」があったればこそだ
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