植民地政策の結果の事件ですから・・・。
投稿者: suzuteri2515 投稿日時: 2004/07/02 01:52 投稿番号: [1201 / 5305]
tokyo cachito sama:
大変上手く進んでいると自己満足していた霧社地域の理藩政策は結局無理強いの抑圧政策でありました。多くの強制通達が無茶な奉仕をしいてしまい霧社の公学校の能高郡の霧社地域の小学校、公学校、国語講習所などの合同運動会場で惨事がおきています。蒋介石の教育は一環して中華偏重教育ですから都合よく教科書もできているでしょう。しかし90年代末からの歴史教科書から(李政権時代)の教科書は公平に編纂されているらしいです。今の電力公司の庭が惨事の現場だそうです。1990年代半ばの写真はよく取れて出版物に引用さていますが。
人影少ないのが好きな山岳観光になりそうです。ガイドが熟知しているそうで何か霧社地方の何度もガイドした人だそうです。1990年私は母校の国民小学で台湾の歴史の一環として霧社事件を話しました。通訳つきで時間がかかりましたが、40人の生徒の内、2人が知っていました。忠実に話ましたが生徒にしてみれば日系米人の私が台湾の霧社事件をなぜ話すのかと不思議であったでしょう。内心は日本時代の行政批判の修復と台湾を知らぬ生徒の存在は打破したい気持ちからでした。校長先生は日本語ができる本島人(本省人)でしたので都合よかったですが。今生徒もだんだん台湾の歴史を知りつつあるでしょう。70歳以上と10代の若者が日本をよく知っている様です。
確かに官費で養成した花岡一郎(台中州師範学校卒)が原住民と警察とのいたばさみで自殺(切腹)したのを裏切ったと誤判断をしてやはりショックをうけた理藩課と台湾軍が少し過剰反応をした憂いはありますね。
これは メッセージ 1199 (tokyo_cachito さん)への返信です.
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