朝日は何時、変貌したか
投稿者: asahi_comlik 投稿日時: 2004/08/21 12:57 投稿番号: [13918 / 28311]
▲ある知人からの報告。(コピペ)
1970年3月、当時の社長広岡氏は株主総会もほったらかして中国に飛んだ。そして約1ケ月間、中共政府の熱烈歓迎をうけた。この時から朝日の編集方針は一変したのである。「日中復交促進」を社論に掲げて、何もかも中国共産党政府の意向や言い分を正論として、日本国民に伝達することを使命とする「中国一辺倒の新聞に変身」したのである。
社論だけでない、朝日の事業部は、日中卓球親善試合の開催、中国物産展の主催、上海舞踊団の公演など矢継ぎ早に中国文化を紹介した。
さらに、編集局長まで訪中させて朝日の編集や紙面構成まで談合したと云う。つまり社をあげて中共の政策にのめり込んだのである。
一人の朝日の記者が中国に渡り、言論統制厳しい共産党の宣伝マンから大デタラメな作り話を聞かされ、ありもせぬ大虐殺や、万人坑の凄惨きわまりない、日本軍民が犯した残虐物語を無批判に、検証もせず、ウラもとらずそのまま綴ったのが「中国の旅」である。
朝日新聞が史実とも照合しないで大々的に掲載したため、日本国民に与えた影響は過大なものがあった。
「南京大虐殺事件」なるものは、東京裁判で初めて知らされた事件である。それまで日本国民は“噂”にすら聞いてもいなかった。南京城の面積はほぼ世田谷区と同じ位である、そこに130人ほどの記者、カメラマンが入城して取材にあたったが誰一人として、大虐殺など見てもいないし、聞いいてもいないのである。
従って死体の山も血の河も、非戦闘員を殺害している場面の写真なども1枚もない。
東京裁判は勝者が敗者に対する一方的な復讐裁判だ。日本国民は初めて聞く南京虐殺の件に驚愕したものの、日時と共にその印象も薄れかけていた。しかし、改めて「中国の旅」が朝日に連載されるに及んで、国民は愕然とした。なぜならそれは、日本新聞記者による現地報道だからである。
南京虐殺事件が初めて中学の歴史教科書に登場したのは、昭和50年の春から使用する教科書である。それは、おそらく、朝日を上げて虐殺キャンペーンの影響と思われる。文部省の検定官は、驚き、「戦乱にまぎれて…」事件が起きたと修正意見を付した。それが57年の「侵略」を「進出」に訂正したと云う誤報を、時の宮沢官房長官が、誤報にも拘わらず中国に謝罪して以後、どの教科書も「20万、30万」と云う誇大な残虐数を列記するようになり、「戦乱にまぎれて…」も消えてしまった事はご存じの通りである。
朝日は社内に「南京事件調査研究所」を設け、反日・虐殺派の学者を集め、もっぱら南京に大虐殺があったとする出版や寄稿を重ね、さらに虐殺の資料の発表や証言の収集につとめた。かくして朝日をトップに、日本のマスコミ全体が、南京に大虐殺があったとする風潮が支配的となった。
朝日は度がすぎて、ウソの陣中日誌や満州馬賊の生首の写真までかかげて、大虐殺の証拠だと大きく報道したため、戦友会から訴えられて敗訴、謝罪訂正を余儀なくされている。また毒ガスのニセ写真などもバレて謝罪している。
朝日は言論の自由のない中国・北朝鮮の共産党にのめり込んで、そのいいなりなり、今なお自国の過去を侵略国だったとする史観で、反日主義をふりまいて、正義ぶる恐ろしい新聞である。
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これで、私も納得!
1970年3月、当時の社長広岡氏は株主総会もほったらかして中国に飛んだ。そして約1ケ月間、中共政府の熱烈歓迎をうけた。この時から朝日の編集方針は一変したのである。「日中復交促進」を社論に掲げて、何もかも中国共産党政府の意向や言い分を正論として、日本国民に伝達することを使命とする「中国一辺倒の新聞に変身」したのである。
社論だけでない、朝日の事業部は、日中卓球親善試合の開催、中国物産展の主催、上海舞踊団の公演など矢継ぎ早に中国文化を紹介した。
さらに、編集局長まで訪中させて朝日の編集や紙面構成まで談合したと云う。つまり社をあげて中共の政策にのめり込んだのである。
一人の朝日の記者が中国に渡り、言論統制厳しい共産党の宣伝マンから大デタラメな作り話を聞かされ、ありもせぬ大虐殺や、万人坑の凄惨きわまりない、日本軍民が犯した残虐物語を無批判に、検証もせず、ウラもとらずそのまま綴ったのが「中国の旅」である。
朝日新聞が史実とも照合しないで大々的に掲載したため、日本国民に与えた影響は過大なものがあった。
「南京大虐殺事件」なるものは、東京裁判で初めて知らされた事件である。それまで日本国民は“噂”にすら聞いてもいなかった。南京城の面積はほぼ世田谷区と同じ位である、そこに130人ほどの記者、カメラマンが入城して取材にあたったが誰一人として、大虐殺など見てもいないし、聞いいてもいないのである。
従って死体の山も血の河も、非戦闘員を殺害している場面の写真なども1枚もない。
東京裁判は勝者が敗者に対する一方的な復讐裁判だ。日本国民は初めて聞く南京虐殺の件に驚愕したものの、日時と共にその印象も薄れかけていた。しかし、改めて「中国の旅」が朝日に連載されるに及んで、国民は愕然とした。なぜならそれは、日本新聞記者による現地報道だからである。
南京虐殺事件が初めて中学の歴史教科書に登場したのは、昭和50年の春から使用する教科書である。それは、おそらく、朝日を上げて虐殺キャンペーンの影響と思われる。文部省の検定官は、驚き、「戦乱にまぎれて…」事件が起きたと修正意見を付した。それが57年の「侵略」を「進出」に訂正したと云う誤報を、時の宮沢官房長官が、誤報にも拘わらず中国に謝罪して以後、どの教科書も「20万、30万」と云う誇大な残虐数を列記するようになり、「戦乱にまぎれて…」も消えてしまった事はご存じの通りである。
朝日は社内に「南京事件調査研究所」を設け、反日・虐殺派の学者を集め、もっぱら南京に大虐殺があったとする出版や寄稿を重ね、さらに虐殺の資料の発表や証言の収集につとめた。かくして朝日をトップに、日本のマスコミ全体が、南京に大虐殺があったとする風潮が支配的となった。
朝日は度がすぎて、ウソの陣中日誌や満州馬賊の生首の写真までかかげて、大虐殺の証拠だと大きく報道したため、戦友会から訴えられて敗訴、謝罪訂正を余儀なくされている。また毒ガスのニセ写真などもバレて謝罪している。
朝日は言論の自由のない中国・北朝鮮の共産党にのめり込んで、そのいいなりなり、今なお自国の過去を侵略国だったとする史観で、反日主義をふりまいて、正義ぶる恐ろしい新聞である。
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これで、私も納得!
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.