紫陽花亭日乗

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Re: 「母国は日本祖国は台湾:柯徳三著」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/06 01:15 投稿番号: [625 / 735]
庇ってくれた内地人の隣人

  そんな時代でも、思いやりのある、差別のない日本人ももちろんいました。

  私の家は割合に規則を守っていて、闇物資を買いませんでしたから、
戦争が始まって一番困ったのは、食べ物でした。
お米も困ったし、肉でも何でも困りました。

米に芋やかぼちゃを一緒に入れて炊いたりして、空腹をしのいだものです。
大東亜戦争が始まるまでは、台湾は物資は豊富でしたから、
あまり困ることはありませんでした。

  当時、私の家の隣に住んでおられたのが、大学に勤める佐藤教授の一家でした。
大変良い先生で、奥さんもとても良い人でしたから、親しく付き合っていました。

  その当時は、父が、香港電力に転勤になり、
家族のほとんどが香港に行っていました。

開戦直後、日本が香港を占領したため、父は香港電力の営業課長として
香港に転勤になったのです。
そして、占領中の三年間ずっと香港にいました。
ですから、台湾の家に残っていたのは、私と、妹一人、弟一人と、
外祖母(私の母の母)でした。

  ですから、よけいに私達一家を気遣ってくれて、
いつも、闇物資を塀越しにポンと投げ入れてくれたのです。
これは本当に有難かったです。私達をとても可愛がってくれました。

  佐藤さんは、隣組でもよく庇ってくれました。
ご近所は皆、日本内地人で、私の一家だけ台湾人で異分子でしたから、
陰では色々と言う人もありました。
しかし、佐藤さんは、「秋元さんのところは、いい人だよ」と皆に言って
くれたり、隣組の会議の時でも色々と取り計らってくれました。
感謝しています。

  私が海軍に入隊した時には、闇で買った米に小豆を入れて赤飯を炊いて、
見送ってくれました。
あの味は、忘れられません。
終戦後、佐藤さん一家が引き揚げた時は、涙で見送りました。

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