Re: 台湾・台北の旧地名の場所
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/04/15 05:38 投稿番号: [43 / 1484]
nagai538jp様:
昨年の9月の大風で猫空ケーブルの支柱の根本に破損がでて10ヶ月の
修理に入ったと聞いていましたが、運良く乗れたのですね。文山と木柵
魔ではどうにか地図でたどれますが、その奥の石獅脚は一寸無理ですね。ピーナッツ、豆の栽培を手伝ったそうで空爆の無い奥地だったのですね。
高雄から私も台南州の東の玉井村に疎開しました。農地が無いからこれから遊べると思い氏や、母が私を玉井国民学校の6年生の聴講生にいれました。
週に1−2回の出席でありましたね。マンゴーで有名な玉井ですが、玉井川
の水を使った精糖工場があり、内地人400人、本島人が総計450人も
就労していました。村外れの道路でマンゴーを積んだトラックをでこぼこ
地点で待ち受けていて、トラックから10−20個のマンゴーが落ちるのを
見て拾って着ては食べたものです。甘蔗は例のごとくトロッコ列車から引くぬいては食べていましたが、たまに火のついた赤いコークスを投げられたときもありましたね。テパニー事件の首謀の最後の反抗地点でもあり、夜は一寸怖い中を歩いたものですね。その精か大きな憲兵隊分署がありましたね。
ところが家主の娘さんが16歳で結婚して旦那が徴兵されてすぐ脱走事件をおこしました。門限時間に一寸遅れたのが罰を恐れて正門の近くで一泊して
史毎脱走と誇張されました。日本語はそうしゃべれない家主の変わりに、母が憲兵隊と折衝することになりました。しまいに、高雄州庁の父まで呼んだ
憲兵隊長は鳳山第77部隊からの連絡で静かになりました。父は一日30時間欲しいというほど、陸軍の仕事に昼夜仕事をしていましたので。屏東飛行場(西)は拡張工事を1年間半で2万人の奉仕でやった父ですが、飛行隊長と散々口論をしていました。相手が少佐で俺より下の素人が何もわかっちゃ居ないと怒っていました?
再見・
これは メッセージ 42 (nagai538jp さん)への返信です.
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