台湾人と本気で交流
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: nachitakaoさま、欧米寄り、中国寄り♪
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/04/21 02:51 投稿番号: [7885 / 10346]
>明治初期には欧米列強に追いつくためにとりあえず中国の伝統思想や文化と手を切り、ある程度発展したところで今度は欧米列強に対抗するためにあえてアジアにまた急接近したというふうに考えられるのかもしれません。
でも、欧米主義の反動でアジアに接近したといってもそれは政治的な勢力地図を拡大するためで、日本はもう二度と中国的な文化、伝統の世界に帰ることはなかったと思います。
大方同意ですが、さらに深く掘り下げるには、秀吉の「唐入り」(朝鮮出兵)、そして、島津斉彬や吉田松陰、山田方谷の攻勢防御論まで考えないと、片手落ちになるかもしれません。
斉彬は、「いっそ日本はベトナムまで進出して、絶対国防圏を確保しておく方がいい」、方谷や松陰は、「朝鮮、満州あたりまで確保して、日本の防衛ラインを固めておかねばならない」という考えでした。
斉彬以降は、恐らくアヘン戦争のニュースがショックだったのでしょう。
徳川慶喜が、将軍就任前か後に、小笠原長行を連れて開国についてお公家さんと談判しているときに、小笠原、「そんなアマチャンな考えでは、日本も中国人のように西洋人に征服されますぞ!」と声を荒げたとか。
慶喜が、「これ、控えよ!」とたしなめますが、まあ日本の西洋に対する恐怖を物語っていると思います。
これが約80年後の、例のマッカーサーの日本擁護発言と、少し繋がるように思えます。
秀吉は古すぎるとして、1850年代から20世紀初頭まで、「攻勢防御」という考え方は、決して荒唐無稽ではありませんでしたし。林子平の『海国兵談』が、それに火をつけたとも言えますが。(女帝エカチェリーナ2世についても言及してますな、その本は。)
さて、今は、その考えは要りません。
なぜならば、在日米軍がいるからです。今のところは。
皮肉にも、在日米軍がいるから、日本は「ホッ」と一息、いや、60年間も戦争せずに、血を流さずに済んでいます。
在日米軍がいなかったら、日本もベトナムのように、中国から「膺懲」されることもあったかも知れませんね。まあ、海を隔てているからベトナムほど切実ではありませんが。
亜細亜への回帰と言えば、日韓併合でも、日本には「大アジア主義」として、本当の意味での日韓の対等合併を唱えていた理想主義者もいましたからね。朝鮮の「一進会」も、朝鮮側からの、対等な合併推進運動でした。
まあ実際には、非現実的な話ではありましたが、そういうロマンチシズムも、広く日本には存在したのは事実ですな。
「脱亜主義」については、例の福沢も、金玉均(キム・オッキュン)が朝鮮同胞によって死体を八つ裂きにされたのを死って悲嘆にくれ、意を決して思い至ったと言えましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略)然るに爰{ここ}に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云ひ、一を朝鮮と云ふ。……我輩を以て此二国を視れば、今の文明東漸{とうぜん(東洋へ伝わってくること)}の風潮に際し、迚{とて}も其独立を維持するの道ある可らず。……左{さ}れば今日の謀{はかりごと}《注》を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶豫{ゆうよ}ある可らず。(中略)悪友を親しむ者は共に悪名を免{まぬ}かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶《注》するものなり。(時事新報)
これは メッセージ 7884 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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nachitakaoさま、欧米寄り、中国寄り♪
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/21 00:35 投稿番号: [7884 / 10346]
那智高雄さま
かなり前にいただいたレスで、日本の脱亞主義について考えていました。
インドや中国などの思想や伝統と手を切ったことが日本の発展の原動力だと考えていたためです。
>やや欧米文化吸収時期が20年もつずきましたが、明治の終わりごろからは、中国進出が関を切った様に動きだし、アジア派が台頭してきて政官民揚げて中国や朝鮮の思想、政治にはまり込みました。欧米主義の反動であります。
なるほど、日本は明治初期に中国の伝統から手を切っているのに、明治の終りには欧米主義の反動で中国や朝鮮の思想や政治にはまり込むのですか?
これは台湾、朝鮮を植民地として同胞に引き入れ、中国に進出することで欧米列強に対抗しようとする気運と重なるのでしょうか?
明治初期には欧米列強に追いつくためにとりあえず中国の伝統思想や文化と手を切り、ある程度発展したところで今度は欧米列強に対抗するためにあえてアジアにまた急接近したというふうに考えられるのかもしれません。
でも、欧米主義の反動でアジアに接近したといってもそれは政治的な勢力地図を拡大するためで、日本はもう二度と中国的な文化、伝統の世界に帰ることはなかったと思います。
>中国人民共和国は関与しなかったが、中華民国の成立は日本人の関与なくしては語り終えません。孫文は日本の援助なくしては革命は無かったでしょう。彼の1/3の人生は日本で暮らしたのです。
欧米流の近代化、民主政治に目覚めた日本の政治家が中国の革命を支援するというのは理解できます。当時の中国の封建制が深刻な問題を抱えていたことは、清朝の崩壊からもわかります。そして中国が封建制や忌まわしい古い伝統、思想から目覚めるためには、共産主義という恐ろしいカンフル剤が必要だったように思います。
これは メッセージ 7860 (houzantakao さん)への返信です.
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戦力無き日本の戦力>houzantakaoさん
投稿者: jyoui 投稿日時: 2006/04/19 10:40 投稿番号: [7883 / 10346]
>軍備も諜報も無い日本です。
http://www.youtube.com/watch?v=lmixIlL1ogg>中国は陸軍は強いし、空軍も立派ですが、最近は海軍も一流になってきました。ロシヤから購入した最新の潜水艦が海南島の港に停泊しているらしいです。特殊な環境、平和ボケが将来この国をどう処置するかわかりません。
僭越ではありますが、海軍や空軍が一部装備を更新したからと言って、即座に戦力が向上するわけではありません。
勝海舟、榎本武揚の幕府海軍から山本権兵、東郷平八郎の海軍になるまで何年かかってるか。
海軍では装備導入が始まって十年間は戦力化の時期であり、戦力となるのはそれからです。(特に最新装備はIT化が進み、対応に時間がかかる)
まして、数年前まで各軍管区の陸軍司令部のなか、その下に海軍の司令部があった海軍です。
空軍は見かけだけでなく、そのバックアップ体制にもより、実戦力が違ってきます。
編隊(密集隊形)を見れば錬度が判ると言います。
年間、最低180時間以上の飛行時間を訓練してきたのが西側同盟ですよ。
その強大な陸軍がベトナムの民兵部隊により壊滅させられ、敗走したのは80年代初めでしたね。
日本の自衛隊も柔軟対応部隊化途上であり、装備の更新期でもあって、注意が必要ですが、中国はさらに大幅な改変途上でしょう。(問題はソフト・意識の改革=兵員れべるまでの、が進んでいるのかどうかですね。)
注意深く観察しながら、対応策を怠らないことですね。
これは メッセージ 7875 (houzantakao さん)への返信です.
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>吉祥寺とその周辺が好きでした (2)
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/04/19 00:03 投稿番号: [7882 / 10346]
>私は個人的には吉祥寺とその周辺が好きでした。あと西荻のあたり。アートなお店が多いし、個性的なんですよね〜。音楽好きの私は中学生のときから吉祥寺のライブハウスに通ったりしてました
あ、いいですねえ。
ワタシ、前にも話したかな、消防時代は荻窪とK円寺の間に住んでいました。
三鷹、吉祥寺、西荻あたり…。確かに音楽も楽しめる町ですね。
吉祥寺と西荻では、ワタシも演奏しました。まあ、誘われた時に、「お、吉祥寺の“○ンダラ”でブッキングしてるの? 乗った乗った!」「西荻の“○ッツ”? いいね、乗った乗った」と、助っ人をやったりしてたんですが。
なんかこう、すっかり忘れつつあったのを、徐々に思い出しつつあります。(笑)
たかだか10年かそこらの昔の事なのに。(笑)
吉祥寺あたりだと、駅から少し離れると、オープンカフェで、いわゆるワールドミュージックの弾き語りなんかも聴けますね。夏の夕暮れなんか、きっといいでしょうね。(まだ本格的にあのあたりで聴いた事がない。と言うか、いきなり昔の知人に会いそうw)
学生時代は、都内でバイト代をはたいて輸入CDを買い漁り、帰りに吉祥寺で途中下車して、とあるジャズ喫茶で一服入れていました。破れた汚いソファーに深々と腰掛け、大音量で聴きながらコーシーを一杯。
>だからといって社会主義という選択肢がもうないので、暗闇まっしぐら。
ワタシゃ、数字に滅法弱く、厨房の頃はうちに下宿していた大学生の従兄の影響で、よし、オレも将来は経済学部に入ろう、なんて思ってましたが、いつのまにやらそれも忘れ。(笑)
従兄が、しょっちゅう『中国の紅い星』という本の話や、毛沢東、周恩来の話をしてくれたのを思い出します。
まあとにかく社会主義というものを語る資格なんかワタシには無いんですが、「自由」と「平等」という、いわば相反するものを、どうやって折り合いをつけるんだ?とは思っていました。
まあ現実的には、努力しようがしまいが、平等にパンを与えるというのではなく、努力したら確かに出世もあったのだから。
まあ何と言いますか、理念の段階で、すでに上述の通り、「?」マークなワタシでありました。
そうだ。恐怖を煽るといえば、どうなんだろう。セキュリティー会社の営業マンに限らず、例えばワタシがいる米資の会社も、上からいい話よりも、危機感についての話ばかりで(実際には、業績が非常にいい時期も当然あるわけだが)、「ああ、こりゃエンドレスなんだな、ここにいる限り。退職して初めて安らげるなんて、まるでクンタ・キンテのセリフみたいだな」なんて思う事もありますた。(爆)
これは メッセージ 7881 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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>吉祥寺とその周辺が好きでした (1)
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/04/19 00:03 投稿番号: [7881 / 10346]
>東京は4代目で江戸っ子ということらしいんですが、東京の地元に懐かしさは感じないですよ。日々変化していく自分のほうに関心があるので、昔の自分をふりかえって立ち止まるのが嫌なのかもしれません。もちろん地元に愛着はあるけど、懐かしがってうんぬんていうのは嫌いなノリです。
なるほど、だから台湾に住める、とも言えますよね。
立ち止まらないなら、立ち止まらないに限るんじゃないっすかねえ、本当に。(笑)
そう思います☆
過去を「顧みる」のはいいんですけど、現在と比べて過去を懐かしむと、「今」を選択している自分の責任の所在が不明瞭にもなるかもだし(^^ゞ
なんだかんだ言って、人間は常に選択しながら進んでいるんだし。
>ホンキーさんは西から東まで制覇しているから
してないしてないしてないっす!!!!(笑)
それこそ、「点と線」ですよ。本当に。いや、これはワタシだけじゃない。
いろいろなところに住んでも、結局「点と線」だと思います。
例えばワタシ、今のところに、計算してみたら9年住んだ事になるんですが、何も知りませんよ。
いや、どこに何が建っているかとか、道とかは分かりますよ。でも、それだけ。町の本質は何も知らない。
>日本の全体像をよく理解してるってことかも♪
ホンキーさんの幅広い知識と経験ってそこから来てるのかぁ?
ですんで、自分の目で見たとか、耳で聞いたという知識は、ごく僅かです。
ゆえに、いつからいつまでそこに住んだとか言っても、案外知っている事なんぞは少ないと思うんです。
だからこそ、人間は本や映像で知識を得るし、それでいいと思っています。
そこへ行かなきゃダメだとか、実物を見なくちゃダメだとか、それは違うというのがワタシの考えでして。
ですので、これからさき、例えば年下の人々から、「1990年代について語って」とか「○○市って、どんな町ですか?」なんて問われても、「断片的でいいのかい? ジェネラルには語れないよ」としか言えないと思うんです…。
この考え方は、数年で、まあ偉そうに言えば、「悟った」と言いますか、知覚しました。
>あの時代からリッチな雰囲気を楽しむ文化が日本に根付いたのかな。私はカフェバーに行くことは少なくて、もっぱら居酒屋行ってますた^_^;
うーん。リッチと言いますか、とにかく全てが「うつろ」な時代でしたから、ネコも杓子もカフェバーって感じでもあったでしょう? 雑誌やテレビもそれを煽ったし。
バブルが崩壊して初めて、人々がそれぞれの好みで、色々な選択肢の中から選び取る、つまり、余裕をもって楽しむようになったように思えるんですね。
美味いか不味いか分からないけれど、とにかく流行りのカクテルを飲むとかじゃなく、気に入ったのを選ぶ。そうなれたんじゃないでしょうかね。
いわゆる、本当の意味で「人生の余暇を楽しむ」ための居酒屋=パブは、米国で知りました。
いや、パブと言いますか、かつて米国を去る際に、米国人の同僚達が、「おい、ストリップティーズ、観に行くか?」と誘ってくれて、観に行ったんです。
行ってみたら、いやらしさなんぞ全然ない、いわゆるアトラクションとしてのストリップで、お客も意外と、踊りを観てたり、おのおのビールの小瓶を持って離れたテーブルで語り合っていたり、撞球を撞いていたり、ダーツをやっていたり…。
一番愉快だったのは、踊っているおねえさんたちが、自分の出番が終わった後、軽くセーターなんかを羽織って、レジをカタカタ、チーン!って打って、「○○ドルです。どうもー!」なんてさわやかにやってた事です。
こういうの、気楽でいいなあと思ったものです。
まあ、それはあっちでも一つの「かたち」ですけど、本当に仕事を終えた後のオッサンやニイチャンたちの、「リラックス」ってものの、思い思いの楽しみ方というものを垣間見ました。
これは メッセージ 7880 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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Honkytonkさま、西から東まで〜♪
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/18 13:56 投稿番号: [7880 / 10346]
ホンキーさま、こんにちは(^o^)
>そもそもワタシ、西は九州から東は東北まで住みましたし、自分が「日本人」であるという事以外には、分かりませんネ☆
大学の「○○県人会」というのも、一度だけ出て、新入生なのに3000円ボッタくられて、二度と行きませんでした。
ああいう、方言をしゃべりあって地元を懐かしがるっていうノリ、ダメだわ…。
私もぜんぜんダメっす!
私は台北に移住する前までずっと東京の某所に住んでいて引越しの経験もないんです。東京は4代目で江戸っ子ということらしいんですが、東京の地元に懐かしさは感じないですよ。日々変化していく自分のほうに関心があるので、昔の自分をふりかえって立ち止まるのが嫌なのかもしれません。もちろん地元に愛着はあるけど、懐かしがってうんぬんていうのは嫌いなノリです。といいながら、バブル時代を懐かしんでいる自分がいる????
ホンキーさんは西から東まで制覇しているから、日本の全体像をよく理解してるってことかも♪
ホンキーさんの幅広い知識と経験ってそこから来てるのかぁ?
>そうだ、あのころ、「カフェバー」なんていうのが流行り、ワタシの友人(男)が野郎と二人で恐る恐る入り、なんか落ち着かないので、おトイレの話
うひゃ!カフェバーってもう死語?トレンディドラマの世界みたい♪
あの時代からリッチな雰囲気を楽しむ文化が日本に根付いたのかな。私はカフェバーに行くことは少なくて、もっぱら居酒屋行ってますた^_^;
下北沢って確かに独特の雰囲気がありますよね〜。私は個人的には吉祥寺とその周辺が好きでした。あと西荻のあたり。アートなお店が多いし、個性的なんですよね〜。音楽好きの私は中学生のときから吉祥寺のライブハウスに通ったりしてました。
>ワタシの知人のサックス吹きの青年が、セキュリティー会社に勤めていて、「うちの業界は、人に恐怖感を覚えさせて仕事を取ってくるんだ」
こりゃ確かにそうです!
マルクス主義とか左翼系の論客はみんなこういう傾向あるんですよね♪
雑誌のAERAとかいつも危機感あおってるし。どんな生き方してても資本主義の世界じゃ必ずリスクがあるよ、みたいな話になっちゃう。だからといって社会主義という選択肢がもうないので、暗闇まっしぐら。
だから日本じゃテレビのコマーシャルは生命保険会社一色なんですかな?
>長岡藩家老の河井継之助…彼も、太平の世なら、単なる親のスネかじりの放蕩息子で終わったと思えます。
河井氏の話、私はぜんぜん知らないのです。ちょっと調べてみましょう。時間があったら教えてくださいm(__)m
これは メッセージ 7869 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: nachitakaoさま、ベトナム反戦♪
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/18 00:13 投稿番号: [7879 / 10346]
cafe様:
教授連中が反戦運動参加でも、学生が参加でも自由でありました。学校の処分なんて一切ありません。だが運動中の責任は自分でとるのが基本でありました。
戦争は道理がたてば大統領のうしろに立ちまして国家的な機運になりますが、長期になると反戦気運がでてきます。西はCA.大学のバークレイ校、ヒガシはコロンビア大学が先鋭でした。かなりの学生が刑にふくしたものです。キャンパスで軍隊の機銃で射殺された学生もいます。その先頭が当時
「chicago seven]の連中であり、社会に出ていた連中ですからその後の人生はかなり酷でありました。中の一人は選挙に出て最後はCA.州の上院議員になりました。彼は女優{ジェーンフォンだ」と結婚したのです。
自己責任で動くのが基本でした。
イラク戦争も2300人の若者の命がなくなっています。困るのは3人の子供のははおやが前線で戦死しています。主人が3人の子供を養いながら勤務しています。
台湾では2−28事件以来の反国民党運動に学生が「白ゆり」をかざしながら、でもをしました。「白ゆり」が象徴でありましたね。
これは メッセージ 7877 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqbfma4hkdc5a4a4g8rnae_1/7879.html
Re: nachitakaoさま、ベトナム反戦♪
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/18 00:13 投稿番号: [7878 / 10346]
cafe様:
教授連中が反戦運動参加でも、学生が参加でも自由でありました。学校の処分なんて一切ありません。だが運動中の責任は自分でとるのが基本でありました。
戦争は道理がたてば大統領のうしろに立ちまして国家的な機運になりますが、長期になると反戦気運がでてきます。西はCA.大学のバークレイ校、ヒガシはコロンビア大学が先鋭でした。かなりの学生が刑にふくしたものです。キャンパスで軍隊の機銃で射殺された学生もいます。その先頭が当時
「chicago seven]の連中であり、社会に出ていた連中ですからその後の人生はかなり酷でありました。中の一人は選挙に出て最後はCA.州の上院議員になりました。彼は女優{ジェーンフォンだ」と結婚したのです。
自己責任で動くのが基本でした。
イラク戦争も2300人の若者の命がなくなっています。困るのは3人の子供のははおやが前線で戦死しています。主人が3人の子供を養いながら勤務しています。
台湾では2−28事件以来の反国民党運動に学生が「白ゆり」をかざしながら、でもをしました。「白ゆり」が象徴でありましたね。
これは メッセージ 7877 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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nachitakaoさま、ベトナム反戦♪
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/17 12:05 投稿番号: [7877 / 10346]
相変わらず天気が肌寒い感じが続く台北ですが、こんな気温の時期が一番過ごしやすいかもです♪
>美国でベトナム反戦を大学生を引っ張って授業放棄でやりまして、部長におこられました。当時は台湾留学生もおりまして、日本経由で美国留学生が多く、日本語が通じたのが面白かったです。
すごいですね!
那智高雄さんは日本だけでなく米国でも学生運動を指導されたんですか!
これは驚きです♪
ベトナム反戦運動は映画の中でしか知りません。特に印象に残っているのが「The Strawberry Statement(邦題:いちご白書)」です。1970年のアメリカ映画ですが私が日本で見たのは10年ほど前でした。コロンビア大学のベトナム反戦運動を描いた映画です。
ただ、なぜ当時の若者がそれほど熱狂的に反戦活動に身を投じたのかは、やはりよく理解できませんでした。
>日本と違うのは学長、部長などは治安に警官の出動要請は一切しないので、学生も学校相手に闘争ではなくて警官相手に闘争でした。棍棒で殴られた跡がまだのこっていますよ。
CA.大学での学生運動指導体験談です。当時40歳の私でした。
命がけの学生運動ですね!
当時、アメリカの学生も学生運動に参加したら退学処分になったのでしょうか?大学の教師が参加した場合はどうだったんでしょうか?
これは メッセージ 7858 (houzantakao さん)への返信です.
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台湾ブームさま、戦後の日本、激動の大変化
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/16 16:00 投稿番号: [7876 / 10346]
台湾ブームさま、学生運動の時代についていろいろとくわしく書いてくださって大変ありがとうございます。
当時の日本の状況について、私は非常に興味を持っていたのですが、台湾ブームさんのように真剣に、また誠実に当時の実情を教えてくださった先輩の方はいらっしゃいませんでした。
私は若輩者ではありますが、一応マルクス理論も勉強したことがあり、資本論もがんばって読んだことがあります。資本論を理解できたわけではないのですが、マルクスが語る経済のロジックは現代でも充分通用するというか、普遍的なものだと感じました。左翼という偏ったイメージで排除されたのが非常に残念です。
>国際派がソビエトに緊密に、主流派が中国に緊密だったと記憶しています。
当時中国に逃れていた日本共産党議長の野坂参三(主流派)が、日本の革命は、
通常の選挙によって実現できるという理論を発表して、国際派に激しく
叩かれました。
そうだったのですか!
そのように分裂していたのですね。主流派はどうも修正主義者のような日和見な印象を受けますが、台湾ブームさんは正義感から反発を感じたのでしょうか?
>私が旧制中学を卒業して上級学校に入ったのは終戦3年後で、まだ世情は
混沌としていました。学生運動で上京して上野の地下道で「浮浪児」をみて
衝撃を受けました。
私は東京に帰るたびにホームレスを見たり、幼児虐待のニュースを聞いて衝撃を感じ、やるせない気分になります。当時の台湾ブームさんは社会の矛盾を許せなかったというか、やはり正義感で革命に立ち上がったと見るべきなんでしょうか?
>おかげで、国立の工学部の学生でありながら、共産主義に関する書籍を
マルクス、エンゲルスからスターリン、毛沢東などいろいろ読みました。
そうだったんですか!
工学部の学生さんだったのに、社会科学系の学部の学生よりもマルクス主義について勉強されていたんですね。
>また「昔陸軍、今総評」ということも後にいわれました。
実は私も戦時中は日本陸軍の学校にいたのです。
軍国主義の壮絶な状況から左翼運動へ。
こうした激動の大変化の中で、生き抜いてこられた台湾ブームさんの精神力に驚きを禁じ得ません。台湾ブームさんにおうかがいしたいのは、昨今の日本の強烈な愛国心ブームの動きです。愛国心は時として極端に走ると排他的な軍国主義に傾くというのが左翼的な解釈ですが、私はそうでもないと思っています。軍国主義から戦後の民主主義を経験された台湾ブームさんのご意見はいかがでしょう?もしさしつかえなければ教えていただけませんか。
これは メッセージ 7857 (taiwanboom さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqbfma4hkdc5a4a4g8rnae_1/7876.html
Re: nachitakaoさま、特殊な日本の環境♪
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/15 21:47 投稿番号: [7875 / 10346]
cafe様:
良かったですね。台湾にお嫁入りしたので。
といいますのは、恐らく20年もすると日本では今の生活文化を維持できなくなるでしょう。全ての点でアジアでトップにはいなくなるでしょう。
中国やインドやシンガポール、マレー、タイ、台湾などが棲みやすい高い生活レベルを持つでしょう。
それにもまして心配なのは、中国が朝鮮半島を友好的な国としてロシヤの後押しで日本領土を縮小させる仕業です。軍備も諜報も無い日本です。
中国は陸軍は強いし、空軍も立派ですが、最近は海軍も一流になってきました。ロシヤから購入した最新の潜水艦が海南島の港に停泊しているらしいです。特殊な環境、平和ボケが将来この国をどう処置するかわかりません。
残念ですが、台湾の軍備は国家軍需予算が取れなくてここ10年ばかりの間にかなりレベルがおちました。来年ですか、初めてのイージス艦が美国から来る予定ですが?
これは メッセージ 7873 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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Re: nachitakaoさま、特殊な日本の環境♪
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/14 23:45 投稿番号: [7874 / 10346]
cafe様:
自宅に宿泊して留学して卒業した姪御が黙ってニューヨーク州の大学院博士課程に奨学資金もらいましたが母上の反対で日本になくなくかえりました。
日本は環境はいいですが、制度とか世渡りでは美国がずっと面白いというのが論法でした。社会の風習でだいぶつまずきましたが、今は世田谷区にすんでいます。そしてあそこあたりは一応住める気分になってきました。
世襲が煩いといわれる台湾に嫁入りの決心は大変でしたでしょう。
私も友人が台湾人と結婚、失敗して離婚、日本に帰り、就職していますがどうも再婚はしない様です。
台湾にすむには日本的な感覚を少し離れてゆったりと、悠然とクラスのがいいですね。美国では隣人のメキシコ人の生活感覚になれるのにだいぶ時間がかかりました。此れは彼等の民族的な精ではなくて気候、風土がそうさせるのです。此れを戦時中、内地人は台湾民族の特徴だと批判しました。
戦後、入試問題で多く出題された広津和郎さんの「気候と風土」の本を読んで納得した覚えがあります。
これは メッセージ 7873 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqbfma4hkdc5a4a4g8rnae_1/7874.html
nachitakaoさま、特殊な日本の環境♪
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/14 12:28 投稿番号: [7873 / 10346]
那智高雄さま
最近の台湾は気温が乱高下して大変です^_^;
一昨日まで気温が30度以上あったのに、昨日午後から急に寒くなり今日は本当に寒いです。あわてて上着を着ています。
>日本の常識は世界の非常識であります。それが海外で判れば大きな収穫です。
昨年も出張で米サンフランシスコに行くことがあったのですが、米国もまったく日本と違う環境でおもしろいと思います。日本の常識が台湾よりも通じません。台湾は世界の中でも最も日本の常識に近い場所なんですが、もちろん日本と同じ常識は要求できないわけです。台湾では、中村さん夫妻事件で、日本のご老人は特に要求がうるさくて神経質だという評判が立ちました。
人によると思いますが、私の両親は外国生活が全くできないタイプです。父は海外出張が多く、欧米、中国、台湾と飛び回っていますが、どこにいっても「辛い、苦しい」を連発。母も「やっぱり日本が一番いいわ」と言います。日本料理と日本的なサービスから離れることができません。
>戦前の若者と中年内地人は台湾へは野心と根性で赴任してきました。
今の日本人は野心も根性もなくなったのか、無理してまで習慣の違う海外でがんばろうとかそういうスタンスはないように思います。
いや、若い人の中にはがんばってる人もいますが。
私も台湾だからなんとかやっていけますが、中国やインドなどあまりにも環境の違う場所では生きていけないような気がします。
戦後日本の経済成長を支えてがんばった世代の方は、老後はゆっくりしたい、のんびりしたいという気持ちが強いのでは?
うちの両親も、行き届いたサービス、日本と同じ環境で楽しく過ごしたいという気持ちが強いようです。
これは メッセージ 7848 (houzantakao さん)への返信です.
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Re: Honkytonkさま、バブル時代と共産党宣
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/13 15:21 投稿番号: [7872 / 10346]
cafe様:
田舎から上京してきた私は東京でも田舎が良くて町田市、豪徳寺(世田谷区)に棲みました。豪徳寺は静かな住宅地ですきでした。成城あたりも良くあるいたものです。でもその後は飯田橋(中央線)にうつりました。
飯田橋から徒歩で裏門専用で通学、通勤しましたので。
貴方が世田谷区出身ですか。飯田橋からたまに小田急線の経堂に出まして、共同研究で打ち合わせをするのに東京農大の世田谷キャンパスにもでましたね。たまに向丘遊園地にも出かけました。
戦後中国から来た日本文化研究者が中禅寺湖を見て、ここが例の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」の池かときいたそうです。
その池の跡をキャンパスに見てがっかりしましたが。
これは メッセージ 7867 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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Re: >江戸っ子じゃん?
投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2006/04/12 21:43 投稿番号: [7871 / 10346]
我々の世代は、バブル末期に大学生でしたよ。
就職戦線異状なしという映画がありました。
織田くんが主役でマッキーが主題歌ですた。
学生時代は、DCブランド→アメカジ
みたいな流行でしたね。
まぁ価値の共有しやすい単純なミームの時代でした。
今は非常に価値の多様化した複雑な時代です。
>長岡藩家老の河井継之助
あのガトリングガンを自らぶっ放した御仁ですね。
まぁ
有能で勇敢だけど、落ち着きのない人かもしれませんね。
これは メッセージ 7869 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: 那智高雄さま、大阪5組は入居していな
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/12 20:40 投稿番号: [7870 / 10346]
Cafe様:
今朝わかりました。まだ5組は入居していないそうですね。延期だそうです。でもその理由は5組の同時入居の都合がつかずに少し延期だそうです。中村夫妻の経験から市長さんも施設など準備改善などをやっているとの話です。
ですから5組の入居は時間の問題でしょう。そして中村夫妻は東京都下のあの混雑したせせこましい、喧しい町田市にかえるのでしょうか?昭和30年代にしばしすんだことがありますが、町田市は昔はまだしも、今は引退者には難しい街ですね。
これは メッセージ 7866 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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>江戸っ子じゃん?
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/04/12 20:31 投稿番号: [7869 / 10346]
ああ、江戸っ子とは、東京に住んで三代目になる人の事ですから、ワタシは違いますです☆
そもそもワタシ、西は九州から東は東北まで住みましたし、自分が「日本人」であるという事以外には、分かりませんネ☆
大学の「○○県人会」というのも、一度だけ出て、新入生なのに3000円ボッタくられて、二度と行きませんでした。
ああいう、方言をしゃべりあって地元を懐かしがるっていうノリ、ダメだわ…。
>女性のファッションもボディコン、ワンレンなんて今じゃ考えられないようなスタイルだったし。女性が強くなってきたというか、酒やタバコも当たり前みたいな風潮はあの時代から始まったような気がします。
まあ、カンチガイな時代でしたね。
要は、開き直りと、「赤信号、みんなで渡ればコワくない」的なファッションでしょう? まあ、インディヴィジュアリズム=個人主義とは無縁。
そうだ、あのころ、「カフェバー」なんていうのが流行り、ワタシの友人(男)が野郎と二人で恐る恐る入り、なんか落ち着かないので、おトイレの話ばかりして出てきてやったなんて言ってますた。
社会人になると、「やっぱザギンよ」なんて言い出して、裏道の渋いショットバーの立ち飲みなんかで、「あ! 今、○山紀信が通った!」なんて言って驚いていたワタシもまた、スノッブでしたけど…orz
ワタシの大学でも、「おい、うちの田舎大学にもボディコンがいるらしいぜ」「はあ? マジかよ…」ってな感じで、笑い合っていました。いや、何を着ようが自由ですから、そんな言い方は余計なお世話なんですけどね。
まあ今どきの、電車の中で見付かるゴスロリよりはインパクトは小さいですが。
とにかく、全てが虚ろな時代でしたな、バブルの頃は。
そんな中、いつも居心地良く感じるのは下北沢でした。うまく言えませんが、あらゆるタイプの若者がいて、それでいて、「こういう格好はダメなんだ」という一種の強迫観念が無く、それでいてそれぞれが自己主張が強い…そんな雰囲気を感じていました。(まあ所詮は思い込みかも知れませんが。)
>「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている。共産主義の妖怪が」というショッキングな文章から始まるもので、いかにも煽情的なんですよね。
何と言いますか、「煽り」って、なんかこう、チガうなあと個人的には思えて…。
ワタシの知人のサックス吹きの青年が、セキュリティー会社に勤めていて、「うちの業界は、人に恐怖感を覚えさせて仕事を取ってくるんだ」と自嘲気味に言っていましたが、上述のマルクスの記述も、それに近いものを感じます。
>ああいう思想は、大きな激動の歴史に人類を巻き込まれるときにのみ力を持つような気がするんですよね。自分の力ではどうにもならないような大きな歴史の力。
時代の寵児って、やっぱあると思うんです。
ただし、ここから先が重要なんですが、「寵児」は福ばかりもたらすとは限らない。禍をもたらす事もあるんですな。
そうだなあ…(ファンの人々から睨まれそうですが)長岡藩家老の河井継之助…彼も、太平の世なら、単なる親のスネかじりの放蕩息子で終わったと思えます。
彼の構想が自藩を壊滅に陥れましたが、河井論は、ここでは控えます。
これは メッセージ 7867 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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miinyoさん、お久しぶり♪
投稿者: chen3050jp 投稿日時: 2006/04/12 16:40 投稿番号: [7868 / 10346]
こんにちは。(^o^)
あっ、今日本はお花見の季節だね!桜、満開です。(笑)
あっという間にもう4月中旬ですね。今週はうちの学校は中間テストなのです。もうすぐ入学試験が来るです。2週間しか残ってないなぁ!
トキドキ緊張です〜〜!
仕事も忙しさね、中国語を勉強できなくて!
仕事が大事だから、言葉などいつでも勉強できるし!(笑)
では、、またね!(^o^)
これは メッセージ 7853 (miinyo3 さん)への返信です.
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Honkytonkさま、バブル時代と共産党宣言
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/12 13:17 投稿番号: [7867 / 10346]
ホンキーさま、なんかめちゃくちゃ仕事が多忙になってトピを放り出してました。あちゃちゃちゃ^_^;
>実はワタシ、世田谷の桜○町生まれなんですが(育ちは○窪と○円寺の間w)、ワタシが学生の頃、地方からの学生が世田谷に住みたがっているというのを聞いて、「はあ? オレが生まれた頃は田んぼと畑ばっかだったぞ。なんでまた世田谷に?」と思いました
え〜そうだったんですかあ!
それじゃ江戸っ子じゃん?つーか、山の手育ちの東京人っていうのかな。江戸っ子っていうのは下町限定?
桜○町って駒沢大学の隣でしょ?駒大にも友達がいたんで、三茶とか用賀などあの周辺でもよく遊びました。田んぼと畑ばっか??だったの?
私のような東京郊外の者にとっても世田谷って憧れの地なんすけど(・・;)
>知り合った女性の誕生日に、品川Pで一晩10万円以上の部屋を予約して口説き落とした、なんていう話でした。これはさすがに羨ましいと言うより、笑いネタにしかならなかった。
バブル時代はそういう話題で盛り上がってましたよね〜。なつかしいなあ♪
女性のファッションもボディコン、ワンレンなんて今じゃ考えられないようなスタイルだったし。女性が強くなってきたというか、酒やタバコも当たり前みたいな風潮はあの時代から始まったような気がします。
>賀来千賀子って、JJでしたっけ?
そうそう、あの美人も今ではドラマであまりいい役をやってませんな。きつい性格の小姑役とか。
>マル経(マルクス経済学)自体、どうなんでしょう、今は主流たりえないのでは、と思います。詳しくも無いのに断ずるのは無謀なのですが。
なにせ、ワタシ、『共産党宣言』さえ、途中で挫折しましたから。(笑)
共産党宣言はワタクシ、持ってますよ!
明治の友達の影響で大月書店という池袋の左翼書店で購入したような!
今は消えてなくなったようです、あの書店。
「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている。共産主義の妖怪が」というショッキングな文章から始まるもので、いかにも煽情的なんですよね。今どきのクールな若者には受けないと思います。
ああいう思想は、大きな激動の歴史に人類を巻き込まれるときにのみ力を持つような気がするんですよね。自分の力ではどうにもならないような大きな歴史の力。たとえば、戦争とか軍国主義から民主主義への大転換とか。台湾ブームさんのカキコを見ていてそんなことを感じました。
これは メッセージ 7846 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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那智高雄さま、大阪5組は入居していない
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/12 01:28 投稿番号: [7866 / 10346]
那智高雄さま
すみません、さっきテレビでニュースを見てたら、あの大阪5組はまだ埔里ステイ村に入居してないようですよ。私の勘違いでした。
というのは、今日のニュースでは、どうやら中村さん夫婦の騒ぎで、あの5組も埔里入居を延期するらしいとのことでした。
だからまだ入居していないらしい。延期するとなると、中止になる可能性もあるし。埔里ロングステイ村の前途は多難なようですよ。
これは メッセージ 7865 (houzantakao さん)への返信です.
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Re: 中村さん夫妻事件(横)
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/09 22:52 投稿番号: [7865 / 10346]
ni06jp様;
どうも入居した5組の日本人夫婦はうまく言っているらしいですね。何も聞こえてこないのはうまくいっている証拠?
成功の秘訣の一つは5組が同時に入居したことで最小10人も人が集まると
面白くなります。相談相手にもなり、助け合いも出来て、徐々に周辺の住民との交換も実現します。事前調査、趣味、料理、複数家族、親善雰囲気、近所付き合い、など慣れてくるとうまくいきますね。
大きな日本人村が出来ます様に願います。昔東海岸には4−5つ大きな移住村落が出来ました。四国からの「吉野村」などです。
これは メッセージ 7861 (ni06jp さん)への返信です.
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ni06jpさん、やきそば食いながら運転!
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/09 12:47 投稿番号: [7864 / 10346]
大阪ミナミと台湾は激似なんですねえ(^^;)
似てるといううわさは聞いてましたが、ここまで似てるとは!〜
>(台湾)所狭しとバイクの駐車。(ミナミ)車の2重駐車、3重駐車。
(台湾)看板いっぱい。(ミナミ)カニあり、ふぐあり、お手上げのおっさんあり、、、
(台湾)バスの運ちゃんが運転中に弁当食ってる。(ミナミ)焼きそば食いながらトラックを運転。
(台湾)時々茶髪。(ミナミ)時々金色モヒカン(そこまでやるか)
お手上げのおっさん(^^;
こりゃ笑いました、涙出そうっす〜〜。
あの看板はさすがに台湾にはないですな♪
台湾はバスも運転手が弁当食いながら運転してるけど、何が嫌だってタクシーの運ちゃんがいきなり弁当食いながら運転することっす。
弁当の臭いが車中に充満してきもすぎ!
台湾の弁当、臭うから〜
焼きそば食ってるんですかあ??
大阪のトラック運転手???
まじでぇ?
焼きそばは臭わないから我慢できそうだけど、運転危なくないですかね?
バスじゃないからいいのか?
トラックの運転手がモヒカンで金髪?!
すごすぎる(^^;
ミナミ、なんだか猛烈に行きたくなってきました。怖いもの見たさ?
これは メッセージ 7861 (ni06jp さん)への返信です.
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鮎ちゃん、バブル時代の貧乏さん♪
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/08 08:44 投稿番号: [7863 / 10346]
鮎ちゃん、めちゃ多忙みたいじゃん?
だいじょうぶか〜?
私も最近また仕事忙しくなっちゃってトピの管理ができないよぉ。
>ところで、例の退職者ご夫婦、、、
両親たぶらかして台湾に住んでもらお☆彡
なーんてな私の計画、さよ〜なら〜〜。(TT)
まぁ、日本側も台湾側もこれをきっかけに改善して、この計画、頓挫しないでほしいなぁ。
ああ、あの事件はマジで台湾中大騒ぎになっちゃったよ。
マスコミが騒ぐからさあ。中村さんご夫妻は連日テレビに出まくりですっかり有名人に!
台湾はアバウトなところだっていう現実を知らなかったらしいよ。でも、その後大阪出身5組が入居したらしい。大阪は台湾と激似なので問題ないという意見もアリだけど♪
>申し訳ないっ、「JJ」お嬢に憧れるイメージを、トビぴょんに持ち合わせておりませんでした。m(_ _)m
あ、、謝るのも、なんだかなぁ・・・でしょうか?(^^;
ははは〜、あの時代はちょっとどうかしてたな、自分(^^;
ミッション系なので、周りの雰囲気がちょっとねえ。
JJやCANCANで読者モデルとして活躍してるクラスメートがいたりで。
容姿で勝負できるバイト(雑誌読者モデルみたいな)をやってる人が多かった。
私を含めた少数の地味、貧乏、顔に不自由な人にはマジつらい環境だったけどぉ。
当時、JJ路線じゃなかったらコムサ系のハウスマヌカンのようなスタイルがはやっていて、私はどっちも貧乏だからどっちにも属さなくてただのダサい人(とほほ)。
まあ、そんな学生時代もあったということで?
そんじゃまたね〜
これは メッセージ 7855 (miinyo3 さん)への返信です.
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Re: 中村さん夫妻事件(横)
投稿者: nachitakao 投稿日時: 2006/04/06 10:47 投稿番号: [7862 / 10346]
ni06jp様:
よかったですね。5組ですか。品のある日本人のよいとこ見せてくださいな・
下品な生活態度を見せると全部の日本人がこうなんだとなりますので。
まずはめでたしです。
これは メッセージ 7861 (ni06jp さん)への返信です.
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Re: 中村さん夫妻事件(横)
投稿者: ni06jp 投稿日時: 2006/04/05 23:54 投稿番号: [7861 / 10346]
>つい最近ですがリタイア村に5組の大阪からの老夫婦が入居されたそうです。今度は文句もでてないらしい。
大阪なら大丈夫でしょう。特にミナミに慣れていればどこでもOK。
(台湾)所狭しとバイクの駐車。(ミナミ)車の2重駐車、3重駐車。
(台湾)看板いっぱい。(ミナミ)カニあり、ふぐあり、お手上げのおっさんあり、、、
(台湾)バスの運ちゃんが運転中に弁当食ってる。(ミナミ)焼きそば食いながらトラックを運転。
(台湾)時々茶髪。(ミナミ)時々金色モヒカン(そこまでやるか)
これは メッセージ 7856 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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Re: nachitakaoさま、中国と手を切るか
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/05 23:39 投稿番号: [7860 / 10346]
Cafe様:
脱亜主義といいましても、宗教的よりも思想的に中国、インドなどの儒教の影響を持っていたのが日本人です。脱亜主義はとどのつまりは脱日主義であったのですね。昔の日本の習慣、因習、思想、文化から抜け出そうとしたのです。やや欧米文化吸収時期が20年もつずきましたが、明治の終わりごろからは、中国進出が関を切った様に動きだし、アジア派が台頭してきて政官民揚げて中国や朝鮮の思想、政治にはまり込みました。欧米主義の反動であります。
中国人民共和国は関与しなかったが、中華民国の成立は日本人の関与なくしては語り終えません。孫文は日本の援助なくしては革命は無かったでしょう。彼の1/3の人生は日本で暮らしたのです。伊藤博文、頭山満、犬養毅など数百人の憂志が関与して革命を支持したのです。日本は欧米主義にも少し陶酔しすぎた感じがありますが、中国にも同文同種の幻想に陶酔した危険はありましたが。
これは メッセージ 7859 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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nachitakaoさま、中国と手を切るか
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/05 11:49 投稿番号: [7859 / 10346]
那智高雄さま、こんにちは
台北市内は昨日ひどい猛暑でした。いきなり28度以上に気温が上がり、しかも湿度が高くて外を歩くと汗が滝のように(・・;)
4月から台湾は夏になるのですが、今年もまた夏がやってきました。
>彼が主張した一説に「脱亜主義」というのがありました。「アジアから脱皮して早く欧米化するべし」という説で、戦後、アジアの中の一員であるべき日本を「脱アジア」主義で教育したとは何事だと彼は人種差別(論〕主義者と非難まで発展しました。
福沢諭吉が脱亞主義をとなえたことがその後の日本にとても大きな影響を与えたと思います。まず旧暦を捨てて新暦採用にふみきったこと、完全に中国文化の影響から手を切ったことが重要だと思います。
脱アジア主義というよりは、中国の影響から脱却し、日本型の発展主義を模索したと言えるのかもしれません。
>でも中国の儒教の影響を金繰り捨てて、欧米文化に追いつけという主義は結局日本の文化、文明を飛びぬけて発展させたのであります。
ここがポイントだと思います。
韓国も日本に併合されるまで中国につくか、日本につくかでもめており、現在も中国の儒教思想などの影響が日本よりもはるかに強い国です。台湾は今も、中国につくか台湾独立でいくかでもめてますし。中国文化=発展の停滞だと断定できませんが、とにもかくにも、明治維新やその前の鎖国時代に中国文化と完全に手を切ったことが日本の近代化には大きく影響したと思われます。
これは メッセージ 7842 (houzantakao さん)への返信です.
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Re: 台湾ブームさま、終戦直後の学生運動
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/04 22:42 投稿番号: [7858 / 10346]
Cafe様:
戦後は砂川事件に参加した反政府学生運動をやりました。だいぶして樺島という女子学生が国会正門で警官と衝突で死んだ事件がありました。
戦後の台湾での学生事件は中華民国軍と学校に立てこもり反抗した事件ですね。高雄中学でも教室にバリケードを建てて、反撃する直前に解散しています。学校には充分な武器弾薬がありませんでした。2−28事件に応援で大陸から上陸してきた(高雄港に〕中華民国軍は初頭に来た軍の質が違いまして装備、軍律などでは近衛師団級でした。
美国でベトナム反戦を大学生を引っ張って授業放棄でやりまして、部長におこられました。当時は台湾留学生もおりまして、日本経由で美国留学生が多く、日本語が通じたのが面白かったです。キャンパスを自由に警邏する市警察パトロールが厳格な規則を学生に執行して学長の要請は関係なく不法集会の取り締まりをやりました。68−69年ころですと、軍隊がキャンパスにはいり治安をやりました。東部の大学では不法集会の反戦学生集団が軍隊の発砲で多数死亡した事件が再三おこりました。遺族が10年ほど裁判で闘争しましたが、最高裁でも敗訴で財産が全部きえました。不幸な両親たちでした。日本と違うのは学長、部長などは治安に警官の出動要請は一切しないので、学生も学校相手に闘争ではなくて警官相手に闘争でした。棍棒で殴られた跡がまだのこっていますよ。
CA.大学での学生運動指導体験談です。当時40歳の私でした。
これは メッセージ 7854 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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Re: 台湾ブームさま、終戦直後の学生運動
投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2006/04/04 15:55 投稿番号: [7857 / 10346]
cafebang様
わたしの昔話を真正面から取り上げて、質問までしていだいて恐縮です。
朝鮮戦争当時の日本共産党内の国際派と主流派の争いについて。
これは志賀義雄の国際派と徳田球一の主流派の争いです。
学生間では「International」と「Japan proper」の争いで通っていました。
両派の内容については、いまでははっきりとは覚えていません。
国際派がソビエトに緊密に、主流派が中国に緊密だったと記憶しています。
当時中国に逃れていた日本共産党議長の野坂参三(主流派)が、日本の革命は、
通常の選挙によって実現できるという理論を発表して、国際派に激しく
叩かれました。
「革命政権は銃口から生まれる」という武力革命論が、共産主義革命の
歴史的な基本理論でした。
当時、中部地方の山中で武力革命のための非合法の訓練が行われ、それが
検挙されたこともあります。
そんななかで、武力革命理論に対して、野坂議長が選挙革命つまり「平和革命論」を
提起したので、たいへんな衝撃でした。
とくに当時は日本は米軍に占領されていたので、占領下で平和革命を期待す
ることは米国に頼ることになる、との見方もあったのです。
当時で言えば「買弁的な理論」ということになります。
私たち学生運動も、この理論には真っ向から反対し、国際派といわれました。
ただしこのあたりのことは、前後関係がはっきりしません。自信もありません。
間違っているかもしれません。60年前のことですから。
私が旧制中学を卒業して上級学校に入ったのは終戦3年後で、まだ世情は
混沌としていました。学生運動で上京して上野の地下道で「浮浪児」をみて
衝撃を受けました。
学生は勉強よりも生活に汲々としていました。不満が鬱積していたのです。
そんな中で、私は学生自治会を作ろうとしました。これが私の学生運動への
出発点です。
なぜそうしたのか、いまになっては思い出せません。
若さの正義感とあふれるエネルギーと不満の爆発とでも言いましょうか。
おかげで、国立の工学部の学生でありながら、共産主義に関する書籍を
マルクス、エンゲルスからスターリン、毛沢東などいろいろ読みました。
当時は「はたちまでに共産主義者にならないものはバカで、二十歳過ぎても
共産主義を信じているものはなおバカ」なんていわれていました。
また「昔陸軍、今総評」ということも後にいわれました。
実は私も戦時中は日本陸軍の学校にいたのです。
これ以上はこのスレには合わないので、ここまででやめます。
これは メッセージ 7854 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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Honkytonkさま、中村さん夫妻事件
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/04 12:48 投稿番号: [7856 / 10346]
ホンキートンクさま、中村さん夫妻も台湾のマスコミにさっぱり登場しなくなりました。台湾ってところは日本とは真逆の場所で、日本がなんでもきちんとやらないと気がすまないのに対して、台湾はとにかくアバウト!毎日楽しく気楽に、まあ適当でええんでないの?という感じがなかなかよかったりします♪
でも、中村さん夫妻をテレビで見た限りは、いかにもまじめな日本人で、いい加減なところは許さないタイプ【;゜Д゜】
幸い、つい最近ですがリタイア村に5組の大阪からの老夫婦が入居されたそうです。今度は文句もでてないらしい。
>人間は生きるために我を張っても、我を張るために生きているんじゃない。
となると、台湾側のメンツとやらも、プライオリティは低くなるはず。
本当に営利を求めるならば、ですが。
日本人は、「生きるために我を張る」というのはすぐに理解するし、実際にそうすることに抵抗はないみたいです。ところが!!
どうやら台湾や中国で見た限り、「我を張るために生きている」人が多いんですよ!
日本だったら、お客さまがどんなにわがままでも、我慢するじゃないすか?
台湾だとそれダメみたいです。
見方が短期的なんですよ。日本だと長期的な利益を考えて、我を張るのはやめてとりあえずお客さまと長期的な信用関係を構築しようとする。でも、台湾だと短期的な利益優先。とにかく今この瞬間金が儲かればいいという考え方で、お客といい関係をつくるなんてのはあまり…。
まあ、海外生活が長い日本人に言わせると、「日本が特殊で外国はみんなそんなもん」なんだそうですが(・・;)
これは メッセージ 7839 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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トビぴょん、ぜいぜいぜい・・・
投稿者: miinyo3 投稿日時: 2006/04/04 12:47 投稿番号: [7855 / 10346]
ども!ひさしぶりですぅ。PC開く時間もなくて、んもう、げっそりだよ。。(=_=)
今、会社近くのネットカフェっす♪
ところで、例の退職者ご夫婦、、、
両親たぶらかして台湾に住んでもらお☆彡
なーんてな私の計画、さよ〜なら〜〜。(TT)
まぁ、日本側も台湾側もこれをきっかけに改善して、この計画、頓挫しないでほしいなぁ。
ところで、気になったので横レス・・・
>私も当時は雑誌「JJ」なんかを見て、お嬢さんスタイルにあこがれたりしてました。
申し訳ないっ、「JJ」お嬢に憧れるイメージを、トビぴょんに持ち合わせておりませんでした。m(_ _)m
あ、、謝るのも、なんだかなぁ・・・でしょうか?(^^;
では、昼やすみが終わるので、またいつか来ますぅぅ。
これは メッセージ 7845 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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台湾ブームさま、終戦直後の学生運動
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/03 12:40 投稿番号: [7854 / 10346]
台湾ブームさま、貴重な終戦直後の学生運動について書いていただいてありがとうございます♪
>この流れの中で、戦時中も節を曲げることなく「獄中」にあった共産党員が
解放されて政治と労働運動に参加してきました。
先生とオトナたちの変節ぶりに比べて、共産党員の「思想堅固」は学生に
とって魅力的に写りました。
これが共産党が学生運動の主導権を獲得できた理由だと思います。
学生運動が、行動の信ずべき基盤を手に入れたのです。
なるほど、戦後になっていきなりそれまでの軍国主義から民主主義に転換したため、当時の若者たちが不信感を抱いたのはよく理解できます。殺されても自らの思想的傾向で変節しなかった共産党員に魅力を感じるのは当然だと思います。私が当時、若者であったならおそらく共産主義に共鳴したと思います。
>しかし朝鮮戦争が始まって、占領軍によって共産党が非合法化されたことを
境にして、学生運動の主導権確保をめぐって、共産党内に国際派と主流派の
派閥争いが起こり、
この国際派と主流派というのはどのような思想的な違いがあったのでしょうか?
この派閥争いが共産党の力を失速させたのでしょうか?
>大学、上級学校の数が少ないので、退学処分はそれこそ「死活問題」でした。
私も学部長に呼びつけられて「退学処分」をちらつかせて、学生運動から
手を引くことを強要されたこともあります。それも「退学になればきみの
ご両親はどんなに悲しむか考えてみよ」と情にからめて攻めてくるのです。
そのほとぼりをさますため、一時福岡の炭坑にもぐっていたこともあります。
そうだったんですか!
台湾ブームさんは筋金入りの革命家だったんですね。
当時の日本の経済的状況からいって、両親にとっては子供を大学に入れるのは大変な時代だったと思いますが、大学側も情にからめて攻めてくるとはおそろしい。
>カクマル運動で激しいことをやっても、退学にならない学生運動があたりまえ
のようになっていましたが、私にとっては信じられない「甘い」学生運動だ、
なんていいたくなります。
70年代のヒッピームーブメント、ベトナム反戦やフォーク世代といった時代の学生運動にくらべて、台湾ブームさんの学生運動は非常にきびしいものだったと感じます。今、日本の若者が自由を謳歌できるのも、台湾ブームさんたちの運動の成果だと思います。このことは現代の若者が理解し認識すべきことだと思います。
とても失礼でぶしつけな質問なのですが、台湾ブームさんがそれほどまでに学生運動に力を入れた理由というのはどこにあったのでしょうか?もしさしつかえなければ教えていただけませんか?
これは メッセージ 7830 (taiwanboom さん)への返信です.
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chenさん☆
投稿者: miinyo3 投稿日時: 2006/04/03 12:38 投稿番号: [7853 / 10346]
久しぶりです!(^o^)/
あっという間に3月が終わりました。日が経つのが本当に早く感じます。
もう、4月・・・仕事はまだ続行中です。。。(ーー;)
>特に聴解かなぁ><
あ、、聴解。。。私もダメだ。
ぜんぜん聞き取れないよ。直感で選んで、偶然当たるのを期待してるんだよ。(^^ゞ
NHKのラジオ・テレビで、中国語会話が毎年4月から始まるんだよ。
今年こそ!!(^^)!
・・・無理だ。。今の忙しさじゃ。^^;
>そうですね、入試試験まで1ヵ月半残ります。
お!ということは、、あと一ヶ月で試験かな?
追い込み、がんばってね〜(^o^)丿
それでは♪
これは メッセージ 7808 (chen3050jp さん)への返信です.
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ni06jpさん> 改訂中村さん夫妻事件(横)
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/04/02 01:09 投稿番号: [7852 / 10346]
ni06jpさん、こんばんは♪
>それにしても、パンフだけでいきなり見知らぬ土地に飛び込んで自分の思ってたのと違うと怒り狂う、というのは世間知らずを通り越してアホですな。こんな世間知らずのリタイア組に振り回される方が気の毒。
いやあ、なんせ台湾の報道もかなり偏っているので、実情がどうだったのかはよくわからないみたいなんです。
ただ、最初は我慢してたのが我慢できなくなって爆発したような怒りに思いました、あのご夫妻の場合。
やっぱり台湾といえども外国なのでコミュニケーションが難しい?
>犬の糞だって、整然とした住宅地ならいざ知らず、日本の田舎や下町なら犬の糞くらいあります。私なんか子供の頃、急いで道端のふきのとうをとったら、その横に犬の糞があり、まともに柔らかいやつを握ってしもうた。
これがホントのババつかみ。柔らかい犬の糞はいけません。
ははは、まったく同感です♪
私が子供の頃には東京の郊外でも犬の糞がころがってました。
今はすっかりなくなっちゃって、なんか人工的な感じさえします。
これは メッセージ 7849 (ni06jp さん)への返信です.
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Re:脱亜入欧;最近の再評価
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/04/02 00:16 投稿番号: [7851 / 10346]
taiwanbom様:
歴史的に見ると日本の黎明期には「脱亜入欧」はいぎがありました。
江戸末期には尊皇、襄夷が拮抗しましたので、文明開化も進めにくい状況でもありました。その後の明治政府の進路は欧米型一点張りでした。戦後、アジアの批判はかなり厳しいアジア人種的差別論であるといわれました。最近は文明開化の方弁論であるという評価で人種差別論ではないとの論もでています。派生的に拡大解釈できめられました。
ですから最近は行き過ぎた論だという左翼的ジャーナルと、そうではないと真っ向から反対する右翼的ジャーナルの解釈があります。
いずれにしても欧米一点張りでいるうちに、アジアでは中国、インド、などがリーダーとして台頭してきました。政治家ではマレー、台湾の元首相、総統などが有名です。遅きに失しましたが、今日本は中国やインドの大国に目覚めています。
要は明治の時代の国策は福沢諭吉がとくまでも無く脱亜入欧しか効果的な文明開化は無かったと思います。
確かに一応の価値があり、有効であったのですね。
これは メッセージ 7850 (taiwanboom さん)への返信です.
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Re:脱亜入欧
投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2006/04/01 12:13 投稿番号: [7850 / 10346]
houzantakao様
福沢諭吉の「脱亜入欧」は、日本の近代化の初期にあっては、
それなりの意味がありました。
これにこだわったことが悔いとなります。
これは メッセージ 7842 (houzantakao さん)への返信です.
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Re: 改訂「 続 中村さん夫妻事件」(横)
投稿者: ni06jp 投稿日時: 2006/04/01 00:19 投稿番号: [7849 / 10346]
ほー、こんな事件があったんですか。
それにしても、パンフだけでいきなり見知らぬ土地に飛び込んで自分の思ってたのと違うと怒り狂う、というのは世間知らずを通り越してアホですな。こんな世間知らずのリタイア組に振り回される方が気の毒。
犬の糞だって、整然とした住宅地ならいざ知らず、日本の田舎や下町なら犬の糞くらいあります。私なんか子供の頃、急いで道端のふきのとうをとったら、その横に犬の糞があり、まともに柔らかいやつを握ってしもうた。
これがホントのババつかみ。
柔らかい犬の糞はいけません。
これは メッセージ 7837 (unhoo さん)への返信です.
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Re: nachitakaoさま、海外慣れしてない日本
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/03/31 23:42 投稿番号: [7848 / 10346]
cafe様:
そうです。日本の常識は世界の非常識であります。それが海外で判れば大きな収穫です。
台湾に来て日本の常識をわめいている中村夫妻が失笑をかいました。戦後教員の多くが日教組にぞくしました。非常識の世界でありました。戦後の反戦ドグマと反対の為の反対論がはやりでした。子供が一番の犠牲者でありました。日本に来た台湾人が台湾の常識が通らぬと怒れば怒るだけ日本人は嫌気がするでしょう。
やはり郷に入れば郷に従うより他に方法は無いでしょう。公所と交渉するべきでした。相談すればなんとか解決の兆しもあったでしょうが。
戦前の若者と中年内地人は台湾へは野心と根性で赴任してきました。
「臥薪嘗胆=ガシンショウタン」という言葉は「我慢しながら準備をする」意味でしょうが、戦時中だけの言葉ではなかった様です。
これは メッセージ 7847 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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nachitakaoさま、海外慣れしてない日本人
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2006/03/31 11:46 投稿番号: [7847 / 10346]
那智高雄さま、こんにちは♪
>4月15日に退去だそうですから6週間だけの滞在ですか。
周囲の住民は親切でよかったと本人も申しています。
埔里のステイ村に中村さん夫妻が滞在したのは2週間だけだったそうですよ。
テレビで中村さん夫妻を見ましたが、日本の常識が台湾では通用しないことに激怒しているようでした。台湾の人たちは文句もあまり言わずに海外生活にすぐ慣れてしまいので、日本人の柔軟性の欠如に驚きます。
日本で通用する常識が実は台湾だけでなくほとんどの海外で通じないということにもう少し認識を持ってほしいと思います。
もちろん台湾の側の環境改善も必要なんですが。
中村さんの場合、埔里の住民が親切だっただけに、かえって過剰な期待を抱いたのかもしれません。
>戦後美国西部に抑留所から裸で帰ってきた日系人はその後も人種差別になきました。家の周りをぐるぐる回るモーターカーから石が飛んでくるやでおちおちねむれませんでした。周囲の白人がkkkなどのメンバーですともう大変です。
彼等がやる常套手段は玄関の前に十字架の木の組み立てに火をつけて夜燃やすのです。次は火炎瓶などを教会(黒人の〕に投げ込みます。終いは銃でころします。犯人は無罪でおわります。裁判官も陪審員もkkkのメンバーですから。
KKK,クー・クラックス・クランのことですね。白人至上主義の右翼集団で過激な人種差別をやってきたという話を聞いています。日系人が米国で受けた様々な差別や攻撃にくらべて、老後のんびりアジアで過ごそうとする日本の高齢者はなんと幸せなことでしょうか。同じ海外暮らしといっても、まるで状況が違います。日本の常識が通じないといって現地の人を罵倒できたりする、とても幸せな立場だと思います。
これは メッセージ 7828 (houzantakao さん)への返信です.
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>「なんクリ」路線
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/03/31 03:05 投稿番号: [7846 / 10346]
>バブル世代ってなんか下の世代からあまりよく思われてないらしい?バブル入社組はバカでもいい会社に就職できただの、金遣いが荒いだの評判悪いそう(-_-;)
ワタシは、景気とはあまり関係ない職場にいましたので、そういうのはありませんでしたね…。
>当時流行りのテニスサークルなんて近づくことは不可能でしたぁ。
あー!! テニス。(笑)
やっぱ、ふだんのポロシャツの襟は立てるんでしょうか。
ワタシの友人、襟を立てているシトの襟を、ムリに折り曲げてやって歩いてますた。
あ、勝手に「お嬢様」と、ちと誤解を致しまして、大変失礼致しましたm(_ _)m
>世田谷のほうの駅の近くにマンション借りてて、むちゃくちゃキレイな子ばっかりで。高校生のときは貧乏自慢で花が咲いたのに、大学では金のケタが違いすぎて話も合わない(-_-;)
>東京育ちの子より地方の金持ちのほうがすごいっすよ。遊びにしてもすごい。いやもちろん六本木ヒルズとか白金台、二子玉川などが実家だっていうような東京の子は金持ちだけど〜。
実はワタシ、世田谷の桜○町生まれなんですが(育ちは○窪と○円寺の間w)、ワタシが学生の頃、地方からの学生が世田谷に住みたがっているというのを聞いて、「はあ? オレが生まれた頃は田んぼと畑ばっかだったぞ。なんでまた世田谷に?」と思いました。
まあ昔、つまり玉電が、渋谷から世田谷通りを通って、二子タマに行っていた頃ですが。
ショックなのは、今は「玉電」と言っても通じず、「せたでん」ってあの辺のワカモンが呼んでいるのを知った時です。どうして「たまでん」じゃいけないんだって。(笑)
しかし、確かにワタシの学生時代も、地方出身のボンボンがよほど都会人に見えましたね。お金持ちで、いいアパートに住み、クルマもあり、いい楽器を持っていて。
面白かったのは、彼が、知り合った女性の誕生日に、品川Pで一晩10万円以上の部屋を予約して口説き落とした、なんていう話でした。これはさすがに羨ましいと言うより、笑いネタにしかならなかった。
>パープルの「紫の炎」を思い出してしまいましたぁ。
おーらいひーーーーーーーーーー…
いず・ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーん…♪
…ですな。
>「ハートに火をつけて」とかもうあのサイケな感じがたまらず♪
ポンキッキも思い出しますです。
>私も当時は雑誌「JJ」なんかを見て
賀来千賀子って、JJでしたっけ? もっとも、ワタシは女性の雑誌の指向性の違いは分からず、恥ずかしいんですが…。
一時期、「装苑」っていう雑誌をぺらぺらっと見る機会があったんですが、おちついていて趣味がいいなあと思った程度でした。週一回ある女性のファッション番組も12チャンで観たりしてましたが、いいもんだなと思った程度で、ついに詳しくはなりませんでした。
>話を聞くと、どっちもマル経に力入れていて、過激な学生も多かったらしい。硬派な大学っすね。ちなみにうちの大学ではマル経なんてぜんぜん教えてませんでした〜。
ワタシ、まず、経済オンチです。
が、察するに、マル経(マルクス経済学)自体、どうなんでしょう、今は主流たりえないのでは、と思います。詳しくも無いのに断ずるのは無謀なのですが。
なにせ、ワタシ、『共産党宣言』さえ、途中で挫折しましたから。(笑)
あ、そういやあワタシの死んだジジイは明治でしたが、学部はなんだったんだろう…。
母親によれば、卒業証書に「長崎県士族」と書いてあったとかで、時代がしのばれます。
M社にいて、戦時中まで上海にいて、報告か何かで内地に戻ってきているうちに、終戦になり、上海に置いてあったスーツ、着物、ステッキなどが、全部パーになったとの事です。
船で戻るとき、救命胴衣を着て、常に甲板にいて、いつ米潜の雷撃を食らっても、すぐに海に飛び込む準備をしていたとか。
これは メッセージ 7845 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqbfma4hkdc5a4a4g8rnae_1/7846.html
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