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恣意的な引用ぐせ

投稿者: sagam_2001 投稿日時: 2004/01/24 09:05 投稿番号: [12131 / 28311]
天声人語
http://www.asahi.com/paper/column20040124.html

>いろいろな岐路があるが、あのときから日本は変になった。歴史家らがそう指摘する岐路の一つが1918年からのシベリア出兵だった。ロシア革命後のソ連への干渉戦争である。あの失敗を教訓として生かせなかったために、その後泥沼のような戦争に突き進むことになった、と。

>戦地から政治学者の吉野作造にあてた青年将校の手紙がある。軍隊にとって最も大切なのは国民の後援があることだが「多数同胞はむしろ出征の無意義を唱えているありさまである」。兵士も何のために出征したかを理解していないと訴えた(『日本の百年   6』筑摩書房)。

>派兵については、政府・政党間でも足並みがそろっていなかった。第一党の政友会総裁原敬は「自衛の必要以外ではみだりに兵を動かすべきではない」と政府に進言していた。しかし、裏では軍や若手官僚が着々と出兵準備を進めていた。

>米国の共同出兵提案に乗るかたちで派兵に踏み切ったが、犠牲者の多い悲惨な負け戦だった。「列強と共々に兵をシベリアに出しながら、結局は我が国独り露国民の反感を深く買ふの愚に陥つた」。ほぼ同時代に出た外交史の書もそう記した。

>強硬派に引きずられた。大義が不明確だった。途中から目的が拡大していった。ゲリラ戦に対応できなかった。撤兵の機会を逃した。様々な教訓を残した派兵である。

▲「日本が変になった」のは日露戦争勝利からと司馬遼太郎を恣意的に引用したばかりの人語氏、いつのまにか「変になったのはシベリヤ出兵から」。

▲強硬派・軍部の独走、「米国の共同出兵提案に乗る」がいいたかったようだが…。第一次大戦http://ww1.m78.com/index.htmlでみると(以下△印;

△英仏は第1次大戦開戦直後から日本に地上部隊の派遣要請を依頼していた。一つは西部戦線に派遣すること、別に東部戦線の一定割合を負担することが考えられた。この要請にたいし早くから海軍は前向きに検討を開始していた。一方陸軍は消極的だった。

△アメリカのウィルソンはボルシェビキ政権を説得により自陣営に組み入れる事が可能とみていた。これを理由として日本軍の派遣に反対していた。ウィルソンとしては友邦とみなした日本と共同出兵を行い、英仏を牽制したかった。

△ 4600人の戦病死者を出し撤兵した。・・・最盛時3個師団(7万人)で4年3ヶ月戦ったにしては軽微な損害だった。

▲と、英仏の要請、日本軍部も反対、米も最初は反対とある。また、日本の国益になったかはたしかに疑問だが…

△出兵は日本人にでなくロシア人の役にたった。シベリアは元来食料は満州を通過して得ていた。東支鉄道は白軍が一貫して保持していたしその先は南満州鉄道だ。日本軍の補給もボルシェビキの協力(!)もあって順調だった。要するに敵対して生きていける環境にシベリアはない。食料はシベリア全土でほぼ円滑に流通した。また治安も悪くはなかった。結果として白系の人々の脱出に大いに貢献した。

▲との見方もある。さて、人語氏のフィナーレ!

>日の丸の小旗に送られて自衛隊員たちがイラクに向けて出発していく。「ルビコン川を渡っていく」との感が深い。シベリア出兵時とは時代状況がまるで違うとはいえ、大きな岐路にある。

▲この結語がいいたかったのか。だからといって、『シベリア出兵時とは時代状況がまるで違う』なら妙な引用はダメ。ルビコンを渡ってからブツブツいう人語兵はカエサルならその場で首はね。
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