Re: 日本が捕鯨をやめなければならない理由
投稿者: kyomaru32 投稿日時: 2010/04/25 09:14 投稿番号: [62 / 298]
ご回答に気づかず返信が遅くなりました。小生は実はこの掲示板に不案内で、判読の仕方が今やっと呑み込めたところですが、一覧して分かったことにやはり独善的な投稿者がいますねえ。私はこんなサイトはご免なので以後参入はしませんが、ただあなたとは約束があるので回答いたします。
>そこまで( 不道徳だと)おっしゃる理由がどうもよく理解できませんでした。
理解できないのには価値観の違いもあるかしれません。私は伝統的な道徳感で人為を判断するので、官僚が省益のために国民をだますといった行為は不道徳と見ますが、でも今の世の中には「違法でなければ不道徳ではない」と考える人が増えていて、捕鯨問題でも「異議の申立てや留保権は締約国の権利」だとか言いいます。また私は生き物に関して「不必要な殺生は不道徳」という信念を持っていますが、投稿を見ると「食べたい者がいるんだから」とか「文化なんだから」といった意見が多く、殺生を意に介さない風情です。このように価値観が違えば討論しても話が噛み合わないし無意味でしょう。
ご承知かどうか、調査捕鯨は(財)鯨研と(株)共同船舶を救済するために始めた事業、また商業的な捕鯨になったのは、旧大蔵省から「鯨肉で経費を賄うなら認める」と釘を刺されたからでした。つまり目的と手段が逆だったわけで、それなら捕鯨当局の言説はすべて辻褄合わせでしょう。検証してみると 初めにやったのが広告代理店を用いた世論工作で、国民には捕鯨文化説を、海外には鯨肉が日本人の日常食であるという情報を流して、調査捕鯨の正当化を図っています。その結果は「PR年鑑83年版」で評価されているほどの大成功で、国民の多くがが捕鯨ナショナリズムの信徒にされてしまいました。税金を使ってその納税者をおとしめる──こういう行為を不道徳とは思いませんか。
捕鯨行為もまた、違法とは言えないまでも脱法ですね。調査捕鯨は取締条約の「調査条項」を利用した事実上の商業捕鯨ですが、そもそも条約は「文脈の趣旨及び目的に照らして用語の通常の意味に従い解釈すること」(条約法26条)が原則で、身勝手な解釈をしてはならないのです。第一、日本流の解釈が許されるのなら何を捕ろうが何頭捕ろうが勝手だということになり、捕鯨全面禁止の条約が無意味になってしまいます。それに条約を尊重して捕鯨を中止したスペイン、プラジル、ソ連、ぺルーを冒涜することにもなる。IWCの総会では毎年、調査捕鯨の中止を議決して日本に勧告しているのですから、違法ではないと言い張ることは出来ても道徳にかなっているとは言えないはずです。
でも、非は理に勝てません。調査捕鯨の隠れ蓑も自然に剥がれ落ちています。まず「商業捕鯨再開」と「沿岸捕鯨の枠拡大」という長年の主張がプラフであったことが判明しました。捕鯨の再開に必要なRMS(新管理制度)の協議において、日本は「調査捕鯨の継続」に固執して譲らず交渉を決裂させてしまったからです。また、これは最新のニュースですが、
《IWCの議長が提示した新捕獲枠「今後5年間は年400頭、その後は200頭」の案に対し、赤松農相が「200頭では調査費用がまかなえない」と拒否の意向を示した。》
とのこと。鯨肉の販売益で費用をまかなってきたことは衆知の事実ですが、でも費用が捻出できないから拒否するとなると、目的と手段が反転して破廉恥なことになる。致死的調査への国際的批判に対し「殺さないと生態調査が出来ない」と猛反撃していたのに、今となって「実は鯨肉目的で殺し、一部を検査に回していたのです」では恰好がつかないでしょう。こんなことなら初めから「われわれの目的は調査捕鯨の存続で、沿岸捕鯨の振興でも商業捕鯨の再開でもありません」と言うべきでした。
>そこまで( 不道徳だと)おっしゃる理由がどうもよく理解できませんでした。
理解できないのには価値観の違いもあるかしれません。私は伝統的な道徳感で人為を判断するので、官僚が省益のために国民をだますといった行為は不道徳と見ますが、でも今の世の中には「違法でなければ不道徳ではない」と考える人が増えていて、捕鯨問題でも「異議の申立てや留保権は締約国の権利」だとか言いいます。また私は生き物に関して「不必要な殺生は不道徳」という信念を持っていますが、投稿を見ると「食べたい者がいるんだから」とか「文化なんだから」といった意見が多く、殺生を意に介さない風情です。このように価値観が違えば討論しても話が噛み合わないし無意味でしょう。
ご承知かどうか、調査捕鯨は(財)鯨研と(株)共同船舶を救済するために始めた事業、また商業的な捕鯨になったのは、旧大蔵省から「鯨肉で経費を賄うなら認める」と釘を刺されたからでした。つまり目的と手段が逆だったわけで、それなら捕鯨当局の言説はすべて辻褄合わせでしょう。検証してみると 初めにやったのが広告代理店を用いた世論工作で、国民には捕鯨文化説を、海外には鯨肉が日本人の日常食であるという情報を流して、調査捕鯨の正当化を図っています。その結果は「PR年鑑83年版」で評価されているほどの大成功で、国民の多くがが捕鯨ナショナリズムの信徒にされてしまいました。税金を使ってその納税者をおとしめる──こういう行為を不道徳とは思いませんか。
捕鯨行為もまた、違法とは言えないまでも脱法ですね。調査捕鯨は取締条約の「調査条項」を利用した事実上の商業捕鯨ですが、そもそも条約は「文脈の趣旨及び目的に照らして用語の通常の意味に従い解釈すること」(条約法26条)が原則で、身勝手な解釈をしてはならないのです。第一、日本流の解釈が許されるのなら何を捕ろうが何頭捕ろうが勝手だということになり、捕鯨全面禁止の条約が無意味になってしまいます。それに条約を尊重して捕鯨を中止したスペイン、プラジル、ソ連、ぺルーを冒涜することにもなる。IWCの総会では毎年、調査捕鯨の中止を議決して日本に勧告しているのですから、違法ではないと言い張ることは出来ても道徳にかなっているとは言えないはずです。
でも、非は理に勝てません。調査捕鯨の隠れ蓑も自然に剥がれ落ちています。まず「商業捕鯨再開」と「沿岸捕鯨の枠拡大」という長年の主張がプラフであったことが判明しました。捕鯨の再開に必要なRMS(新管理制度)の協議において、日本は「調査捕鯨の継続」に固執して譲らず交渉を決裂させてしまったからです。また、これは最新のニュースですが、
《IWCの議長が提示した新捕獲枠「今後5年間は年400頭、その後は200頭」の案に対し、赤松農相が「200頭では調査費用がまかなえない」と拒否の意向を示した。》
とのこと。鯨肉の販売益で費用をまかなってきたことは衆知の事実ですが、でも費用が捻出できないから拒否するとなると、目的と手段が反転して破廉恥なことになる。致死的調査への国際的批判に対し「殺さないと生態調査が出来ない」と猛反撃していたのに、今となって「実は鯨肉目的で殺し、一部を検査に回していたのです」では恰好がつかないでしょう。こんなことなら初めから「われわれの目的は調査捕鯨の存続で、沿岸捕鯨の振興でも商業捕鯨の再開でもありません」と言うべきでした。
これは メッセージ 31 (danzo_kato さん)への返信です.