霧社訪問
投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2004/06/28 14:36 投稿番号: [1187 / 5305]
suzuteri
様
霧社訪問を計画されているようですね。
私は1992年と1998年の2回、霧社に行きました。
いずれも夏の真っ盛りでした。
観光ガイドブックでは霧社は「高地で夏でも涼しい」と書いてありましたが、とんでもない。暑くて暑くて、ミンミンとセミが鳴いて、いやがうえにも暑さをあおっていました。
台中市からタクシーをチャーターして、3時間ほどで着きました。霧社の入り口で気圧を測ったら800ヘクトパスカル台で、国際線の機内圧と同じでした。標高1000mほどだそうです。
タクシーは1時間400元で午前8時から午後3時まで7時間で2450元(当時の換算で1万円足らず)でした。チップは別。参考まで…。
途中埔里によりました。蒋経国が好んだビーフンの餐庁(名称失念)にもいきましたが、たいしてうまくなかった。
霧社の入り口で「観光税?」のようなものを払うようになっていますが、2回とも払った記憶がありません。台湾はいいかげんなものです。国民性ですかね。
霧社に入ってすぐの左手に「蜂起記念碑」があります。
「碧血英風」の文字を刻んだ門を入ると、正面20mほどのところに「霧社山胞抗日起義紀念碑」がたっています。
高さ3m足らずのコンクリートのありふれた碑で、その裏に大理石の碑文があり、蜂起の経緯を刻んでいます。
この碑のうしろに蜂起のリーダーのモーナ・ルーダオの墓石があります。
鉄平石の小片を放射状に並べた直径2mほどの円形の石碑の前に墓碑が安置され「莫那魯道烈士之墓」と刻んでいます。
全体としては、抗日蜂起の英雄の墓としては、地味なものです。石碑と紀念碑の材料は、取り立てて言うほどのものではありません。
日本時代に建っていた霧社事件の日本人犠牲者の慰霊碑の壮大さから見ると、その格差が身にしみます。
この日本の慰霊碑は当然、戦後破壊されましたが、霧社の入り口の手前の廟「福寿宮」の近くにその址が残っているそうです。私は行ったことはありません。
数年前、この慰霊碑の復旧の声がありましたが、時期尚早で立ち消えとなりました。
6年後、再訪したときはこの義起紀念碑の境内に銅像ができていました。
紀念碑の前に、蕃刀を腰に腕組みをしたモーナ・ルーダオの全身像が立っています。
おなじみのポーズですが、その迫力はたいしたものです。
右手に数人のものが手に手に武器をとって、突撃する銅像があります。そのなかに一匹の犬が牙をむいていました。犬も決起したのかとショックでした。
この銅像は台湾の食品グループの「統一」が立てたものです。
霧社事件から数年後にモーナ・ルーダオの遺体が発見されましたが、長い間台北帝大の考古人類学科の資料陳列室で「骨格標本」として埃をかぶっていました。
故郷に帰ってここに祭られたのは、戦後30年後の1974年です。
除幕式には蒋介石総統以下多くの高官が出席しました。
1932年憤死してから数えると40年以上もの長い間放置されていたのです。
この経緯はご存知かもしれませんが…。
私はこの霧社事件の翌年に台湾に渡ったので、霧社に対してはとくに思いがあります。
霧社訪問を計画されているようですね。
私は1992年と1998年の2回、霧社に行きました。
いずれも夏の真っ盛りでした。
観光ガイドブックでは霧社は「高地で夏でも涼しい」と書いてありましたが、とんでもない。暑くて暑くて、ミンミンとセミが鳴いて、いやがうえにも暑さをあおっていました。
台中市からタクシーをチャーターして、3時間ほどで着きました。霧社の入り口で気圧を測ったら800ヘクトパスカル台で、国際線の機内圧と同じでした。標高1000mほどだそうです。
タクシーは1時間400元で午前8時から午後3時まで7時間で2450元(当時の換算で1万円足らず)でした。チップは別。参考まで…。
途中埔里によりました。蒋経国が好んだビーフンの餐庁(名称失念)にもいきましたが、たいしてうまくなかった。
霧社の入り口で「観光税?」のようなものを払うようになっていますが、2回とも払った記憶がありません。台湾はいいかげんなものです。国民性ですかね。
霧社に入ってすぐの左手に「蜂起記念碑」があります。
「碧血英風」の文字を刻んだ門を入ると、正面20mほどのところに「霧社山胞抗日起義紀念碑」がたっています。
高さ3m足らずのコンクリートのありふれた碑で、その裏に大理石の碑文があり、蜂起の経緯を刻んでいます。
この碑のうしろに蜂起のリーダーのモーナ・ルーダオの墓石があります。
鉄平石の小片を放射状に並べた直径2mほどの円形の石碑の前に墓碑が安置され「莫那魯道烈士之墓」と刻んでいます。
全体としては、抗日蜂起の英雄の墓としては、地味なものです。石碑と紀念碑の材料は、取り立てて言うほどのものではありません。
日本時代に建っていた霧社事件の日本人犠牲者の慰霊碑の壮大さから見ると、その格差が身にしみます。
この日本の慰霊碑は当然、戦後破壊されましたが、霧社の入り口の手前の廟「福寿宮」の近くにその址が残っているそうです。私は行ったことはありません。
数年前、この慰霊碑の復旧の声がありましたが、時期尚早で立ち消えとなりました。
6年後、再訪したときはこの義起紀念碑の境内に銅像ができていました。
紀念碑の前に、蕃刀を腰に腕組みをしたモーナ・ルーダオの全身像が立っています。
おなじみのポーズですが、その迫力はたいしたものです。
右手に数人のものが手に手に武器をとって、突撃する銅像があります。そのなかに一匹の犬が牙をむいていました。犬も決起したのかとショックでした。
この銅像は台湾の食品グループの「統一」が立てたものです。
霧社事件から数年後にモーナ・ルーダオの遺体が発見されましたが、長い間台北帝大の考古人類学科の資料陳列室で「骨格標本」として埃をかぶっていました。
故郷に帰ってここに祭られたのは、戦後30年後の1974年です。
除幕式には蒋介石総統以下多くの高官が出席しました。
1932年憤死してから数えると40年以上もの長い間放置されていたのです。
この経緯はご存知かもしれませんが…。
私はこの霧社事件の翌年に台湾に渡ったので、霧社に対してはとくに思いがあります。
これは メッセージ 1185 (suzuteri2515 さん)への返信です.
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