Re: 台湾・台北の旧地名の場所、乃木稀典
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/07/30 12:58 投稿番号: [293 / 1484]
nagai 538jp様:
呉濁流の人生はほぼ台湾人の公民権確立の文学運動でした。かなり孤立した
社会関係に落ちてゆきました。公学校の運動会などで郡守か校長を殴り倒したなどの交戦的な激しい気性の持ち主でした。其処までやると、内地人でも本島人でも懲罰をうけたものです。然し彼は一方繊細な感情を持つじんぶつで自分の恩師だった袖川先生が戦後内地で苦労している最中、台湾に教え子から招待をうけて来た時、台湾を一周するガイドをひきうけました。途中袖川先生(女性)は引き上げ後の主人が6ヶ月だけの結婚生活後、徴兵にとられて戦死、二人の子供を抱えて育てて今も苦労している窮状を呉に説明しました。慰めるだけの呉は出来る限りの応対をして内地に帰らせたそうだ。
彼は当時は外省人と半山人に裏切られて、戦前よりもっと落胆の毎日であったとか。アジアの孤児は戦前の台湾人の不平等な公民権への戦い、無果実は戦後の失望と台湾の将来を悲嘆した内容らしいが、最後の「台湾飛しょう(出てこない漢字)」は戦後半山人を信用した挙句裏切りを受けた詳細が
事細かに記載されているそうです。日本語の翻訳が10年経て中国語に翻訳
されて出版されたそうです。ですから日本語に翻訳出版もあるかな?と思っています。是は疑問ですが。したがって、私はアジアの孤児しか読んでいません。民主主義の本場の米国でさえ、きて見れば不平等、差別、目に見えぬ
不公平、が2040年もつずいています。性別、年齢、なども差別があります。だから呉濁流の運動も理解しますが、すべてが完熟の社会が欧米にもありませんでした。日本の行政はましであったと思いますね。戦後65年、学校の同窓生の交流はいまだに営々とつずいています。恩師は亡くなったが、
家族同士の交流は存続するそうです。欧米諸国が宗主になった植民地では、すでにちぎれた紐のごとく、全然音沙汰が無いそうです。
これは メッセージ 292 (nagai538jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqa1a6bfkla4n5lcolbea4nbelbdj_1/293.html