Re: 内地人は。
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/07/13 05:08 投稿番号: [247 / 1484]
pinglong1様:
戦時中の私(学徒勤労奉仕隊)と、兄の実態を書いてみましょう。
高雄第一中学に入ったのが1945年4月で、8月まで鳳山区(市は併合で高雄市鳳山区になった)にあった第77部隊の駐屯兵舎で勤労奉仕に従事、10月に復学(戦後)しました。兄は名古屋高商から台北高商に編入して昭和18年にそつぎょう、卒後神戸製鋼に3ヶ月勤務して(台湾支店)鳳山街で徴兵をうけました。戦後66年経ても鳳山区の戸籍係りに私の一家の記載
が登録されていますよ。敗戦後は海外の軍人は特別な要請の無い限り、内地向けの引き揚げ船で12月までに台湾から一掃されました。敗戦前に除隊になった軍人は遺骨も含めて家族の居る台湾へ帰還しました。徴兵は現地で(おおよそは、台湾で訓練をうけた)訓練を受けて、兄は幹部候補生甲種合格で台北で訓練をうけました。昭和19年早々台湾を離れてさりました。サイパン防衛のはずが危険な航路で内地の防衛にかわり、やっと内地にたどりつきました。敗戦前に四国から本籍地の和歌山へ復員してきました。
平和時には教育隊もあったでしょうが、戦時末になると現地部隊の中で
訓練を受けて、教育隊は独立できる余裕は無かったのではないでしょうか?もっとも国民学校での剣道、柔道、中学での軍事訓練科目の必須と徴兵までに相当訓練はうけましたね。台湾出身の本島人の志願兵(軍属、軍夫)は
戸籍の在る徴兵を受けた生家に帰国したかったが船便が無いと日本へ帰国した兵士が多々いました。日本政府は別便で台湾行きの便を設けませんでした。
台湾の行政がだいぶ落ち着いた時点で民間総督を任命しています。台湾平定初期と戦時中は軍人で台湾軍司令官と総督を兼任したものです。陸軍中将級が(本間、安藤など)総督になりましたので、どちらが優先したかは無いでしょう。民間総督もかなり軍事優先で行政をしました。軍人のほうがずっと
成果を挙げたそうですね。総督の権限で誤解があります。総督は内地の拓植大臣と県知事との中間的な権威で実際はたいした権限ではなかったそうです。誇張されて独断専行できた職務だといいふらされてしまいました。
蒋介石は一人の日本人も留台まかりならぬ決心でありましたので、海外から台湾へ帰国する元軍人はいませんでしたね。日本人の留台は台湾行政の邪魔になる要素であったのでしょう。内地に帰ってきたら私の本籍地の記載を
名古屋から取り寄せねばならずに、そのまま生年月日を母が、ニケ月遅くして申請しました。今も高校の卒業証書はニケ月遅い誕生日になっています。
湾生には引揚げたら日本での記載が一切無かった人も多々いましたよ。
有益な情報になったらよいですが。
戦時中の私(学徒勤労奉仕隊)と、兄の実態を書いてみましょう。
高雄第一中学に入ったのが1945年4月で、8月まで鳳山区(市は併合で高雄市鳳山区になった)にあった第77部隊の駐屯兵舎で勤労奉仕に従事、10月に復学(戦後)しました。兄は名古屋高商から台北高商に編入して昭和18年にそつぎょう、卒後神戸製鋼に3ヶ月勤務して(台湾支店)鳳山街で徴兵をうけました。戦後66年経ても鳳山区の戸籍係りに私の一家の記載
が登録されていますよ。敗戦後は海外の軍人は特別な要請の無い限り、内地向けの引き揚げ船で12月までに台湾から一掃されました。敗戦前に除隊になった軍人は遺骨も含めて家族の居る台湾へ帰還しました。徴兵は現地で(おおよそは、台湾で訓練をうけた)訓練を受けて、兄は幹部候補生甲種合格で台北で訓練をうけました。昭和19年早々台湾を離れてさりました。サイパン防衛のはずが危険な航路で内地の防衛にかわり、やっと内地にたどりつきました。敗戦前に四国から本籍地の和歌山へ復員してきました。
平和時には教育隊もあったでしょうが、戦時末になると現地部隊の中で
訓練を受けて、教育隊は独立できる余裕は無かったのではないでしょうか?もっとも国民学校での剣道、柔道、中学での軍事訓練科目の必須と徴兵までに相当訓練はうけましたね。台湾出身の本島人の志願兵(軍属、軍夫)は
戸籍の在る徴兵を受けた生家に帰国したかったが船便が無いと日本へ帰国した兵士が多々いました。日本政府は別便で台湾行きの便を設けませんでした。
台湾の行政がだいぶ落ち着いた時点で民間総督を任命しています。台湾平定初期と戦時中は軍人で台湾軍司令官と総督を兼任したものです。陸軍中将級が(本間、安藤など)総督になりましたので、どちらが優先したかは無いでしょう。民間総督もかなり軍事優先で行政をしました。軍人のほうがずっと
成果を挙げたそうですね。総督の権限で誤解があります。総督は内地の拓植大臣と県知事との中間的な権威で実際はたいした権限ではなかったそうです。誇張されて独断専行できた職務だといいふらされてしまいました。
蒋介石は一人の日本人も留台まかりならぬ決心でありましたので、海外から台湾へ帰国する元軍人はいませんでしたね。日本人の留台は台湾行政の邪魔になる要素であったのでしょう。内地に帰ってきたら私の本籍地の記載を
名古屋から取り寄せねばならずに、そのまま生年月日を母が、ニケ月遅くして申請しました。今も高校の卒業証書はニケ月遅い誕生日になっています。
湾生には引揚げたら日本での記載が一切無かった人も多々いましたよ。
有益な情報になったらよいですが。
これは メッセージ 245 (pinglong1 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqa1a6bfkla4n5lcolbea4nbelbdj_1/247.html