鯨学の歴史
投稿者: springsanbo 投稿日時: 2008/06/21 19:55 投稿番号: [3 / 43]
クジラの観察は古代から行われていたことが記録されている。古代ギリシアの漁師は捕えたイルカの背びれに人工的な切れ目を入れて、何年も経った後でも見分けられるようにした。
およそ2300年前、アリストテレスは、エーゲ海で漁師が獲ってきたクジラを注意深く観察した。著書Historia animaliumの中ではヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目について記述し、今日でも使われている分類体系を作った。またマッコウクジラ属とマイルカ属についても、少なくとも25年から30年の寿命をもつと述べている。今日でも進化した海棲哺乳類の寿命を評価することは難しいことから、アリストテレスの業績は当時としては際立っていたと言える。
アリストテレスの死後、彼が得たクジラに関する多くの知見は失われたが、その一部はルネッサンス期に再発見された。
中世のクジラに関する文献の多くは、13世紀中盤ごろにスカンディナヴィアやアイスランドから出ている。
その中でも最も有名な文献の一つはSpeculum Regaleである。この文献では、アイスランド島の周辺に生息する多くの種について記している。またこれにはイヌのような歯を持った"orc"という種についても記されている。野生の犬が陸生動物を襲うように、これらの主は他のクジラを襲ったと考えられている。現在のシャチのことである。さらにこの本ではorcが狩りをするテクニックについても図解されている。
Speculum Regaleにはマッコウクジラやイッカクを含む、別の種についても記されている。長い間、これらは人間を殺し船を沈没させる恐ろしい怪物だと考えられてきた。そのため"Pig Whale"(豚クジラ)、"Horse Whale"(馬クジラ)、"Red Whale"(赤クジラ)などという妙な名前で呼ばれることもあった。
しかし記載された全ての生物が恐ろしく描かれていたわけではなく、ある種については好意的に見られていた。例えばニシンの大群を岸に向かって追うクジラなどもおり、漁師からありがたがられていた。
初期のクジラ学に関する研究の多くは死体や神話に基づいて行われていた。そのため解剖学については、大きさや大まかな外見についてしか分かっていなかった。なぜならクジラは一生の大半を海中で過ごすからであり、当時の科学者にはそれ以上研究を行う術がなかった。1500年代になってやっと、クジラが魚類ではなく哺乳類の仲間であることが明らかとなった。
前述したアリストテレスはクジラが哺乳類であることを見抜いていたが、年上のプリニウスは魚だと考えており、多くの科学者はこちらの意見を支持していた。アリストテレスの主張が受け入れられるのは、16世紀にピエール・ベロンらが現れるまで待たねばならなかった。かれらは、クジラは哺乳類のように肺と子宮を持っていると主張した。1758年にスウェーデンのカール・フォン・リンネが『自然の体系』(Systema naturae)を著してから、クジラは哺乳類であると一般に認められるようになった。
わずか数十年後、フランスの動物学者であり古生物学者であるジョルジュ・キュヴィエはクジラを後足のない哺乳類に分類した。骨格は既に組み合わされ自然歴史博物館に展示されていたので、動物学者は詳細に観察し、絶滅した動物の化石と比較することができ、結局クジラは古代の陸生哺乳類の子孫であるという結論に至った。
9世紀から20世紀の間、クジラに関する情報の多くは捕鯨船から寄せられていた。捕鯨船員は間違いなくクジラについて最もよく知っている人たちであるが、情報はせいぜい移動のルートや外見的なことでしかなく、行動についてはほとんど分かっていなかった。
1960年代にはクジラの個体数が少なくなったことや、水族館においてイルカやシャチの人気が出てきたことから、クジラ学の研究が活発になった。
現在では、クジラ学のコースがある大学は少なく、クジラ学は専攻するのが難しい学問になっている。現代のクジラ学は資金不足で個人的に行われていることが多い。
およそ2300年前、アリストテレスは、エーゲ海で漁師が獲ってきたクジラを注意深く観察した。著書Historia animaliumの中ではヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目について記述し、今日でも使われている分類体系を作った。またマッコウクジラ属とマイルカ属についても、少なくとも25年から30年の寿命をもつと述べている。今日でも進化した海棲哺乳類の寿命を評価することは難しいことから、アリストテレスの業績は当時としては際立っていたと言える。
アリストテレスの死後、彼が得たクジラに関する多くの知見は失われたが、その一部はルネッサンス期に再発見された。
中世のクジラに関する文献の多くは、13世紀中盤ごろにスカンディナヴィアやアイスランドから出ている。
その中でも最も有名な文献の一つはSpeculum Regaleである。この文献では、アイスランド島の周辺に生息する多くの種について記している。またこれにはイヌのような歯を持った"orc"という種についても記されている。野生の犬が陸生動物を襲うように、これらの主は他のクジラを襲ったと考えられている。現在のシャチのことである。さらにこの本ではorcが狩りをするテクニックについても図解されている。
Speculum Regaleにはマッコウクジラやイッカクを含む、別の種についても記されている。長い間、これらは人間を殺し船を沈没させる恐ろしい怪物だと考えられてきた。そのため"Pig Whale"(豚クジラ)、"Horse Whale"(馬クジラ)、"Red Whale"(赤クジラ)などという妙な名前で呼ばれることもあった。
しかし記載された全ての生物が恐ろしく描かれていたわけではなく、ある種については好意的に見られていた。例えばニシンの大群を岸に向かって追うクジラなどもおり、漁師からありがたがられていた。
初期のクジラ学に関する研究の多くは死体や神話に基づいて行われていた。そのため解剖学については、大きさや大まかな外見についてしか分かっていなかった。なぜならクジラは一生の大半を海中で過ごすからであり、当時の科学者にはそれ以上研究を行う術がなかった。1500年代になってやっと、クジラが魚類ではなく哺乳類の仲間であることが明らかとなった。
前述したアリストテレスはクジラが哺乳類であることを見抜いていたが、年上のプリニウスは魚だと考えており、多くの科学者はこちらの意見を支持していた。アリストテレスの主張が受け入れられるのは、16世紀にピエール・ベロンらが現れるまで待たねばならなかった。かれらは、クジラは哺乳類のように肺と子宮を持っていると主張した。1758年にスウェーデンのカール・フォン・リンネが『自然の体系』(Systema naturae)を著してから、クジラは哺乳類であると一般に認められるようになった。
わずか数十年後、フランスの動物学者であり古生物学者であるジョルジュ・キュヴィエはクジラを後足のない哺乳類に分類した。骨格は既に組み合わされ自然歴史博物館に展示されていたので、動物学者は詳細に観察し、絶滅した動物の化石と比較することができ、結局クジラは古代の陸生哺乳類の子孫であるという結論に至った。
9世紀から20世紀の間、クジラに関する情報の多くは捕鯨船から寄せられていた。捕鯨船員は間違いなくクジラについて最もよく知っている人たちであるが、情報はせいぜい移動のルートや外見的なことでしかなく、行動についてはほとんど分かっていなかった。
1960年代にはクジラの個体数が少なくなったことや、水族館においてイルカやシャチの人気が出てきたことから、クジラ学の研究が活発になった。
現在では、クジラ学のコースがある大学は少なく、クジラ学は専攻するのが難しい学問になっている。現代のクジラ学は資金不足で個人的に行われていることが多い。
これは メッセージ 2 (springsanbo さん)への返信です.
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