要所要所は必ず外省人が握った台湾戦後
投稿者: heitotakaotak_0125 投稿日時: 2013/02/15 08:43 投稿番号: [1859 / 1869]
夏の風001様:
戦後鉄道管理局長の陳精文は本島人を蔑み馬鹿にしてこき使った。不人気野郎で其の配下の鉄道警察は
本島人に嫌われた集団であったと。満鉄の営業に関与したと結うインテリならまだしも、大陸の何処の
鉄道に関与していた経験があるのでしょうか?管理局で数名の学生が殺された。処理委員会員が管理
局に押し寄せて談判が始まった。台湾省交通処長の任顕群を尋ね陳精文と領事館に匿われた管理局職員の免職を要求した。陳儀との会談で要求した点については、のらりくらりの返事で時間だけが過ぎていった。平静を装った陳儀のウラでは大陸からの集団援軍が基隆と高雄に向けて出航したばかりであった。鳳山街(市)の私の50年前の戸籍を貰うのに1992年に当時は役場から独立している戸籍係りの建物に私より数年先輩の案内で入ると、局長が外省人で40歳代の若造であった。係長も外省人でした。国語世代の日本語が達者な先輩は局長でも係り長にもなれなかったそうです。対日協力者の跡を捜査する上で大事な場所であったのでしょう。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bf7a47a4a4a5ha5ta4bfa4fa4baa4ka4oa4a4a4ia4la4ja4a4a1aaa1aa_1/1859.html